気ままに

大船での気ままな生活日誌

お彼岸の東慶寺は秋色に染まっていた  なんと十月桜も

2007-09-23 08:25:13 | Weblog
お彼岸ですね。ふらりと半月振りに、北鎌倉の東慶寺を訪ねました。驚きました、ちょっとみぬ間に、境内はすっかり秋色に染まっていました。

まず、思いのほかたくさんの真っ赤な彼岸花、これがちょうど見頃になっていました。♪赤い花なら曼珠沙華 カケコミお寺の ジャガタラお秋♪でしょうか。そして白花彼岸花も。曼珠沙華の向こうには、”吾も亦 紅なりと ひそやかに (虚子)”の吾亦紅(ワレモコウ)が、ここでは、”ひそやかに”でなく彼岸花に負けずに、”はれやかに”咲いています。

そして♪淡紅(うすべに)の秋桜が秋の日の何気ない陽溜りに揺れている♪。 もちろん、秋の七草の三羽がらす、萩、女郎花、すすきも、”お控えなすって、てめーしょうごく、と仁義をきっています。加えて、鮮やかなピンク色のオオケタデ(大毛蓼)、大きな白花のジンジャー、咲き始めのうす紫のホトトギス、玉紫陽花、秋明菊、秋海棠も、あたい達も忘れないでね、と。秋の花々のオールスター競演です。

墓地も花盛り。お彼岸の仏花で、秋の花々がいっぱい。小林秀雄さんのお墓も、りんどう、ススキ等の秋の花束で飾られていました。お参りをしての帰りみち、山門前の書院の庭の方からオイと呼びかけられたような気がして振り返りました。書院の庭は板塀で囲まれ、中の様子は外からはうかがいしれません。でも、塀のすきまがあり、そこから、”なにやらゆかし”の雰囲気が漂ってきます。ボクはフェロモンに誘われる虫のように、ふらふらとそちらに引っ張られていったのでございます。

塀の向こうの、小町娘の行水をのぞくかのように(汗)、そっとその隙間に目を近づけました。すると、な、なんと、さ、ささくら、サクラ、桜、ボクが死ぬほど好きな桜が咲いているではございませんか。♪さくら さくら 弥生の空は みわたすかぎり・・♪ボクはあたりを憚らず歌い始めて、はたと気づきました。今は弥生三月ではない、たしか、九月長月のはずだ、とすると、この花は、狂い咲きか、はたまた幻か、自分のアタマが狂い咲きなのか・・ボクのアタマはしばらく混乱状態に陥ってしまったのでございます。

そ、そうか、今は九月だけれど、十月桜が咲き始めたのかもしれない、ボクは漸く正気を取り戻しました。ボクの散歩道のいたち川のは、数日前はまだ一輪も咲いていなかったけれど、ここのは早咲きなのだろう、ボクは走って、山門前の受付の人に聞きに行きました、やっぱり間違いなく十月桜でした。

そうか、きっと桜好きの小林秀雄さんの魂が桜の樹に乗り移って、みんなが集まるお彼岸に花を咲かせたのだろう、そうにちがいないと思いました。でも塀の内側で誰も気づかないと思いますよ。”のぞき窓ここです、美女が行水してます”と案内を出しておくといいと思います。

たくさんの秋の草花だけではなく、思いがけず、ボクの大好きな十月桜まで観ることができ、本当に、死ぬほど(彼岸なので)嬉しい一日だったのでした。

・・・
写真はのぞき窓から撮った十月桜です。裏窓の桜です。











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大相撲九月場所の風景

2007-09-22 10:24:44 | Weblog
大相撲九月場所12日目。ひいきの稀勢の里が、もう7敗、小結維持のためには、ひとつも負けらないところまで追いつめられているのです。応援のため、万難を排して(uso)両国国技館に行ってきました。お昼前に到着。まだ席に余裕があるようで、お気に入りの椅子席(端っこの席)を確保でき、ゆっくり相撲見物ができました。

フライドポテトをつまみに生ビールを飲みながら、序の口、序二段、幕下の対戦を観戦。むかし、若き日の若貴兄弟が幕下で注目を浴びている頃、この時間帯で応援したことがあります。現在はそうゆう、注目力士はいませんので、神奈川出身(小田原とか横浜とか結構いるのです)の力士を応援していました。

2時頃から、相撲見物の楽しみのひとつ、力士の入場風景を見に行きました。関脇以下の力士の、着流し姿を直にみることが出来ます。結構女性フアンも多いです、年齢層も幅広いです。人気力士が入ってくるとあちこちから、頑張ってねと声がかかります。握手を求める女性(男はいないです)もいます。

ボクのお目当ては、稀勢の里、豊真将、それに今場所のスター、豪栄道豪太郎です。紺の着流し姿の稀勢の里が、豊の島と一緒にタクシーから降りて、入場してきました。相変わらず、無愛想な顔(笑)でうつむきかげんでこちらに歩いてきました。あれ、ちょっと元気がないなと思いました。豊真将は、カワセミの羽根の色、翡翠色の鮮やかな着流し姿です。歓声も多く、若い女性が近寄って握手をしています。なかなかの人気者です。礼儀正しい力士ですので、笑顔で応じます。豪太郎はなかなか現われません、もう、すべての役力士は入って来ているのにおかしいなと思っていると、門の方でわあっと歓声が上がりました。豪太郎です。名前の通り、大物ですね、豪毅な男です。遅刻すれすれだと思います。しぶい、明るい鼠色の着流し姿です、役者にしたいようないい男です。

土俵見物に戻ると、もう十両の対戦に入っていました。ちょうど、把瑠都が片山を破ったところでした。十両優勝が決まった瞬間をみることができました。そして幕内土俵入り、白鵬の横綱土俵入りと、華やかな”儀式”が続きます。外国のお客さんが身を乗り出して観ていました。

幕内の取り組みが進み、いよいよ最大のお目当て、稀勢の里、出島戦。仕切りする東の、稀勢の里の顔が、西側のボクの席からよく見えます。ぱしっと身体をたたく音、時間前の紅潮した顔、緊張感がびしびしとこちらに伝わってきます、テレビ観戦では味わえない緊張感です。立った、よし互角の立ち会いだ、ああああああ ぎゃふん ごくん(苦いビールを呑み込んだ音)。入場のときの悪い予感が当ってしもうた、負け越し決定、小結陥落決定。とほほのほ。

でも次ぎの豊真将がやってくれましたね。安美錦を接戦で制し、見事7勝目。これで勝ち越しは間違いないでしょう。稀勢の里に代わって小結になってもらえれば、ボクの傷ついた心は癒されます。そして、豪太郎は千代大海と。堂々と真正面からぶつかる、あああ ぎゃふん ごくん(こんどは苦い日本酒)。無念の3敗目。優勝戦線から一歩後退。でも これは仕方なかっぺ。まだ新入幕なんだから。そして結びは熱戦、琴三喜を破り、白鵬2敗を守る。

ふと見上げると、ここ数年の優勝額がぐるりと土俵を見下ろしていました。ボクの頭上の額はほとんど朝青龍のでした。ボクは、稀勢の里をいじめる(笑)朝青龍に対し、いつも、こてんぱんに悪口を言っていますが、それは逆に言えば、彼のヒール的存在感を評価していることなのです。憎まっれこなしの、第一人者抜きの、今場所の相撲はちょっと寂しいなと思いました。一方、豪太郎のようなイキの良いお相撲さんが出てきました。

大相撲の風景も、今の季節のように、少しずつ移り変っていくようです。



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”マリー・アントワネット”を観る

2007-09-21 08:15:29 | Weblog
近くの鎌倉芸術館で「マリー・アントワネット」が上映されていましたので観てきました。ソフィア・コッポラ監督、キルスティン・ダンスト主演です。コメディタッチの面白い映画でしたよ。

マリー・アントワネットというと、浪費に明け暮れ、窮乏に苦しみパンをよこせと要求するフランス国民に「パンがなければケーキを食べればいいじやない」と言い放った、傲慢な王妃という印象です。でもこの映画は、ずいぶん彼女を好意的な目で描いています。

オーストリア皇女のマリーは、のちにフランス国王になるルイ16世王子の元に嫁ぎます。政略結婚と知っていますが、天心爛漫な若きマリーは面白そうね、という感じでベルサイユ宮殿に乗り込みます。でも、待っていた宮廷生活は予想外。自分の自由はほとんどなく、何から何まで(寝起きの着替えまで)侍女たちが世話をします。それに、母親のマリア・テレジアから早く子供をつくらなければ、結婚の意味がないと急かされますが、ルイの方には全くその気がなく、趣味の狩猟や錠前はずし(笑)にうつつをぬかしています。回りの侍女たちからの陰口もきこえてきます。それに乱れた国王や宮廷の人達の日常生活も目にします。こんな環境ではこうなるのも仕方がないな、と観客に思わせながら、引き続き、彼女の桁外れの浪費や仮面舞踏会でのイケメン侯爵との密会などの自由奔放な彼女の宮廷生活が描かれます。

そして、ルイに突如やる気が出て(笑)ようやく子供が出来ます。ベルサイユを離れ、隠れ家のような、田舎のパレスで生活を送るようになります。波乱の彼女の人生の中で、はじめておとずれた平和な日々でした。でも、それも長くは続きませんでした。フランス革命にその後進展する暴動がおきてしまうのです。その時、マリーが冒頭の有名な言葉を発したということになっていますが、映画では、彼女に”そんなこと言ってないわ”と言わせています。たぶん革命派のつくり話だとボクも思います。そして、映画は、マリー・アントワネットがベルサイユから処刑の待つパリに向かうところで終わります。

あらすじだけ読むと暗い映画のように思われるかもしれませんが、ほとんどコメディです。明るいマリーを見事に演じたキルスティン・ダンストがよかったです。楽しい映画でした。

・・・・・
この映画は「かまくら銀幕上映会」によって上映されたものです。これまで藤沢湘南オデヲン主催で月1回ペースでここ鎌倉芸術館で上映されてきたのですが、藤沢オデヲンがこの3月に71年の長い歴史を閉じてしまい、しばらく中断していたのです。ありがたいことに、ドリーム・アーツ・ピクチャーズという団体が継承してくれることになったのです。次回はチャン・ツィイーの「女帝」、爺会(いえ次々会です)は、ダイアナ事件を扱った「クイーン」です。今日のも含めて”女王三部作”みたいですね。もちろん、全部観ますよ。

・・・
写真はマリー・アントワネットが少女時代を過ごした、ウイーンのシェーンブルン宮殿です。一昨年、ここを見学しました。そこに飾られていた、宮廷画家が描いた、母親のマリア・テレジアを囲んだたくさんの子供達の絵を思い出しました。ガイドさんが子供たちの一人を指さし、この子がマリーアントワネットだと教えてくれました。無邪気なとても可愛い子でしたよ。
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秋知草

2007-09-20 10:29:42 | Weblog
中秋の候になり、萩が咲き始めましたね。萩の別名に「秋知草(あきしりぐさ)」があることを、山下景子さんの「花の日本語」で知りました。それに萩とゆう字を分解してみれば、草冠に秋です。秋を代表する花と認められたようなものですね。万葉集でも,一番たくさん詠まれた花です、梅、桜より上なんですね。欧米人にはこの良さが分らないそうです、なんでこんな地味な花がと思うそうです。ボクは、きっと日本の暑い夏を知らない人には、秋を知らせる草のよさが分らないのではないかと推察しています。

鎌倉のお寺の秋知草を訪ねてみました。北鎌倉駅で降りて、円覚寺に入ってみました。ここの松嶺院で、いろいろな品種の萩がみられるのです。でも、この日も閉まっていました(最近開いていないことが多いのです)。それで、鎌倉街道を少し上り、亀ヶ谷切り通しの道に入りました。すると、すぐ右側の、長寿寺の垣根に、たくさんの萩が、赤、白、そして赤白まだらの花々を誇らしげに風に揺らしているのが目に入りました。少し見上げるような位置に植えてありますので、萩のうつくしさのひとつ、しなやかな枝振りもたっぷり鑑賞できます。

そして、海蔵寺。山門前の石段両脇に被さるように咲く、赤と白の萩が一番の見所です。よく雑誌にも出てくる風景です。まだちょっと早いかなと近づいてみると、落ちている花びらもあったり、一方つぼみも結構残っている状態でした。雑誌の写真にはもう少し後かなと思いますが、ボクはこれぐらいが好きなのです。自分みたいな、未熟者が好きなのです(笑)。山門をくぐると、ボクが好きな、のっぽの紫苑がもう、一株だけですが、うすい紫色の花を咲かせていました。♪咲かせて咲かせて紫吐息♪でした。境内にも、萩がいくつかあり、桃色(赤と白のまだら)の萩が、♪咲かせて咲かせて桃色吐息 あなたに 抱かれて こぼれる華になる♪と詠っていました。そうかと、そっと触ってあげましたら、本当にはらはらと花びらがこぼれました。花にも心があるんですね。

それから,浄光明寺。ここの萩は、自然ぽく何気なく、植えてあり、とても風情があります。のびのびと育って、好きな花を咲かせてるとゆう感じですね。植物もきっと、人間と同じで、管理されるのが嫌いなのかもしれませんね。そういえば、ここの彼岸花も円形の花壇風なところのはまだ、大部分は、ひょろひょろして、わずかしか咲いていないのに、管理区域外(笑)の彼岸花は、みな元気に真っ赤な曼珠沙華を披露していました。♪赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるジャガタラお春♪ 雨は降っていなかったですが、ちょっと思い出した歌です。

不動堂前の石段に腰掛け、誰もみていないと思って行水をしている小町娘のように、のびやかで、うつくしい萩をしばらく眺めていました。誰もいないと思っていましたら、うしろの方から声がしました。今年はいい花をつけましたよ、もう一雨くると最高の見頃になりますよ、お寺の関係の方でした。来週あたり、もう一度、訪ねてみようと思いました。

・・・
写真は浄光明寺の秋知草です。
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丸ビルのモアイ像

2007-09-19 11:22:27 | Weblog
東京、丸ビルに、あのイースター島のモアイ像がおいでになられているというので、表敬訪問してきました。モアイ像と言っても本物じゃなかっぺ、とバカにする人がいますが、”本物”ですよ。1991年にポリネシア系の島民グループが島の玄武岩を切り出し、祖先と同じ方法で彫刻し、運搬し、そして、ちゃんと魂入れの儀式まで済んでいるのです、本物と言ってもいいだべ?

ピースちゃん(このモアイ像の名前です、平和の使者とゆう意味が込められているのでしょう)は、丸ビル1Fの吹き抜けのロビーにデンと座っておられました。高さ3メートル、重さ6トンです(イースター島では、最大級のものは高さ20m、重さ140トンのもあるそうです)。ボクの体重が66.6キロ(目標)ですから、約100倍ですね、でもその割には脊がありませんね、百貫デブと言っていいでしょうね(いや6トンデブですね)。よくみると、お腹はボクとそっくり、メタボです。それに出べそです、子供の頃、喧嘩して負けると、悔し紛れに”ばかばかひゃっかんでぶ、おまえのかあちゃんでべそ”と言い返したものです。ピースちゃんは、きっと子供の喧嘩だけではなく、大人の喧嘩も自分の心に引き取り、納めてしまう、そんな大きな心をもっているようにみえました。

ピースちゃんは男か女か、気になりました。むかしから男は戦争、女は平和と相場が決まっていますから、”平和の使者”なら女性でしょうね。そう思って、改めて像をみますと、チチが小さいです。でも女性でもボインだけではない、ナインやコインはいくらでもいる、ノーミソがない分、そっちに回るのよとワイフが負け惜しみを言っていたこともあるし、決め手にはなりませんね。そういえば、我が国の仏像だって、ボインの江ノ島の弁天様みたいな例外はありますが、普通は男か女は判別しにくいですね。ピースちゃんも中性としておきましょう。

お顔を拝見しました。大きな眼が印象的です。茶川一郎(50代以上なら知っているはず、てなもんや三度笠やトンマ天狗など)のぎょろ目といってもいいでしょう。イースター島には現在も1000体以上のモアイ像が残っていますが、建造時にはみな、こうゆう目玉がついていたそうです。視線は、はるか遠くをみています。時空を越えたなにかを観ているようです。でもちょっと哀愁を漂わしている目が気になりました。

イースター島はむかし大きな椰子の木々が生い茂る、生き物たちの楽園でした。それが、巨大なモアイ像を作るようになってから、何世紀にも渡り、運搬用に木々を切り倒し、自然破壊が進みました。そして、狭い島内の資源をめぐり種族間の争いが絶えず、結果として島民のほとんどが消滅してしまったのでした。

ピースちゃんはそんな昔を思い出しているのかもしれません。もしかしたら、今の世界を嘆いているのかもしれません。この東京だって、江戸時代には世界一のグリーン都市だった、それが今は巨大な高層ビルで覆われている、ピースちゃんを呼んでくれた丸ビルだって、いってみれば巨大なモアイ像だ、もっと遠くをみれば、熱帯雨林でも、中国でも、アフリカでも恐ろしいほどの環境破壊が進行している、生き物たちが悲鳴をあげているのが聞こえないのかおバカさん。資源が少なくなれば、取り合いの戦争になるのがわからないのか、のーたりんのとんまてんぐ。

よくみると、ピースちゃんは、パッチリ目のほかに、立派な鼻と耳をもっています。でも、口はあるのか、ないのか分らないくらい印象がうすいのです。この世の中のことを、良く観、良く嗅ぎ、良く聴いているんですね、その結果、こんなレベルの低いやろうども(おんなどもも)には話しても無駄だ、バカは死ななきゃ直らないと、口をつぐんでいるんでしょうね。とほほのほ。









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もう負けられない 稀勢の里

2007-09-18 08:29:21 | Weblog
昨日の敬老の日、大相撲九月場所は9日目を迎えました。ボクはこの日を心待ちにしていました。ひいきの稀勢の里が、宿敵、琴欧州と対決する日だったからです。ボクにとって、一番憎っき関取は朝青龍で、次ぎがこの琴欧州なのです。どちらも稀勢関に対し土俵上でひどい仕打ちをしたり(朝青龍)、だましの立ち会いをしたり(琴欧州)するのを何度もみてきたからです。だから、稀勢関がどんなに成績が悪いときでも、このふたりの”悪代官力士”だけは是非、土俵上で成敗して欲しいのでございます。今場所は、そのうちのひとりは座敷牢に服していますので対戦はありません。

豊真将が千代大海を破り、大相撲の末、豊の島が琴光喜に土をつけ、いよいよ対決です。解説者も連続して大関が負けるのをみている琴欧州の心中は穏やかではありませんよ、とボクが喜ぶようなことを言ってくれます。

さあ立ち会い。立った!また飛ぶか、飛んで飛んでイスタンブールか、いや飛ばない・・ななななんと、今度はもぐってもぐってカッパドキアじゃないですか。クククククッ・・あんな大男が低く出る必要ガドコニアルノダ、ヒキヨウモノデガンス・・またしてもやられてしもうた、あっとゆう間に土俵の外へ。とほほのほ。

そんな状況のときは、逆に稀勢関が飛んで飛んでイスタンブールでいいんでありんす、相手によっては”君子豹変ス”でいいのダス、目には目を、歯には歯でごわす、悪代官には何をやっても許されるのでやんす、おしりかじり虫に悪代官のおしりを噛みつかせ、腰をふらつかせるのもひとつの手だっぺ、稀勢関のお腹に、ブルガリアヨーグルト食べながら、ウインクしているドキンちゃんの絵を描いて、悪代官の気をそらすのいいだべ。
・・・

せっかく小結復帰した稀勢関ですが、勝ち越しが微妙な状況になってきました。もう負けられません。上位陣では琴光喜戦だけが残っています、悪代官の兄弟子ですので、これだけは是非破って欲しいのです。そして下位陣にも取りこぼしのないように頑張って欲しいです。とくに今夕の豊真将戦は重要です、ボクはこの力士も稀勢関の次ぎに好きなのです、でも今日は稀勢関に花をもたせてねと電話しておきましたから大丈夫でしょう。

おわりに、恒例の(笑)有力力士予想星取表を載せます。前回より予想屋としての腕が上がっているといいのですが・・千秋楽に自己評価表を作成しますね。


・・・
予想星取り表           

白鵬     13勝2敗  優勝
千代大海  11勝4敗
琴欧洲    9勝6敗
琴光喜   10勝5敗
安美錦   11勝4敗  技能賞
朝赤龍    7勝8敗 関脇陥落
稀勢の里  8勝7敗  小結維持
安馬     9勝6敗  殊勲賞 関脇復帰
豊真将    9勝6敗  新小結昇進
琴奨菊    7勝8敗
豊ノ島     9勝6敗
豊響      9勝6敗
栃煌山    11勝4敗
豪栄道    12勝3敗  敢闘賞
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流鏑馬の日は、結婚記念日だった

2007-09-17 08:47:33 | Weblog
八幡さまの流鏑馬が午後1時からあるというので、ワイフといそいそ出掛けました。昼食は最近よく利用する、鎌倉駅に近い、中華の山下飯店に決めていました。五目焼きそばとチャーハン、それに餃子を頼むつもりでお店に入りました。12時前だというのに、ほぼ満席でした。

いつもは大部屋に案内されるのですが、そこが混んでいたようで、囲いのある”個室”のテーブルに案内されました。とても落ち着く席です。ボクはこうゆう席に案内されると、ゆっくりしたいと思い、必ずお酒を頼んでしまいます。

てなわけで、ボクは冷酒を、ワイフには無理矢理(笑)、生ビールの小を頼んだのでした。そして、お料理も変更、二人で4品となるランチメニューを。お酒もきて、乾杯しようとすると、ワイフが”今日は9月16日だよね、結婚記念日だ”と声を発します。

我々夫婦は、結婚記念日を(バースデーも)特にお祝いをしない習慣ですので、今の今まで気づきませんでした。じゃー、この昼食をお祝い会にしようと、おめでとうの乾杯をしたのでした。でも、その後の会話に結婚記念日関連の話題はゼロ、淡泊な夫婦です。

流鏑馬の日が結婚記念日だった、このことに気づいてボクはなんだかとても嬉しくなりました。ボクらが結婚式を挙げたときは、9月16日とゆう日は何の意味をもっていなかったのです。せいぜい、語呂合わせの好きなボクが、9月16日は”悔い無い日”(悔いは9、1、無は”六つ”)と得意そうに友達に話していたことくらいだったのです。

そして、30年もの月日が流れ、結婚当時は考えもしなかったけれど、2年ほど前から、ボクらは八幡さまのある鎌倉市に住むようになりました。”流鏑馬の日に結ばれた子、この指とまれ”と八幡さまが呼んでくれたのかもしれませんね。ボクの推測では、新たに鎌倉市民になった人の多くは9.16関係者だと思います。

ボクらの結婚式の日は、こんな暑くなかったはずだと、なるべく日影を選んで、八幡さまに辿りつきました。な、ななんと、すごい人出。これでは馬上から矢を放つ流鏑馬の肝心な場面を観ることができません。近くの巫女さんに、”ボクらは流鏑馬の日に結婚したものであるぞよ、特別のお席を用意してたもれ”とお願いしたのですが、”馬小屋レストランの窓側の席なら開いてございます。人参サラダ、乾し草スープが人気でござりまする、舟和の馬糞羊羹もぱさぱさした食感がたまらないと、食通の方や創作お菓子研究家の方がよくお見えになります”とケムに巻かれてしまいました。さすが、ここの巫女さんは違う、と思いました。

1時開催と言っても、なかなか始まりません(実際は見えない所で神事が進んでいるのです)”源頼朝がなんだらかんたら・・””Minamoto Yoritomo iiotoko izu no nirayama de masako to iinakani kekkon kinenbi wa kyo(uso)・・”と日英両国語で説明が長々と続きます。外人観光客が結構多いのですよ。

そして漸く2時過ぎに。たたたたたたたっと弓を張った射手を載せた馬が駆け抜けて行きます。でもボクらの視界はわずか前方の5メートルだけです。あっ、という間に視界から消え去ります。すぐその後、”第三の的命中~”と言うアナウンスの声と観衆の大歓声が聞こえてきます。

文治三年(1187)から源頼朝公により始められた、800年もの間受け継がれてきた、伝統的な流鏑馬神事を祝うことができ、それも、ボクらの結婚記念日と一緒に祝うことができ、とてもハッピーな1日だったのです。

・・・
デジカメの電池が切れていて、流鏑馬風景を撮ることが出来ませんでした。そこで、以前撮った、八幡さまの舞殿で行われていた結婚式の写真を載せることにしました。この日も、この舞殿で流鏑馬神事の一部が執り行われていましたよ。
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院展 in 上野

2007-09-16 10:46:23 | Weblog
上野の都美術館で開催されている再興92回:院展を観てきました。いつも仲良く同時開催していた二科展は今年から六本木に移り、ちょっぴりさびしいですね。「可愛い妹のニカテンちゃんが、六本木の金持ちじじいにさらわれちゃったの」とお姉さんのインテンさんが嘆いていましたよ。

ボクはムカシから日本画が好きで、この院展は、欠かさず・・でもないけれど、出来るだけ観に来るようにしていました。今回も油断をしていましたら、開催日があと1日しかないことに気づき、昨日、松坂登板のヤンキース戦があったのですが、涙を飲んですっぽかし、上野へ出掛けたのであります。

会場に入ると直ぐに、ボクの頭はほんわかモード。夢の世界へ。LB階展示室のはじめに、平山郁夫(同人)の大作「古代ローマ遺跡、エフェソストルコ」。すうっーと、2000年前の古代の風がボクの顔をかすめていく。石村雅幸(茨城)の「揺影」。1000年も生き続けた老木の幹が、ボクに親しげに話しかけてくる。梅原幸雄(同人)の釈迦十大弟子。十大弟子より両脇の美女の胸元に目移りがする(汗)。

1階展示室に豪華3点セットが並ぶ。下田義寛(同人)の「暁光」。白雪の富士山と暁光、そして青い山影、ボクの前に清らかな空気が漂ってくる。後藤純男(同人)の「初春遊行俯瞰図」。屏風仕立ての満開の桜。どこまでもどこまでも花花花、そして見え隠れする枝のうつくしさ、空は輝く金色。滝を描かせたら右に出るものはいない、今回は花びらの滝だ、とボクは思う。那波多目功一(同人)の「惜春」。牡丹の、生き生きした花と散り始めの花が5輪、地面に散らばっている花びら。諸行無常のひびきあり。

その他、倉島重友の「竹林風景」、伊藤みさと(無鑑査)の「樹ー初夏」、速見敬一郎の「夏休み」、戸塚の「憩いの森」などの作品が気に入りました。多くはほのぼのとした、植物を中心とした風景画です。亡き東山魁夷画伯の、森や草原の一本道みたいな絵がもともと大好きなのです。

2階展示室には初入選の方とかの、若手の作品が中心でした。いくつか、少し気に入ったものがありましたが、フアンになるにはちょっと”不安”でした(笑)。

満足して、美術館を出ました。そして、東京駅前の丸ビルに寄って、是非、見てみたかったモアイ像を仰ぎみ、沼津漁港の寿司屋さんで昼食をとり、丸ビル前で演奏していた横浜ロイヤルパークホテルオーケストラのジャズ演奏を聴いて帰りました。






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浅く契る

2007-09-15 08:23:07 | Weblog
若い頃、「浅く契る」という言葉が気に入って、以来、ボクは呪文のようにこの言葉を唱えてきた。人間関係が深入りしそうになると、この言葉が心に浮かんできて、身を引いた。ずかずかと自分の心の中にまで入り込んで来るような人からは意識的に離れるようにした。もちろん、自分が他人の心の中を覗き込むようなことはしない。

まるで兄弟のように、始終つきあい、互いの何から何まで知り尽くしているという友人関係を別に否定するわけではない。そういう関係は、自分の好みではないというだけのことだ。

「浅く契る」人間関係でも信頼できる友人はもちろんできる。そうゆう友人とは煩雑に会って互いの意志を確認する必要はない、5,6年会わなくても、どうということはない。また、たまに会っても、ぺちゃくちゃ喋る必要もない。

そんな友人の一人が昨日、訪ねてきてくれた。ボクの現役のとき以来だから、3年振りぐらいだ。時間どおり、大船駅南口で彼は待っていた。手を挙げると、こぼれるような笑顔が返ってきた。すぐ、3年の月日は飛び去っていった。

鎌倉駅からバスで浄妙寺に行き、そこの境内にある庭園レストランで鎌倉ビールを飲みながら、昼食をとった。そして竹の寺、報国寺を散策し、裏道を抜け、萩の寺、宝戒寺へ。白萩がようやく咲き始めていたが見頃はもう少しあとだろう。でも、白い彼岸花が満開で、満面の笑顔で友を迎えてくれた(写真)。

八幡宮は例大祭が始まっていた。鎌倉囃子が遠くに聞こえる。3日目に予定されている流鏑馬の馬場ももう出来上がっていた。中学の修学旅行以来だという友は、30年も前から使っているニコマートで、舞殿やら本堂やら源平池のハスの白い花などを撮っていた。

小町通りで彼の郷里出身の画家のギャラリーをみつけ、しばらくお店の人と話し込んでいた。駅前の”扉”でアイスコーヒーを飲みながら談笑。来春、退職だという。3人の子供はまだみな、大学生、院生で、仕送りしなければならないので、しばらくは働くつもりだと、笑う。

じゃあ、またな、とボクは彼と握手して大船駅を降りた。振り返ると、会ったときと同様、彼のこぼれるような笑顔が、宝戒寺でみた白い彼岸花のような笑顔が、返ってきた。


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吾亦紅(ワレモコウ)

2007-09-14 20:48:46 | Weblog
友と訪れた浄妙寺境内。秋海棠が咲き始めてる、と声をあげると、近くにいたお寺の方が、吾亦紅も咲いていますよ、指をさされた。その先に、まるで実のような、暗い赤紫色の花をいっぱいつけた数株の吾亦紅が青空を背景に、我もまた紅なりと、胸をはっていた。秋だね、と友に語りかける。

帰ってから、最近、本の題名に惹かれて衝動買いした、山下景子さんの「花の日本語」を開いてみる。いろいろの珍しい花の名前の由来をやさしく、優雅に教えてくれる。”吾亦紅。さまざまな説がありますが、一番もっともな説は、花が割れ目をいれた帽額(もこう)のように見えるからという説です。帽額とは神社の御簾の上部に描かれている文様の一種。木瓜とか、か紋ともいいます”とあった。なるほど、割れ帽額か。

そして、面白い説。”昔、紅色の花を集めるように命じられた人のお話。吾亦紅を採らなかったところ、吾亦紅自身が不服を申し立てたというのです。「吾も亦(また)紅なり」と”

華やかさはないけれど、しっかりした自分をもっている、そして、大事なときには、さりげなく自己をアピールする、そんな花なんですね。一層、吾亦紅が好きになりました。

吾も亦 紅なりと ひそやかに 虚子






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