気ままに

大船での気ままな生活日誌

”おせん” その二

2010-03-02 09:57:51 | Weblog


松五郎が道端で春重(春信の弟子;実際、こうゆう絵師がいる、司馬江漢の若いときの名前)に会う。おせんちゃんの裸の絵をみせている。”おせんの裸を思う存分見た上に、写し取って来るなんざ、素人にゃ、鯱鉾立をしても、かんがえられる芸じゃねえってんのよ” ”ふふふ、そんあことあ、朝飯前だと。おいら、もうちっと、いいことをしてるんだぜ”



春重は、おせんちゃんが足の爪を切るのを、縁側の下にもぐって待つ。切られた爪を集めて、糠袋にいれる。もう爪の数は千を越えている(爆)。それを火鉢に載せた薬缶にいれ、その湯気を夢中ですいつづける。廻りにはおせんちゃんの裸の絵がちらばっている。”ふふふ、わるくねえ、においだ。世間の奴らあ知恵なしだから、女のにおいは、肌からじゃなければ嗅げねいと思っているが、情けねもんだの。この爪が薬缶の中で煮えくりかえる、いきと味を、一度でいいから嗅がしてやりてえくれてえなもんだ。唯の爪じゃあねえ、笠森おせんの、磨きのかかった珠のような爪だ”

・・・・・

橘屋の若旦那が、おせんの茶屋に会いにきたときに、おせんちゃんは、上野、不忍池のあたりで、駕籠を走らせていた。ひたすら神田白壁町の鈴木春信の住居へ向かっている。”相棒、威勢よくやってくんな、そんじょそこらの、大道臼を乗せてるんじゃねえや、江戸一番の、おせんちゃんを乗せてるんだからな”


東叡山寛永寺の山裾に周囲一里の池を観ることは、開府以来江戸っ子がもつ誇りのひとつであったが、わけても雁の訪れを待つまでの、蓮の花咲き競う初秋の風情は、江戸歌舞伎の荒事とともに、八百八町の老若男女が、得意中の得意だった。近頃はやり物のひとつとなった黄縞格子の薄物に、鳳凰桐の模様のある青磁色の帯を締めて、首から胸へ、紅組の守袋の紐をのぞかせた、おせんは、洗い髪に結いあげた島田髷を清々しく、正しく座った膝の上に、きちんと両の手を置いたまま、駕籠の垂れから池の上に視線を移していた。”駕籠屋さん、こっちがわだけ垂れを上げておくんなさいな、花を見とうござんすのさ”



”風流絵暦所 鈴木春信”水くきのあとも細々と、流したように書き連ねた黒柿の看板に、片枝折の竹の朽ちた根屋から柴垣へかけて、葡萄の蔓が伸び放題の姿を、三尺ばかりの流れに写した風雅なひと構え。・・・一坪あまりの自然の水溜りに十ばかりの緋鯉がかぞえられる。じっと水の面を見つめていたのは、なんといっても、四十五の年より十年は若くみえる、五尺にみたない小つくりの春信だった。



”やっ、おせんちゃん。師匠がさっきから、首を長くしてお待ちかねだぜ”朱とお納戸の二こくの鼻緒のすがった草履を、後ろの仙蔵にそろえさせて、扇で朝日を避けながら、駕籠から静かに立ち出たおせんは、どこぞ大店(おおだな)の一人娘でもあるかのように、如何にも品良く落ち着いていた。

(いつもの春信による、美人画のモデルと思っていた、おせんちゃん、今日は違った用事であった)
 
次回をお楽しみに(笑)。

。。。

今朝の朝日のスポーツ欄に、真央ちゃんのインタビューが出てましたね。やっぱり彼女もSPでのキムヨナとの点差に不満をもっていましたね。トリプルアクセルを含め完璧に出来たのに、加点が思ったほどつかなかった、これを審査の人に聞いてみたいと。当然です。SPでキムヨナと僅差であれば、フリーではどうなったかわかりませんでした。プルシェンコのコメントにも納得です。四回転をとばないなんて男子フィギュアじゃないよ、女子かアイスダンスだよ。そのとおり!高橋大輔選手も失敗したけど果敢に挑戦しました。いろいろあった五輪もおわりましたね。感動とくやしさ(爆)をありがとう。
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