こんばんわ。
スーパー台風19号が近づいてきて、今日は天気も崩れてきたが、一昨日は、気持ちのよい秋晴れだった。久しぶりにふらりと鎌倉文学館へ。そろそろ、秋薔薇も咲き始めたかな、と思って。また、ここは、門から文学館へ向かう道の木漏れ日もいいしね。
この日の木漏れ日は格別だった。
三島由紀夫はここをモデルに”春の雪”を書いた。・・青葉に包まれた迂路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組みの門があらわれる。(中略)先代が建てた茅葺きの家は数年前に焼亡し、現侯爵はただちにそのあとへ和洋折衷の、十二の客室のある邸を建て、テラスから南へひらく庭全体を西洋風の庭園に改めた・・
鎌倉文学館。旧前田侯爵家の別邸。
芝生を隔てて、下に薔薇苑がある。秋薔薇が咲き始めていた。
ベルサイユの薔薇
春の雪
文学展は”オリンピックと文学者”。
大河ドラマの”いだてん/東京オリンピック噺”を毎週、見ているが、そのストリーに重ね合わせたような展覧会。それぞれのオリンピックに文学者がどうかかわったかが写真や資料で明らかになる。以下、その一部を紹介しましょう。
昭和11年(1936)のベルリン大会に武者小路実篤が取材し、新聞に寄稿している。”前畑とゲネンゲルの争い、最後は極小の差、かくて、今日の水泳は日本デーとなった”と。実篤はそのとき妻と娘に宛てた絵葉書も展示されている。ぼくも行ったことがあるの(ドレスデンの)アルテマイスター絵画館のラファエロの"システィーナの聖母"の絵葉書。
1964年の東京五輪では、マラソン銅メタルの円谷選手の自刃について、のちにやはり自殺した川端康成と三島由紀夫が崇高な死と称え、遺書についても、うつくしい、まことにかなしいひびきだと川端が書いている。また、今回もノーベル賞を逃した村上春樹がスポーツ誌に寄稿した文章の見出しが。”世の中にオリンピックくらい退屈なものはないのか”。マラソン以外はあまり興味がなかったらしい(笑)。だから、金メタルもノーベル賞もどうでもいいやと思っているかも。
そうそう、いだてんの金栗四三さん。昭和21年から42年まで、毎年秋に鎌倉で全国都道府県対抗鎌倉一周継走大会(通称鎌倉駅伝)が行われていたが、第3回(昭和23年)に金栗四三が審判長として来られた。また、昭和29年12月には、戦後初の国際マラソン”金栗賞朝日マラソン”が鎌倉で開催され、名誉審判長に金栗四三が務められた。第13回から現在の福岡に固定されたとのこと。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
ラファエロのシスティーナの聖母