気ままに

大船での気ままな生活日誌

パリ ギュスターヴ・モロー美術館

2012-05-03 13:17:18 | Weblog
イチローが今日も、二安打と好調だ。雨はまだ上がらない。で、今日、三本目のパリ記事を書き始めている(汗)。オペラ座から北へ5分も歩くと、ギュスターヴ・モロー美術館に着く。フランスで最初の個人美術館で、ロダン美術館と同様、ここが住宅兼アトリエだったところだ。モローは若き日、ロマン主義の巨匠、ドラクロワに魅かれていたが、イタリアに渡り、ラファエロなどの古典主義絵画の模写をつづけ、ドラクロワ色を脱し、独自の画風を確立する。神話や聖書に題材をとり、愛と死、理性と情念など人間の心の奥底の問題に斬りこみ、絵で表現していく。同時代の画家だけではなく、むしろ詩人、小説家などの文化人に驚きをもって迎えられたそうだ。

美術館ははじめ、作品の展示室以外は公開していなかったが、現在は、モローの書斎、寝室などのプライベートな部屋まで見学できるようになっている。作品も、完成品は数点で、あとは、未完成品や下絵、スケッチなどばかりで、まるで、モローの仕事場に入ったかのような感じで、館内をめぐることができる。撮影可能だったので、写真を示しながら説しよう。

一,二階が実際、モロー一家が生活していた場所。母親と愛人アレクサンドリアと一緒に住んでいた。書斎や寝室には、たくさんの自作やイタリア留学時代の仲間、ドガによる肖像画”モロー”なども飾ってある。寝室だったかに、二人の女性の肖像画があったが、これが、母親とアレクサンドリアだろう。

書斎


寝室


モロー(ドガ作)


母と愛人の肖像画


三、四階が、美術館。モロー自身が設計したらせん階段でつながっている。こんな感じで作品が展示されている。






名作 ”ジュピターとセメレー” 晩年、最後の完成作品。


”神秘の花” 殉教者の血に染まる百合を王座にした聖母


モローの代表作 ”出現” 洗礼者ヨハネの亡霊が、その殺害をしかけた王女の前に現れる


愛する人、アレクサンドリアに捧げた絵”レダと白鳥”。ギリシャ神話の登場人物レダが、他の作品のときとは違って、慈愛に満ちた表情をしている。


私は目にみえるものや、手に触れられるものは信じない、心に感じるものだけを信じます、と言っていた。現実の女性には目もくれず(笑)、神話の世界に生きる女性だけを描きつづけた。









ギュスターヴ・モロー美術館



雨も上がってきたので、外に出よう。

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パリ・国立近代美術館

2012-05-03 09:58:06 | Weblog
今日は朝から大雨だ。外出好きの、さすがのぼくも、外に出られない。こんな日は、たまりにたまったパリ旅行のブログ記事を少しでも消化しておこうと、今日、二本目に入った。パリの三大美術館というと、ルーブル、オルセー、そして今から紹介する国立近代美術館だ。人気もあって、年間の入場者数は800万人のルーブルに迫る勢いだという。地元のフランス人が多いとのこと。ポンピドゥー・センターという奇抜な建物の中に、産業創造センター、音響音楽研究所、公共図書館と共に入っている。

外にむき出したジグザグのエスカレーターを上る。5階から7階が美術館になっている。20世紀初頭から現代までの作家の作品が展示されている。所蔵作品は6万点にものぼるというから、お目当ての画家の作品に出会う確率は小さい。フジタも草間弥生も、竹橋で観てきたジャクソン・ポロックもみつからなかった。野獣派、キュピズム、抽象派、シュールそして戦後のものと、時代別に展示されている。子供の姿も目につく。楽しそうに眺めていた。モダンアートは子供の心にも共鳴するのだろう。

以下、ポンピドゥー・センターの風景ということで写真オンパレード。

じぐざぐエスカレータ




楽しい作品群 順不同
















弥生さんのかと思ったが、ちがった。




これは、ポンピドゥー・センターではありません。そこからセーヌ河方面に少し歩いたビルです。さすが、芸術の都どす。




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パリ・ロダン美術館

2012-05-03 08:52:17 | Weblog
ロダン美術館は、ロダンが晩年に住居兼アトリエとして使っていた館だ。彼の死の前年にすべての作品を国に寄贈し、それが基となり、1919年に国立ロダン美術館として開設された。門をくぐり、庭園に入ると、上野の国立西洋美術館で見慣れた、ロダンの代表作が展示されている。世界でも最も知られているだろう、”考える人”、カレーを救うためにイングランド王の前に身を捧げた勇敢な6人の市民を題材にした”カレーの市民”、40年の歳月をかけ、それでも未完だという、神曲をモチーフにした”地獄の門”。そして。発表当時は”あざらし”とか”袋に入ったヒキガエル”(爆)とまで酷評された、バルザックの像も庭園にある。”考える人”の向こうには、ナポレオンが眠る、アンバリッドが金色に輝いている。さらにその向こうにはエッフェル塔が聳えている。ロダンの館は、パリ7区のそんな位置にある。

館内に入ると、展示室の中央に、ロダンの出世作となった”青銅時代”が中央に。あまりによく出来すぎて、モデルの青年から直接、石膏の型をとったのではないかと怪しまれた(笑)。そして抱き合う男女、”接吻”の石膏。ロダン自身と、彼が愛した弟子のカミーユがモデルであるという。”地獄の門”を作成し始めたときに弟子入りしたカミーユ。相思相愛だった。しかし、この恋は破局を迎える。ロダンには長年、連れ添った内縁の妻、ローズがいる。誇り高いカミーユは、愛人の座に留まることはできなかった。ロダンに、”はっきりしてよ、ねえ、あんた(美川憲一の口調で)と迫るが、結局、ロダンは無名時代から自分を支えてくれたローズのもとに戻っていったのだった。怒ったカミーユは、”分別盛り”という作品をつくる。美しい若い女(カミーユ)の追いすがる先に、老いぼれた醜い女(ローズ)に連れ去られる、うつろな目の男(ロダン、という怒り心頭の像だ。その後、彼女は自立したが、精神の病に罹り、30年近く、病院暮らしをすることになる。ロダンは彼女のことを気にかけていて、ロダン美術館が出来たら、彼女の作品も展示するように要望していた。その通りになって、カミーユの部屋がある。あの世に行ってから一緒になった。因みに、ロダンとローズは、死の直前に正式な結婚をし、現在、ふたりはパリ郊外、ムードンの住居であった、ロダン美術館別館の庭園内の”考える人”の下に眠っている。ロダンのそういう愛憎物語を知ると、”考える人”はロダンその人ではないかと思ってしまう。

庭園の作品

”考える人” うしろにアンバリッドが。庭園の木々もうつくしい




カレーの市民


地獄の門


館内風景



青銅時代


接吻 


この作品は人気がありたくさん鋳造されたとのこと。世界で300個もある。ブロンズ像はオランジュリー美術館前にもあった。



分別盛り



”手”の彫刻もいくつもあった。そういえば、白樺派の人々がロダン好きで、手の彫刻をもらって喜んでいたっけ。


ロダン自身の絵画コレクションも展示されている。そのひとつ、ゴッホの”タンギー爺さん”


日本人をモデルにした作品も。ロダンに愛された旅芸人、太田ヒサ。






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