気ままに

大船での気ままな生活日誌

紫陽花街道をゆく 続編

2010-06-21 10:58:20 | Weblog
昨日は、長谷寺から成就院までの”紫陽花街道”について書いた。紫陽花だけに焦点をしぼって書いたが、今日はその他の見聞について書こうとおもっている。司馬遼太郎もこの辺りを歩き”街道をゆく/三浦半島記”で歴史的な事柄を記述している。ぼくは、ミーハー的な、かつ自己中心的な事柄を述べたい(笑)。

長谷寺の参道の、布地屋さんのお店の前のポスター。ぼくも毎朝みている”ゲゲゲの女房”。よくみると”衣装協力”とある。何故、長谷の?と思うけど、スタッフが近くに住んでいて付き合いがあるのかもしれないし、昭和30年代の衣装となると、東京では揃えないので、半分田舎の鎌倉当たりなら、ちょうどいいかと思って頼んだのかもしれない(笑)。ぼくは、20年生まれだから、30年代までの貧乏時代はよく知っているし、貸本屋でいつも本を借りていた。その後、漫画の月刊誌ができて、おもしろブック(白星くんが好きだった)や少年画報(赤胴鈴之助がすきだった、さゆりちゃんもこの頃から好きだった;汗)を買えるようになった。今日のテレビも、ちょうど、その日暮らしの貧乏生活をつづけている、水木しげる夫妻にも光が差し込むことなる月刊漫画誌時代がようやくやってきそうな時期に入った。それにしても、ゲゲゲの女房はりっぱな奥さんだな、うちの女房に爪の垢でも煎じて飲ませたい(爆)。

紫陽花街道途中に、ぼくの好きな30年代のような家があった。りっぱな家だった。ゲゲゲの女房も、”ゲゲゲの鬼太郎”が当たり、そのうち、こうゆう家に住むようになるのだろう。

御霊神社。司馬遼太郎のでは鎌倉権五郎の詳しい記述があるが、ぼくは境内におられた福禄寿さんであろうか(宝物館には本物がいらっしゃるので)、この方のお腹にドキン。実は最近、膨れてきたのだ(汗)。目標体重、66・6キロをずっと維持していて、一時は65.1キロまでいったのに、ちょっと半年ほど気を許したら、昨日、70キロの大台に逆戻り。また気を引き締めることにした。幸い背は170センチで縮んでいなかった(笑)。夜はお酒はやめないで、ご飯をやめることにした。昼食は麺類。あまりワイフに付き合わず、レストランにはなるべく行かないことにした。

影かと思って、踏もうとしたら、黒猫だった。ピタリとも動かない。死んでるのかとおもって、頭を触ったら、薄眼を開け、またネコんだ。神社仏閣の猫といういうのは本当に、度胸が座っている。この前、浄妙寺の猫なんか、仰向けでお腹をみせて寝ていた。こうゆうふうになりたいものだ。

成就院の境内が長蛇の列。お賽銭あげるのためかなと思ったら、その列は本堂前を曲がって、境内、真ん中にある縁結び不動明王像だった。雑誌にも取り上げられた、パワースポットなんだそうだ。そういえば、花菖蒲の明治神宮御苑の清正井もパワースポットで大人気、そこに行くには別料金をとっていた。ぼくは、ワイフがいる間は縁結びは必要ないし(爆)、気を入れてもらう気もないので、写真だけ撮った。


。。。

長谷寺の”浮船花菖蒲”。動いていました。

長谷寺の笹百合。 ささ(お酒)も、さ、小百合さま(どもった)も好きです。

成就院の夏椿。別名、シャラノキ(娑羅樹)。うちの近くの、ヒメシャラもよく咲いてます。


帰りに”坂の頂点にちかいあたりに、店が一軒、山肌に貼りつくようにして建っている。電車のように細長い建物で、店内には古時計やら陶器が置かれてあり、喫茶店でもある(司馬/街道をゆく)”その喫茶店で、アイスコーヒーを飲んだ。体重のことを考え、シロップは入れなかった。

腱鞘炎は直ってきたようです
コメント
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