気ままに

大船での気ままな生活日誌

七里ヶ浜の夕景

2016-12-28 22:33:47 | Weblog

こんばんわ。

今日は朝から雲一つない冬空。空気も澄みきって、熱海に向かう東海道線の車窓から見る、富士山の素晴らしいこと。この冬一番!と太鼓判を押したい。

熱海の梅園と熱海桜のことは、明朝、報告するとして、今晩は、その帰りに楽しんだ七里ヶ浜の夕景のこと。江ノ電の鎌倉高校前駅で降り、浜辺で日が沈むのを待った。ここからは、江の島と富士山も見えるし、遠く、伊豆の大島も海に浮かんでいる。

江ノ島の左側に夕陽が沈もうとしている。

目を右に向けると、小動岬とその向こうに富士山がみえる。

左側は稲村ケ崎方面。

夕陽が徐々に沈んでゆく

江ノ島と富士山

江ノ島の灯台

遠くに伊豆の大島

江ノ電・鎌倉高校前

それでは、おやすみなさい。

いい夢を

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拝啓ルノアール先生/梅原龍三郎に息づく師の教え

2016-12-28 08:52:34 | Weblog

おはようございます。

2016年、納めの展覧会は、どこの美術館でも、この日が最終日の12月25日(日)に行ってきた。三菱一号館美術館で開催されている”拝啓ルノアール先生/梅原龍三郎に息づく師の教え”展

梅原龍三郎(1888-1986)がルノアール(1841-1919)に初めて会ったのは、渡仏1年後の21歳(1909年)のときだそうだ。そのとき、ルノアールは68歳で、超有名人。しかし、時代は、すでにポスト印象派に移っていた。下の写真は、展覧会の記念撮影用のもの。

この展覧会では、(梅原の著作”天衣無縫”からの引用の)、梅原とルノアールの言葉が、会場のあちこちに掲げられている。彼らの話声が聞こえるようで、面白かった。たとえば、マティスに対し、ルノアールは、あまりに多くの絵の具を使いすぎる、あまりにほかの何ものも置かな過ぎる、と手厳しい。梅原は、大津絵に似た味があるがとても及ばない(梅原は大津絵に惹かれて、蒐集品も多い)。また、ピカソのキュピニズムには笑殺ものだ、と突き放す。パリ時代には、演劇にも、のめりこみ、絵画よりそっち方面の仕事したいと思うようになった、とも述べている。のちに高峰秀子さんとの交友もそんな下地があったからかも、と思った。

本展では、梅原とルノワールの作品を中心に、およそ70点が展示されているが、梅原が愛蔵したピカソ、ルオーらの作品も含まれている。もちろんルノワールの作品も身の回りに置いてあり、その中には彫刻作品もある。梅原が描く画室の絵画にはこの彫刻がいつも顔を出している。

展示構成は以下のようになっている。

第1章 ルノワールとの出会い
第2章 梅原龍三郎 掌たなごころの小品
第3章 私蔵品から公的コレクションへ
第4章 交友と共鳴 梅原と時代、梅原の時代
第5章 ルノワールの死
第6章 ルノワールの遺産
特別出品 三菱一号館美術館のコレクションにみるルノワールと梅原龍三郎

各章の代表作品

第1章 

梅原龍三郎 黄金の首飾り


第2章 

ルノアール バラ

第3章

エドガー・ドガ 背中を拭く女


第6章

梅原龍三郎 みもざ

ルノアールの”麦藁帽子の若い娘” 

第5章

ルノアールの死後、弔問に訪れた梅原は、室内に飾られていた、二つの”パリスの審判”をみている。その後、梅原が90歳のときに、同じモチーフで描いた。フランス近代洋画の巨匠ルノワールと日本近代洋画の巨匠梅原龍三郎の2人の代表作、”パリスの審判”が同時に見られる。この展覧会のハイライトである。

ルノアールのパリスの審判

梅原龍三郎のパリスの審判

今日は仕事納めの日。ちょうどうまい具合に”納めの展覧会”のブログ記事を書くことができた。さて、今日のぼくの”仕事納め”は、何処にしようか。熱海桜の開花状況調査というのはどうだろうか。

それでは、みなさん、今日も一日、梅原龍三郎のように精力的に動きましょう、お元気で!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする