トーハクで表記の展覧会が始まった。平山画伯と同じ鎌倉市民としては、一般公開初日にいかねばならぬ、と”いざ上野”と馳せ参じた。2009年12月に他界されたので、ちょうど1年目に東京国立博物館の特別展が開かれたことになる。画壇の”大銀杏”的存在だったから当然のことといえるだろう。
平山さんは38歳のとき始めてシルクロードを訪ね、生涯150回も訪ね、4000点もの素描を残している。そのとき、この地域の貴重な文化財が破損している実態を目の当たりにして、その保護に力を尽さねばと決意した。2001年のアフガンのターリバン政権によるバーミヤン大仏の破壊にはひどく心を痛め、その後の国際会議で、大仏の復元の提案がされたとき、平山さんは断固反対した。その理由は、21世紀初頭におこった、あってはならない文化財破壊のシンボルとして、皆が決して忘れないように、そのまま保存しておくべきだといいうことだった(破壊前の大仏の素描が今回、展示されている)。
破壊だけではなく、盗掘など流出する文化財を”難民”としてとらえ、一時的に保存、修復し、平和が戻ったとき、その国に返還するという、お考えをもっていて、貴重な仏像等の蒐集を行った。
これら、多くの文化財(多くは清里の平山郁夫シルクロード美術館所蔵と流出文化財保護日本委員会保管)が、インド、パキスタン(ガンダーラ)アフガニスタン(バーミヤン)、中国(西域、敦煌、西安)、カンボジア(アンコールワット)という流れで、展示されている。
そして、文化財保護活動の結実として、今回の目玉、薬師寺玄奘三蔵院に寄進された、”大唐西域壁画”が全点、展示されている。ぼくは薬師寺で2回観ているから、三度目だ。堂内とは違った印象はある。展示室が広いこともあるのだろうか、とりわけ西方浄土、須弥山はより壮大に険しくみえた。逆に最後の、”ナーランドの月”にかすかに描かれた人影(この壁画の完成を前に亡くなられた高田好胤管長の姿を託したとも、三蔵法師の姿ともいわれる)が、堂内の方がもう少しはっきりしていたような気がする(気がするだけであるが)。隣りの部屋には、この大下図があった。これはもちろん初見で、鎌倉の自宅で描いていたものだ。あとで一階のビデオで知ったのだが、”絵身舎利”といって、この壁画自身が玄奘三蔵院のご本尊なのだそうだ。
平山郁夫画伯は、今、この絵と共にご本尊になっていらしゃるのだ。また、薬師寺にお戻りになった頃、訪ねてみよう。平山画伯の偉大さを再確認できた展覧会であった。