こんばんわ。
雨の日は図書館で過ごすことが多い。昨日も鎌倉中央図書館の二階の閲覧室で読書した。この階の書棚は地元関係の貴重な本が多く、すべて貸し出し禁止になっている。手にとった本は”虚子探訪(須藤常央著)”。50年間、鎌倉に住んでいた虚子関連の本も多いが、これもその一つ。
著者は静岡に住むホトトギス派の俳人で、虚子の足跡を訪ねる旅日誌である。実はぼくも、15年前にこちらに引っ越してきた頃、虚子ゆかりの場所を訪ね歩いたことがあり、興味深く読んだ。
この本は、まず寿福寺の虚子の墓とその傍にあるはずの愛子の墓を訪ねることから始まる。お寺の裏の矢倉の中にある虚子の墓はすぐ見つかったが、(そばに向き合ってあるのだが小さな墓で分かりづらく)愛子の墓は手間取った。森田愛子は虚子の愛弟子で、29歳で夭折している。美貌の俳人だったようで、虚子の写生小説、”虹”のヒロインとなり、この中で〈虹たちて忽ち君の在る如し〉と詠われた。愛子も、小諸に居た頃の虚子に”虹の上に立てば小諸も鎌倉も”という句をおくっている。ぼくも虚子の墓を見つけているが、当時、愛子の墓の存在を知らなかった。近いうちに是非。
寿福寺
これは、政子と実朝の墓だが、虚子の墓も近くの矢倉の中にある。
そして、著者は江ノ電の由比ガ浜駅と和田塚駅の中間の線路沿いにあった虚子の旧宅(虚子庵)を訪ねる。ぼくも探し出したが、その家は他人の手に渡り、せいぜい外から庭の桜と棕櫚の木が見られる程度だった。幹にちよと花簪のやうの花の句はこの桜の古木だそうだ。江ノ電の踏切横に旧居跡の句碑がひっそりと建っている。波音の由比ケ浜より初電車
著者は、そこから鎌倉駅まで歩き、途中、御成小学校に立ち寄る。ここは鎌倉御用邸があったところで、校門は当時のままに冠木門を利用している。その校名の門札は虚子の筆によるものである。ここまではぼくも知っていたが、さらに著者は元教員らを訪ね、細かないきさつを探る。虚子の孫が小学校を卒業したときに書いたもので、もう一つの御成中学校の門札も書いた。当時、同じ敷地内に中学もあったそうで、丘の上に移転したとき門札も移動した。現在の門札は二代目のレプリカで、初代は両方並んで、小学校内に展示されているようだ。
御成小学校の正門
虚子の筆による門札。一字ずつ半紙に書き、それをうつしたようだ。
こちらに、御成中学校の門札が架かっていた。当時、盗まれたという噂もあったそうだ(笑)。
これは、虚子探訪とは関係ないが、正門を入ってすぐ横に鎌倉図書館があった。建物は保存されていたが、現在、耐震改修工事が行われている。おなり子供の家に生まれ変わる。
昭和26年頃の旧鎌倉図書館。現在地はここから数分ほどのところ(中央図書館)。
改修後の想像図。
”虚子探訪”は、そのあと、瑞泉寺の舞踏家、武原はんのお墓の横の虚子の句碑(花の旅いつもの如く連立ちて)を訪ねて、さらに大仏次郎の旧宅へと、幅広い虚子の師弟・交友関係など興味深い事実が明らかになるのだが、またの機会に。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!