気ままに

大船での気ままな生活日誌

春の嵐 四大関全敗

2010-03-21 18:52:13 | Weblog
今朝未明からの春の嵐のように、春場所中日に春の嵐が吹き荒れた。四大関がそろって完敗。その刺客一番手が、わが稀勢の里。

稀勢の里、お得意さん魁皇を寄り切る。

小兵力士に弱い琴欧州、今日まで勝ち星なしの、刺客二番手、土佐豊に押し倒しで負ける。

これまた、お得意さん日馬富士を刺客三番手、琴奨菊が押し出す。


とどめは、必殺仕置人、安美錦。お得意さん琴光喜を寄り切る。


春の嵐はまだまだ吹き荒れた。弓取り式で、めったにないことが起こった。力士が、弓を落としてしまったノダ。嵐に吹き飛ばされてしまったノダロー。

さあ、稀勢の里、明日からは、嵐を呼ぶ男になろう。石原裕次郎だ。♪おいらはドラマー、やくざなドラマー、おいらが敲けば、嵐を呼ぶぜ♪ 

そうだ、敲けばいいのだ。みんなが良くないという、張り手差しでいこう。世論の反対のことをやればだいたい世の中、間違いないノダ(爆)。残りは全勝だ。大阪で買った塩昆布をつまみで”完敗”じゃない”乾杯”だ。血圧もさらにあがるだろう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪レトロの建物 あれもこれも

2010-03-21 12:03:33 | Weblog
前回、紹介した泉布観や旧桜宮公会堂は、現役引退の”廃墟”だったが、大阪城内にあるこの建物も最近現役を引退した。まあ、ぼくのようなものである。ちょっと前まで大阪市立博物館だった。ボランティアガイドさんに聞いた話だが、7,80年前に大阪城天守閣再建と同時に出来た陸軍施設で、大阪市民の寄付金でできたそうだ。左右対称のロマネスク様式。現在は”廃墟”となっているが、落ちぶれれてゆく様がなんともいえずいい(笑)。ついでながら、新しい博物館は、近くにあり、なんと上野で見た”聖地チベット”をやっていた。



これは大川の遊覧船からみた、大阪城公園内の旧陸軍施設、大阪砲兵工廠。これも廃墟だろう。


廃墟ばかりではなく、現在も現役とゆうレトロの建物も多い。中之島には何度か行ったが、今回もまた行ってしまった。大川から観た、大阪市中央公会堂。重要文化財。明治44年に岩本さんとゆう株屋さんが100万円を寄付してつくったそうだ。今の財界人に、そんな人がいるだろうか。岡田信一郎の提案をもとに辰野金吾ら当時の錚々たる建築家の設計で、5年の歳月をかけてつくったそうだ。ちょうど、この日、ここで高校生の卒業式が行われていた。




その近くに、府立中之島図書館がある。明治37年に第15代住友吉左衛門氏の寄付によってつくられたものである。設計は住友家の建築技師長であった野口孫市。中にも入ってみた。ドーム状の中央ホールはすばらしかった。図書室も覗いてみた。静かな雰囲気で、近くに住んでいたら、しょっちゅう来てしまうだろうなと思った。昔の大阪の風景を描いた本などを30分ほどながめていた。重要文化財の図書館なんて、ここぐらいだろう。


日銀大阪支店旧館。明治36年施工。辰野金吾ら設計。


この近くに尾形洪庵の適塾があったはずと、橋を渡り、捜しに行った。すぐ見つかった。大村益次郎や福沢諭吉も塾頭をつとめた有名な塾だ。建築学的にも、江戸時代の町屋の姿をとどめているとゆうことで、史跡、重要文化財になっている。もちろん、中にも入った。さまざまな資料があり、勉強になった。また別の機会に紹介したい。この施設は、大阪大学の管理になっている。医学部の源泉は適塾だという。阪大総合学術博物館の企画展のポスターがあり、”えがかれた適塾”展が4月から開催されるそうだ。手塚治虫は尾形洪庵の”陽だまりの樹”を描いているが、手塚も阪大医学部出身だし、彼の祖先も適塾の生徒だったというのも面白い。


おどろいたことに、その近くに、重要文化財の幼稚園があった。大阪は図書館だけではなく、幼稚園まで重文なのだ。たいしたものだ。


そのまた、近くに、これは重要文化財ではないが、古そうな昆布屋さんがあった。ワイフがお土産にいくつかの商品を買っていた。ぼくは塩昆布が大好きだ。お医者さんには、お酒と塩は控えるように言われているが、ほとんど無視している(爆)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪レトロの建物(1) 泉布観(館)

2010-03-21 09:51:06 | Weblog
大川沿いの帝国ホテルに泊った。なんと、2食ついて1泊、1万2千円。ホテル開業120周年記念で(大阪のはたぶん10年ほどだけど)、12000円という、大サービス料金なのだ(去年、数日間だけの限定予約をワイフが一休でみつけたノダ)。もし、80周年記念なら、朝夕食つきで8000円だったところだ(笑)。値段も格安だったが、なかなかいい場所にある。大川の両岸は、もう今にも、咲こうかという桜並木がずらりの、すばらしい散歩道が続いていて、あの、ぼくが去年行った、”通り抜け”の造幣局なんかもすぐそばなのだ。

2日目、造幣局の博物館をみたり、その先の藤田美術館等を見物したのだけれど、そのときに造幣局前に、廃墟のようなレトロな建物があった、ぼくが柵の外から覗きこんでいると、中にいた若い人が明日から3日ほど一般公開しますから、どうぞと声をかけてくれた。

で、3日目の昨日、10時会館というので出掛けてきた。到着すると、もう早めに入れていていて、古い建物ですから30名しか入れませんので、と10名くらいの人が列をつくっていた。大阪の人はレトロの建物が好きらしい(笑)。



泉布観(館)といって、明治4年建築の、大阪最古の洋風建築だという。造幣局の応接所だったところで、英国人のウオートレスの設計で、造幣局の全施設を設計し、銀座の煉瓦街も彼によるものだという。昭和31年、洋風建築として初めて国の重要文化財に指定されたとゆうからすごいことだ。大正時代、女学校として使われたこともあるそうだが、今は”廃墟”である。偶然、中を見物する機会ができてうれしかった。

煉瓦造り(外壁が白く塗られていて一見分からない)2階建で、建物の廻りにベランダを巡らせた”ベランダコロニアル”様式だ。柱はすべて花崗岩で、柱の形態はトスカナ式。


撮影自由だったので、階段、暖炉、証明器具、鏡等、部屋の内部を撮ることができた。












レトロだけど内部はモダンだった。外をみると、待ち行列がさらに長くなっていたので、10分ほどで、出てきた。

(行列)


同じ敷地に、あるこの建物も廃墟だった。旧桜宮公会堂玄関で、明治4年、造幣局鋳造所の正面玄関だったのを、昭和10年に、ここに移築し、改造し、明治天皇記念館として使用してたとのこと。正面玄関部分のみが国の重要文化財になっている。


偶然、こんな貴重な建物の内部をみられて、ホテル代だけではなく、これもずいぶん得をした気分だった。大阪にはレトロな建物が多いので、また次の記事もそのシリーズである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする