おはようございます。
御上洛東海道という浮世絵が、今、藤沢浮世絵館でずらりと展示されている。個々のは見たことがあると思うが、揃いは初めて。
文久3年、14代将軍の徳川家茂が京都の孝明天皇に開国を言上するために上洛した。なんと三代将軍、家光以来、230年振りだったとのこと。この道中を当時の浮世絵界が総動員で(25軒の版元、国貞、暁斎ら16名の絵師)、総数162枚にのぼる作品をつくった。したがって、広重の東海道五十三次に描かれた宿場町、名所だけではなく、途中の休み処(立場)、新名所なども描かれ、新鮮である。また絵師の合作編などもあり、いろいろ楽しめる。
では、家茂公御上洛のあとを追ってみましょう。ここでは、川崎から箱根までの神奈川県内とします。では、ぼくの第二の故郷、川崎からスタートしましょう。
東海道 川崎 二代・歌川広重
六郷の渡しの場面。すでに行列の先頭は向こう岸に着き、陸路を進んでいるが、行列の本体はまだ川手前にも続いている。後景に富士山が見える。
東海道 神奈川 国貞
神奈川宿の台町の通りを行列が通る。旅人が行列を遠巻きに眺めている。台町の坂には、海を一望できる二階建ての茶屋が軒を連ねている。
東海道 程ヶ谷 其二 歌川芳盛
雨上がりの虹が後景の空に描かれている。画面手前で争っている人足たちは、雨宿りの間に博打をしていたようだ。地面には一文銭が散らばっている。脚絆の柄が違うことから、グループ間の争いであることも伺える。
東海道 戸塚 二代・国貞
戸塚宿から出発しようとする、将軍家茂と思われる人物が描かれている。当時16歳であった若き将軍の姿。
東海道名所の内 江の島 歌川貞秀
引き潮の際にできる砂州の道、洲鼻(すばな)を通り、行列が江の島に向かう様子を描いている。江の島の後景には、相模湾の海岸線が続き、富士山のふもとには箱根山が連なっている。
東海道名所之内 四ツ谷 二代・歌川国輝
藤沢宿から平塚宿へ向かう途中にある四ツ谷の立場(宿場間の休憩所)の風景。四ツ谷の立場は東海道と大山道の分岐として栄え、画面右下の石の道標にも「右大山道」と記されている。背景に富士山と並んで大山が描かれている。
東海道名所之内 鴫立澤 河鍋暁斎
「鴫立澤」と刻された碑の前を行列が通っている。西行が、この辺りの海岸で名歌を詠んだ。心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮 画中でも、画面右 の碑の前に、俳人らしき人物 が行列に土下座をしている。
東海道名所之内 梅澤 暁斎
梅澤は、山西 村(現在の二宮町)にあった東海道の立場。次の小田原宿との間を流れる酒匂川(さかわがわ)が、たびたび増水し川留めとなるので、旅人で賑わった。
東海道名所之内 酒匂川 二代・広重
徒歩渡し(かちわたし)が行われている酒匂川に橋が架けられている 。後景には箱根の二子山。
東海道 小田原 二代・広重
波が大きなうねりをみせる 海沿いの街道を行列が通っている。画面左奥の箱根山のふもとには小田原城が見える。
東海道 ハコネ 湯治 二代・国貞と二代・広重
湯あがりの女性を手前に、後景には箱根の山と湯治場の全景が描かれている。二代国貞が手前の女性を、二代広重が背景を描いたとされる。行列は、箱根の山並みの中の街道を進んでいる。
ぼくの東海道宿場町巡りは、日本橋から箱根まですべてと、静岡の一部は出来ているので、気まま生活の後半戦は、コロナ退治後、京都までの残りの宿場町の全制覇を狙おうかな。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!