気ままに

大船での気ままな生活日誌

大銀杏を偲んで初参り

2011-01-06 18:52:14 | Weblog

それは、去年の3月10日のことだった。八幡さまの大銀杏が倒れたというニュースを聞いて、ぼくは家を飛び出した。無残な姿だった。鎌倉といえば、この大銀杏だった。ぼくは中学生のときから、神奈川県民になり、その頃から鎌倉が大好きだったから、よく来て、大銀杏を見上げたものだ。千年のときをつなぎ、いつまでもいつまでも在るものと思っていた。それが根こそぎ、倒れてしまっているのだ。半世紀もの間、ときどき来ては、見続けていたご神木だった。その姿をみて、涙が溢れそうだった。

その日から、まだ、1年もたっていない、はじめての正月だ。ぼくは松の内に初参りをと、今日、お参りしてきた。大銀杏のひこばえの多くは、もう僕の背を越していて、結構太い枝になっていた。大銀杏のDNAは確実に次世代に伝えられている。

本殿にお参りし、宝物館の方に向かうと、”大銀杏の思い出と新春収蔵品展”を開催していた。もちろん入った。はじめに、やはり同じ年に亡くなられた、鎌倉在住の平山郁夫画伯の、ぼんぼり祭りのときに使われた、大銀杏と八幡宮の石段を描いた原画が展示されていた。そして、やはり、今年のぼんぼり祭りの新藤兼人監督の雪洞”今日はお祭りですが/あなたがいらしゃらないので/何の風情もありません 兼人”が飾られていた。これは、彼の新作映画”一枚のハガキ”の言葉なのだが、”あなた”を”大銀杏”に重ねてもいいので、展示されたのだろう。新藤兼人監督と平山郁夫画伯の雪洞はいつも、両横綱のように最上段に並べられて立っていた。それから尾崎左永子さんらの大銀杏を偲ぶ和歌と、月岡芳年らの大銀杏を描いた錦絵、鎌倉ゆかりの画家による大銀杏の絵も展示されていた。

館外に出ると、御札などを下さる場所で、大銀杏の小枝を入れたお守り、”大銀杏木霊”があることを知り、それを記念に頂いた。今年は、八幡さまにとって、特別な正月だということを改めて知ったのだった。松の内に初参りしてよかったと思った。

今日の小町通り

 

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初笑いは浅草で

2011-01-06 11:46:30 | Weblog

上野動物園に”初詣で”して、精養軒で昼食をとった。それから、ワイフは何か、買いたいものがあるというので、銀座へ。ぼくは、上野鈴本で初笑いをという予定だった。ところが、甘かった、鈴本は満席で、立ち見ならありますが、という。仕方なく、浅草に向かった。三が日過ぎの4日なのに、浅草は大変な混雑だった。雷門の通りは、分速5メートルくらいの速さ(笑)でしか歩けないほどだった。お参りしてからと思ったが、急遽変更、裏道から六区に向かった。

途中、新春歌舞伎を公演している浅草公会堂を覗いたが、ここも当日券はすべて売り切れ、翌日分の最上席券がわずかに残っている程度の、賑わいだった。ここも、場合によっては、と思っていたのだ。そして、浅草演芸ホールに到着。早速、券売所に。ななななんと、”立ち見ならありますが” いつかも立ち見で入ったが、映画全盛期の映画館みたいな二重、三重の立ち見で、疲れてしまったので、厭なのだ。じゃあ、隣りの、東洋館へ。井上ひさしさんがはじめて就職したストリップ劇場フランス座のあとが寄席になっている処だ。ここも、”立ち見ですが、小朝が終われば、座れます。これから円蔵です、どうぞどうぞ”にのってしまい、券を買った。

そしてエレベーターに入ると、すぐあとに、ななななんと円蔵師匠と弟子筋らしい落語家が入ってきた。さすがと思ったのは、わずか4階に上がるまでの間、二人で笑いをとる会話をしてくれたことだ。ミニ落語をはやくも聞け、得した気持ちになった。

会場に入ると、立ち見だったが、立っているのは、数十人程度だった。そして、すぐ円蔵の噺が始まった。いつものように体をちじこめて、噺をはじめる。何度も笑いをとり、短時間で引っ込む。正月顔見せ公演なので、本格的な落語より、小話が多い。円蔵のあとは木久蔵(休憩時間に木久蔵ラーメンを売っていたのには笑ってしまった)。そしてお待ちかね、小朝。落語界のサラブレッドといわれるように、さすがうまい。連発銃のように、つぎつぎと笑いの弾が飛んでくる。海老蔵ネタや、その他、ブラックユーモアを中心に、わっはわっはの連続。小朝が終わると、本当に客が引き、席が開いた(それでも、満席だが)。そして二部のとりは馬風。前回、きたときも、鬼丸の真打襲名披露でお祝いの口上を述べていた落語家だ。あのときから、とぼけた味が好きになった。

休憩時間があり第三部が始まる。そしてトップは前述の鬼丸。真打襲名のときより、落ち着いてうまくなったように感じた。上田出身だ、とまた言っていた。のいる、こいるは相変わらずの人気だ。同じパターンだが、それがいいのだ。そして、権太楼も、面白かった。飛鳥世界一周旅行の一部の区間の演芸を頼まれたときの、顛末を噺したのだが、大笑いしてしまった。お年寄りの悪口になるので、ここでは言わない(爆)。たい平は鎌倉芸術館で聴き、じょうずだなと思っていたが、また貫禄がついてきたようだ。

小円歌は女性の三味線漫談家で、円歌のお弟子さんだ。正月なので着物姿がうつくしく、また美人だった。何歳かなと思ったが次の、円歌師匠が全部、ばらしてしまった(笑)。ずいぶん若くみえた。三味線で、志ん生、文楽、初代三平の実際の出囃子を弾いてくれたのは、うれしかった。そしてとりは円歌師匠。今回は宮さまの前での、笑ってくれない落語のはなしではなく、白鵬や相撲界との関係。弟子に相撲取りを止めて真打になった歌武蔵がいる。背の高いイケメンが座布団めくりをしていたが、もと清国関の息子さんだとのこと。そういえば、よく似ている。将来は真打ち、”歌清国”になるかな。楽しみだ。白鵬が相撲界に入る前に世話したとのことで、後援会にも入っていて、結婚式にも呼ばれたという。”中沢家の人々”にはいろいろな人がいるのだ。

これで”フランス座”は6時に終了。うれしいことに、下の浅草演芸ホールに階段で続いていて、そのまま9時の終了までそちらでの初席もみられとのこと。下へ行ったら、猫八がものまねをやっていた。プログラムをみたら、同じ落語家が演る予定になったりしていたので、ここで外に出た。

神谷バーで、飲んで帰ろうとした。ところが、一階のビアーホールは満席。二階のレストランも待人でいっぱい。もうだめかと、三階の和食レストランに行ったら、ひとつだけ席があいていた。寄席と同じで、ここでも一番上階の席になってしまった。和定食をとり、大徳利で楽しんだ。ここでも新年会が何組も開かれていて、落語以上に面白い話も聞けたが、プライベートをばらすのは悪いので、書くのはやめておく(笑)。それにしても、あの女性社員、電気ブランをストレートで、あんなにぐいぐい飲んで、大丈夫だっただろうか。アルコール度を知らないのではないだろうか。海老子にならなければいいが。

 

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