こんばんわ。
半月ぶりに明月院を訪ねた。あのとき咲き始めていた笹竜胆はもう見頃になっているはず、と。予想通り、竜胆苑は満開の見頃になっていました。
茶室・月笑軒の秋明菊はまだ残り、一方、紅葉が染まり始めていた。
本堂裏の庭園の紅葉はまだまだ。半月後か。ここは鎌倉有数の紅葉の見処。
今日は十三夜月。明後日の皆既月食・満月に向け、着々。
紅葉と十三夜月。
十三夜月と木星(右上)
では、おやすみなさい。
いい夢を。
こんばんわ。
半月ぶりに明月院を訪ねた。あのとき咲き始めていた笹竜胆はもう見頃になっているはず、と。予想通り、竜胆苑は満開の見頃になっていました。
茶室・月笑軒の秋明菊はまだ残り、一方、紅葉が染まり始めていた。
本堂裏の庭園の紅葉はまだまだ。半月後か。ここは鎌倉有数の紅葉の見処。
今日は十三夜月。明後日の皆既月食・満月に向け、着々。
紅葉と十三夜月。
十三夜月と木星(右上)
では、おやすみなさい。
いい夢を。
おはようございます。
先週の大河ドラマ”鎌倉殿の13人は”和田合戦(義盛、お前に罪はない)”だった。和田義盛の乱とも呼ばれているが、北条義時にはめられ、滅ぼされたという感もいなめない。
和田義盛は幕府の軍事・警察を担った侍所の別当も務め、幕府内で最大勢力を誇る三浦一族の親分格でもある。一族のいとこの有力御家人、三浦義村の寝返りさえなければ、勝てた戦さだった。それだけ、その後14代までつづいた執権北条家にとっては最大の危機であった。
鎌倉駅から江ノ電で最初の駅が”和田塚”で、その近くに和田塚がある。”鎌倉殿”を見た翌日、久しぶりの訪ねたが、珍しく、見物人が数人いた。大河ドラマの紀行編でここが紹介されたためだろう。
このような角の小高い緑地内にある。ここは、和田一族の最終決戦地になった由比ガ浜にも近く、ここで埋葬されたと伝えられる。
ここに和田一族の墓がある。
”和田一族戦没地”の碑が建てられている。
説明文
最近、奥富敬之著の”三浦一族”を読んだ。和田合戦についても詳しいので、それを紹介しながら、合戦主戦場を歩いてみよう。
和田塚から山側へ少し歩くと六地蔵の交差点に出る。六地蔵の前は若宮大路に繋がる由比ガ浜通り(当時は長谷小路)。今来た道をそのまま六地蔵の左をまっすぐ行く道が武蔵大路である。
六地蔵
奥富敬之の”三浦一族”によると、由比ガ浜近くまで押され、形勢不利となっていた和田軍だったが、戦況の挽回をはかるため義盛の三男義秀(朝比奈三郎義秀)が50騎ほどをまとめ、この武蔵大路を上がり、寿福寺横の窟堂道を入り、幕府側の惣門を目指した。ここを守るのは本来、三浦に味方するはずだった御家人だったこともあり、反撃されず、ゆうゆうと幕府南庭に攻めいった。義秀は歯向かう名だたる御家人たちを次々と斬り伏せ、その凄まじさが”神のごとき壮力”と称えられた。しかし、実朝も北条義時もすでに御所を抜け出し、裏手の頼朝・法華堂(ドラマでは八幡宮)に移動していた。義時殺害の目的を果たせず、義秀の御所制圧はわずかな時間で、たちまち、新たな北条軍に攻め入られた。
義秀奮戦の模様はドラマでは出てこない。顔だけちらり。和田義秀(栄信)。
義秀軍はなんとか若宮大路を経て、由比ガ浜に退却した。和田軍はもうこれまでと思ったが、突然、由比ガ浜に援軍(横山党三千騎)が現れ、復帰、猛反撃を開始した。若宮大路、中の下馬橋(鎌倉駅付近)に陣を構えていた北条泰時軍は八幡宮の石橋まで後退。さらに和田援軍(西湘武士団)の知らせもあり、和田軍の逆転勝利は目前にあった。
しかし、決死の義時の策(実朝の御教書)が功を奏した。西湘武士団が北条側につき勝負を決した。由比ガ浜に追いつめられた和田軍は全滅するが、義秀軍は手勢500騎と共に船6艘に乗り込み、房総方面に逃亡した。その後の行方は分からないが、高麗説もある。
”源平盛衰記”では木曽義仲の敗死後、捕虜になった巴御前を義盛が望み、義秀が生まれたことになっている。しかし、義秀の生年(『吾妻鏡』に1213年の和田合戦の時点で38歳とある)が義仲の滅亡以前であることから、この話は創作であるという説もある。巴御前は91歳まで生き、木曾義仲と和田義盛の菩提を弔うために小田原に善栄寺を創建したと伝えられる。是非、訪ねてみたい。なお、義仲寺でも義仲と並んで巴御前のお墓がある。
六地蔵から長谷小路を少し歩くと、主戦場の若宮大路に出る。
第一鳥居(石造)の前に出る。前方を少し行くと由比ガ浜。手前は八幡宮につづく。
ついでながら、第一鳥居の脇に畠山重忠の墓がある。やはり義時の謀略で滅ぼされた。この辺りに屋敷があったようだ。
第一鳥居から第二鳥居に向かう。鎌倉駅前の交差点。この辺りに泰時の陣があった。横山軍の反撃に合い、八幡宮まで後退する。
第二鳥居。
ここから第三鳥居まで段葛がつづく。桜道。前方に八幡宮。
第三鳥居の手前に北条泰時の屋敷があった。その遺跡が残っている。
第三鳥居の前で応戦した北条泰時軍。鳥居の右側を行くとすぐ義時の邸宅(現宝戒寺)、さらに御所も近い。御所の裏手に実朝が隠れた頼朝の法華堂がある。
由比ガ浜。つわものどものゆめのあと。今年の初日の出は由比ガ浜で拝む。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!