こんばんわ。
昨日は、はじめてほぼ”日常”に戻ったような気がしてとてもうれしかった。茅ヶ崎図書館は前日から平常開館(椅子席が感染防止のため半減していたが)で、ゆっくりできたし、近くの美術館では特別展が開かれていて、予約なしでも入館できた。ぼくの日常の散歩の中に図書館が入るのと入らないとでは、楽しみに雲泥の差というほどでもないが差があるのだ。
茅ヶ崎美術館の國領經朗展/静寂なる砂の景は、7月1日が初日。入り口で手指の消毒と自動検温をして入場。一階と地下階が展示場。うれしいことに、すべて写真撮影が可能。
國領經朗はどんな画家?ぼくのブログ記事内で探索しても出てこない、ぼくにとっては初めての画家。こういうのが面白い。
はじめに國領經朗(1919-1999)の略歴を。横浜市の生まれで、現・芸大を卒業し、日展で活躍、芸術院賞などを受賞、横浜国大教授も務めた。砂の風景画家として有名。元来、人物画も得意で、初期には点描画の風景も描いた。
本展では、初期から晩年までの作品を約60点、加えて、スケッチや習作なども多数、展示されていて、非常に見応えのある展覧会であった。
ここでは、いきなり第3章の砂の景1:群像表現を中心にから。
風 一人の女性の異時同図的表現。右から三人目の女性が不穏な表情。何を意味するか。その後の連や韻につながる象徴主義的な作風の始まりだという。
若ものたち
遥
轍
砂の上の群像
昼の月 中央の女性が昼の月、うしろ向きの女性が夜の月を表している。
韻(三部作)
連(三部作)
第4章 砂の景II/ひとの消えた風景
1980年代に入ると、國領の絵の砂丘から人の姿が消えていく。油絵でも日本画のような余白の空間が出来ないかを試みていた。一方、ただの自然を描いたわけではなく、そこに人が居た痕跡や気配を描いている。晩年は原発の建設などによる砂丘の衰退を嘆き、自然と人間、社会の関わりに向き合い、表現しようと模索をした。
静止の空間
杜を映す溜水 鳥取砂丘の近くの浜村海岸。森の中央のトンネルは現存する。
碧
呼
薄ら陽の砂洲 亡くなる前年に日展に出品した作品
海の風景(絶筆)これが絶筆となった。未完成である。砂丘の面積が小さくなり、その先の海と空が広い。まるで國領が追及してきた砂丘の世界からの別れを告げるようだ、との評。
では、第1章、2章に戻って。
第1章 初期の仕事
自画像
絵のある坐像 奥さんがモデル
第2章 点描の表現 この時期の作品も好き。
浚渫船建造中
終着駅
すばらしい展覧会でした。
カルガモ日誌(18)母子とも息災。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
今日、明月院へ向かう道でみかけた栗鼠