気ままに

大船での気ままな生活日誌

樋口一葉展 わが詩は人のいのちとなりぬべき

2021-12-24 19:04:39 | Weblog

こんばんわ。

港のみえる丘公園にある神奈川県立近代文学館で樋口一葉展を見てきた。もう終了してしまっているが、記録だけはしておこうと思って書き始めている。

樋口一葉というと、ぼくは鏑木清方の樋口一葉像をまず思い出す。清方は実際に会ったことはないが、少年のころから憧れていて、”たけくらべ”や”にごりえ”は暗唱するほど愛読していたという。試しに描いた一葉図が、鏡花によく似ていると言われ、一葉の妹さんを参考にしながら、本格的に描いたのが”一葉”だ。展覧会でもこれ(複製だが)が迎えてくれる。

kiyo1940.1.jpg

実際の写真はこうである。雰囲気がよく似ている。

樋口一葉/背景=「たけくらべ」原稿 日本近代文学館寄託
樋口一葉/背景=「たけくらべ」原稿 日本近代文学館寄託

樋口一葉については、10年ほど前に、台東区竜泉の一葉記念館に行っているし、2年ほど前、山田五十鈴が一葉役で、たけくらべのモデルになった近所に住む娘に高峰秀子が演ずる映画、”樋口一葉”を鎌倉で見ているので、ある程度のことは知っている。と、思っていたが、多くは忘れていた(汗)。本展では、子供時代からの一葉史が、豊富な資料、写真などで展開される。

一葉は、明治の半ば、困窮の中、”奇跡の十四か月”といわれる短期間に”大つごもり”、”たけくらべ”、”にごりえ”と宝石のような作品を書き上げると僅か二十四歳の若さで亡くなった。

公式サイトによると、雅俗折衷体で書かれた一葉の作品は、現代人には一見馴染みにくいものかもしれません。しかし、家族制度や女性差別、貧困などのなかで苦闘し続けた一葉の人生、そして作中人物が背負っている闇は、現代社会にも通じる問題を孕んでいます。本展では、一葉の貴重な資料の数々を展示するとともに、時代の空気、作品の背景などをひもとき、その普遍的な魅力を伝えます(公式サイトより)

ここは、いつも写真撮影禁止なので困る。ぼくの手に入る資料や公式サイトの図をお借りして色付けしたい(笑)。

清方の”にごりえ”の挿絵も複製であるが展示されていた。

主人公は銘酒屋”菊の井”の、一枚看板のお力。中肉のすらりとした背格好。天燃の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸をはだけ、立ち膝、長キセルで煙草をすぱすぱの不作法を咎める人はいない。

男ぶりも気前もいい三十男の結城朝之助(とものすけ)と知り合い、お力は三日も来なければ手紙を出すほどになっていた。ある日、二人はしめやかに、話していると、源七が来たと耳打ちされる。(以下省略)

銘酒屋 ”菊の井”の模型も飾られていた。

木村荘八の”たけくらべ絵巻”などの書画等も多数、展示されている。

一葉筆 荒物・駄菓子店の仕入帳 (山梨県立文学館蔵)字がとても上手。ほかに、一葉自筆の原稿、書簡など多数。

一葉筆 荒物・駄菓子店の仕入帳 山梨県立文学館蔵

愛用の笄(こうがい)と髪飾り (山梨県立文学館蔵)ほかに文机、硯、筆立て、着物などの遺品も。

愛用の笄(こうがい)と髪飾り 山梨県立文学館蔵

これは、展覧会にはなかったものだが、ぼくのブログ展覧会には〆で載せようと思う。清方作の”一葉女史の墓(明治33年)”。”たけくらべ”の美登利が、樋口家の墓にもたれる図。 美登利が持つ水仙の作り花は、小説の最終章で、恋しく思っていた信如が修行に発つ日の朝、格子に挿されていたもの。

すばらしい展覧会でした。

では、おやすみなさい

いい夢を。

ルノアールの”座るジョルジェット・シャルパンティエ嬢” 今日は京橋へ行って来ました。

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大谷翔平が「スポーツ史上最高のシーズン」第1位に!

2021-12-23 20:52:22 | Weblog

こんばんわ。

久し振りに大谷翔平選手の記事です。シーズン終了後、MVPをはじめ、数々の賞を受賞してきたが、今回の”勲章”ほど価値あるものはないのでは。これはブログ記事にしておかねばと書き始めている。

老舗米スポーツメディア「スポーティング・ニューズ」のライアン・フェーガン記者が21日、「スポーツ史上最高のシーズンTOP50」を発表。大谷選手が並み居るスーパースターを抑えて第1位となった。

ぼくでも知っている、マイケル・ジョーダン(NBA)、タイガー・ウッズ(ゴルフ)、リネオル・メッシ(サッカー)、シュテフィ・グラフ(女子テニス)らを抑えてのトップなのだ。大谷の”MLBライバル”、ベーブ・ルース(MLB=1921年)でも、11位、競技の二刀流、ボー・ジャクソン(MLB・NFL=1989年)でも7位だった。

これまで、大谷の業績はとてつもないものだと聞かされてきたが、それがどれくらいすごいことなのか、素人にはイマイチだったが、今回、あらゆるスポーツに精通している記者の判定によりナットクした。とにかく、この一世紀スポーツ史上最高の選手のシーズンとされたのだからすごいこと。

以下に、選出されたスポーツ選手と彼らのシーズン記録をここに残しておこう。

1位 大谷翔平(MLB=2021年)  投打二刀流として9勝、46本塁打、100打点、26盗塁でア・リーグMVP  ▼2位ウイルト・チェンバレン(NBA=1961~62年)1試合平均50・4点、25・7リバウンド。得点王7度、リバウンド王11度の名選手  ▼3位 ウェイン・グレツキー(NHL=1981~82年)  92ゴール、120アシスト。アイスホッケー史上最高の選手と呼ばれる  ▼4位 タイガー・ウッズ(ゴルフ=2000年)  全米OP、全英OP、全米プロのメジャー3大会制覇など年間9勝  ▼5位 マイケル・ジョーダン(NBA=1990~91年)  マジック・ジョンソン擁するレイカーズを破り、ファイナルMVP  ▼6位 バリー・サンダース(アメフト=1988年)  オクラホマ州立大3年時にRBとして2628ヤード、39TDでハイズマン賞(MVP)  ▼7位 ボー・ジャクソン(MLB・NFL=1989年) MLBで32発&102打点、球宴MVP。NFLでは4TDと2競技で活躍  ▼8位 トム・ブレイディ(NFL=2007年)50TDパスでシーズン16戦全勝に貢献し、MVP獲得。歴代屈指のQB  ▼9位 リオネル・メッシ(サッカー=2014~15年)57戦58ゴールでバルセロナを3冠に導き、バロンドール(世界年間最優秀選手)  ▼10位 シュテフィ・グラフ(女子テニス=1988年)グランドスラムに加え、ソウル五輪金メダルで初の年間ゴールデンスラム  ▼11位 ベーブ・ルース(MLB=1921年)59本塁打は2番目も177得点&457塁打などルースにとってベストシーズン  ▼12位 バリー・ボンズ(MLB=2001年)年間73本塁打のメジャー新記録を達成。長打率8割6分3厘も新記録樹立。(スポーツ報知より)

大谷選手にとって、これは公式なものではないけれど、一番うれしい”勲章”だったのではないだろうか。おめでとう、翔平。まるで、ほんとに魔法のようなシーズンだった。

魔法のハリーポッターのクリスマスツリーでお祝いしよう。

丸ビルのクリスマスツリー。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

KITTE(切手)ビルのクリスマスツリー

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第62回 2021年 報道写真展

2021-12-23 11:18:51 | Weblog

おはようございます。

日本橋三越で開催されている報道写真展に、今年も行ってきた。報道写真記者の作品を見ながら、今年一年を振り返る。紅白歌合戦ではないけれど、これを見ないと一年が終わらない(笑)。

はじめの二つの写真を見て、お分かりになるように、今年の目玉は、なんといっても東京五輪。ぼくも熱中して、出好きのぼくが、家に籠り、見られる限りの競技をテレビ観戦した。本ブログでも毎日のように選手の活躍をレポし、閉幕式の日には、日本選手メダルベスト10を発表したほどだった(汗)。だから、報道写真展に出てくる写真はすべてその場面をすぐ思い浮かべることができる。ぼくの当時のベスト10記事に写真展のプロの写真を添えてみた。なお、順不同です。

第3位 女子バスケの銀メダル たまたま準々決勝のベルギー戦の1点差勝利を見てから、はまった。なんとフランスも破り、決勝まで進み、米国と対戦。無印が銀メタル!女ルイがすごかった。

第1位 橋本大輝の体操個人総合と鉄棒の金メダル。内村時代を引き継ぐ若手体操陣、団体総合でも銀、そして、19歳の橋本大輝は前述の二冠で早くも、内村の後継者となった。

第4位 水谷 隼 &伊藤 美誠の卓球混合ダブルスの金メダル 決勝で中国と激戦、勝利をもぎとった。伊藤美誠は女子団体で銀、個人戦で銅と三つのメダル。パリで中国を倒したい。

第2位 大橋悠依の競泳200・400個メドレーの金メダル 女子の二冠は史上初。不振の競泳陣でひとり気を吐いた。池江璃花子の復活も印象に残った。(この写真は池江璃花子が中心)

第9位 阿部一二三、詩(うた)兄妹 柔道金メダル 同じ日に達成するとは!パリでも兄妹連覇を!

第5位 稲見萌寧 女子ゴルフ 銀メタル 男子ゴルフで松山が惜しくもメタルを逃したが、稲見は最終日に猛追、一時トップタイまできた。ゴルフ初のメダルはすごい。

こんな場面も印象に残った。悔しさを乗り越え、パリ五輪へ。

歴史に残るコロナ五輪でもあった。関係者の皆様、ご苦労様でした。

大相撲も。コロナで休場力士多数の異例の初場所。

照ノ富士時代到来。宇良のがんばりの相撲が取り上げられた。

白鵬、全勝優勝後、引退。

ノーベル賞

そして、スポーツ界のノーベル賞。大谷翔平。

世界中をびっくりさせた二刀流。ほとんどの試合を見ているので、どの場面かすぐわかる(笑)。

神の手

史上初の大リーグオールスター戦で先発投手とトップバッターを務める。空前絶後。

いろいろ

眞子さん、お元気で。

いつもこのコーナーでしんみり。逝く人。さようなら。

いつも、こちらのコーナーでほっこり。

卵に似ているその頭(笑)

恵方巻のあなご(水族館の節分ショー)

ツキノワグマの赤ちゃん

日本橋三越のクリスマスツリー

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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今年の紅葉狩りのフィナーレは新宿御苑モミジ山

2021-12-22 11:17:33 | Weblog

おはようございます。

11月16日の京都の天授庵から始まった今シーズンの紅葉狩りも、いよいよ12月21日の新宿御苑でフィナーレとなりまする。

来年の目標のためにもまず、今年の紅葉狩りの記録を。京都(天授庵、南禅寺、永観堂、宝厳院、天竜寺、北野天満宮など)、東京(新宿御苑、小石川後楽園、小石川植物園、六義園、根津美術館、外苑前銀杏並木など)、箱根(箱根美術館、仙石原すすき草原など)、横浜(三渓園、岸根公園、山下公園など)、鎌倉十数か所(瑞泉寺、明月院、円覚寺、長谷寺など)と、全盛期の60歳台には及ばぬものの、76歳としては、まずまずの活動であったと自画自賛(汗)。

さて、新宿御苑の紅葉は11月中旬の菊花壇展くらいからはじまり、次々と色づき、最後に12月中下旬にモミジ山が華やかに燃え上がり、フィナーレを迎える。ぼくも、毎年、ここを紅葉狩りの〆としている。

’21年12月21日(いい数字の並び新宿御苑モミジ山

モミジ山は、新宿御苑の千駄ヶ谷門から入り、5分ほど歩く桜園地の先にある。小高い山にもみじの木が約100本、自然林のように生育している。まさにモミジ山。一斉に色づくので、見事な景観である。小石川植物園のモミジ並木と並んで都内もみじの両横綱といったところ。

それでは、モミジ山を一周してみよう。三角形の外周路になっているが、まず、桜園地を抜けるとすぐの底辺に当たる道から。

おお!最高の見頃!

そして、下ノ池沿いの道へ。

どこを撮っても同じように見えるが、撮らざるをえない(笑)。お見事!

振り返って見る。朝一で来たせいか、誰もいない。こんな景色を独り占めしていいのか。

そして、三角形道の最後の辺の道へ。

この道から、ぼくのお気に入りの場所に入る。これ以上ない見頃。これならクリスマス紅葉も見られるかも。

ようやく一人、現れた。

もう二人、現れた。

いつまでも佇んでいたい、今年最後の紅葉狩り。

すばらしいフィナーレ紅葉狩りでした。

お昼は久しぶりに神楽坂で。毘沙門天さま前の鳥茶屋でと思っていたのだが、閉店していた。コロナでいいお店がまたつぶれた。ただ、別亭があり、そこは営業しているようだ。神楽坂は、いい飲食店が多く、散歩の達人、嵐山光三郎が一番、住みたい街はここだって言っていた。元・鳥茶屋の隣りの和食屋さんに入ったが、ここもなかなか良かった。ただお酒がちょっと高かった(笑)。

毘沙門天さま(善国寺)には、珍しい阿吽の二匹の狛犬ならぬ、石虎がいる。来年は寅年、きっと人気になるだろう。”善國寺は毘沙門天信仰から「虎」を重視し、石虎の造立も寄進者らの毘沙門天信仰によると考えられる”と説明版にある。

本堂。堂内には30センチほどの毘沙門天立像が安置されている。”造立時期は室町時代頃と推定されるが、詳しくは不明である。加藤清正の守本尊だったとも、土中より出現したともいわれる”と説明板にある。”神楽坂の毘沙門さま”として江戸時代から信仰を集める。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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鈴木其一・夏秋渓流図屏風

2021-12-21 20:08:10 | Weblog

こんばんわ。今回もすでに終了した(12月19日)展覧会の記事です。ちょうど根津美術館庭園の紅葉が真っ盛りの頃、出掛けた。

根津美術館所蔵の、鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」が、2020年に其一の作品としては初めて、国の重要文化財に指定された。その記念に企画された展覧会である。

本展のテーマが面白い。「夏秋渓流図屏風」が、過去のどのような作品に影響を受け、誕生したのか探るというのである。撮影禁止だったが、ちらしに、それらの作品の写真が載っているので、ここに再現したいと思う。

まず、其一の「夏秋渓流図屏風」。

右隻

左隻

ヒノキ林に群青色の渓流。右隻はヤマユリの咲き誇る夏の景、左隻は桜紅葉の秋の景。単純化されたクマザサ、増殖するようなコケ、真横向きにとまるセミなど、一見写実的な描写に非現実的な感覚がにじみでているという専門家の評。

鈴木其一は師の酒井抱一と並ぶ江戸琳派を代表する画家。一番、影響を受けたと思われるのは、誰が考えても抱一。本展では抱一のこの屏風を挙げた。たしかに、其一の作品?と勘違いすような色彩や形が基一似(笑)。後期展では、重文の名作、夏秋草図屏風(東博蔵)が展示されるが、この青楓朱楓図屏風の方がなるほどと思う。

青楓朱楓図屏風(個人蔵)(酒井抱一)

そして、円山応挙の絶筆とされる重文・保津川図屏風(株式会社千總蔵 )。たしかに渓流が流れる様は似ているが、素人目にはとくに影響を受けたとは思えないが。でも基一がこの絵を見て、インスピレーションが湧いたかもしれない。

一方、江戸時代(17,8世紀)に描かれたという、山本素軒の花木渓流図屏風。これは、青い渓流と緑の苔山、構図はもう真似したとしか思えないほどよく似ている。”模倣は創造の母”といわれるが、其一もこれらの作品を模倣しつつ、其一独自の境地に入っていったのだろうか。

基一の光琳のオマージュ作品も展示されている。三十六歌仙・檜図屏風。

とても面白い展覧会だった。庭園では見事な紅葉と、あの日は素晴らしい一日だった。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

(師走の立待月)

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思い込み

2021-12-21 08:27:51 | Weblog

おはようございます。

1週間ほど前、浄智寺界隈のもみじ道というテーマで記事を書いた。そのとき、この辺りに小津安二郎監督と日本画家、小倉遊亀が住んでいたことも記した。しかし、その居住場所は特定できていなかった。ある程度、情報があったにもかかわらず、こちらに越してきてから17年近くになるというのに不明のままだった。

それが、昨日の北鎌倉散歩で、ひょんなことから、旧居跡を特定できたのだ。実はずっとある思い込みをしていた。浄智寺から源氏山に向かう道沿いにあることは間違いないのだが、左手は山が迫っていて平地も狭く、住宅はポツリポツリといくつもない。一方、右手側には風情ある由緒ありそうな家が並び、こちら側だとずっと思い込んでいた。そして、(結局、それは間違いだったのだが)ある脇道の入り口が小倉遊亀旧居で、その奥に(通行止めになっているけれど)小津旧居があると思い込んでいた。

ひょっとして、山側かもしれないと、ふと思いつき、注意深く、浄智寺の横の道を登った。竹塀側が浄智寺で、そのあと、住宅(一部見えている)がつづく。左が山側で平地がほとんどなく家もない。

浄智寺の竹塀を過ぎたところから、右側に住宅がつづく。さて、その左側に、一軒、竹塀に囲まれた場所がある。家屋はないのだが古い門だけがある。

そして、表札がかかっているので、見ると”小倉”とあるではないか!

これだけでは決め手にならない。右側が大きく開いていたので、廻ってみた。空き地というか、駐車場になっていた。かってはここに小倉邸があったのだろう。そして、山側に、写真で見慣れた隧道がある。思わず、心の中で万歳を叫んだ。間違いない!この隧道の奥に小津安二郎が60歳で亡くなるまで過ごした家があるのだ。隧道は通行止めで、その向こうの様子はうかがい知れないが、山に囲まれたステキな場所なのだろう。小津安二郎が選んだ住宅だもの。

17年もかかったか、と苦笑した。思い込みというものからは、なかなか、抜け出せないものだ、とつくづく思い知った。

先週のブログにも、この門の紅葉を撮って、載せている。一昨年のにも入っていた。(笑)来年からは、旧小倉遊亀邸の紅葉と説明書きを入れねば。

2020年12月15日、知らずに撮っている↓

浄智寺境内の紅葉は終盤に入っていた。

ぽつんと烏瓜がひとつ。まるで小津映画の一シーンのようだった。

小津安二郎といえば、赤が大好き。初めてのカラー映画作品となった”彼岸花”にはふんだんに赤が使われていた。とくに茶の間に”出演する”あの赤いヤカンは有名。場面が変わって、物理的に在るはずのない位置に(目立つように)動いていたという話もあるほど赤にこだわった。

小津安二郎旧蔵「赤いヤカン」映画「彼岸花」のため探してきた ...

遊亀の径(こみち)

小倉遊亀|絵画の買取・鑑定相談・相続査定なら花田美術

今朝の富士山と十六夜の月の朝帰り。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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年の瀬の風物詩、浅草の羽子板市をぶらぶら

2021-12-20 11:49:47 | Weblog

こんにちわ。

若いころから浅草は大好きな街。年とってからも、三社祭、浅草サンバカーニバル、ほうずき市、そして年の瀬の羽子板市は欠かさない(汗)。加えて、年中、寄席はあるし、蕎麦、天ぷら、釜めし、ロシア料理、神谷バーと名店がずらり。ただ、食が細くなったせいか、こちらには寄る回数は減ってきた。

というわけで、昨日、浅草の羽子板市に行ってきました。毎年、羽子板を買うというわけではないが、浅草寺の納めの観音参りをしながら、年の瀬の風物詩をぶらぶら楽しんでくる。昨年はコロナの関係かで行っていないから二年振りということになる。

人出は戻ってきているが、コロナ以前はこんなものではない。

12月17日から19日まで3日間、浅草寺境内に数十件の羽子板の露店が並ぶ。

定番の京鹿子道成寺、藤娘、汐汲などお馴染みの娘さん柄が主流。

その年に活躍した芸能人・スポーツ選手・キャラクターなどの”世相羽子板”も人気。やっぱり大谷くん。アナと雪の女王も。この日、アナの声役をされた神田沙也加さんの訃報。

浅草芸者さんと一緒に写真も撮れる。

自分でつくる羽子板

芸大羽子板

ユニークな芸大羽子板。

浅草寺本堂。いつもある助六と揚巻の巨大な羽子板が見つからなかった。

お人形も。

似顔絵屋さんも。

紅葉もまだ残っていてくれた。

スカイツリーも羽子板市を高見の見物。

では、よい午後を。

 

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令和3年最後の満月をおくる

2021-12-20 10:28:44 | Weblog

おはようございます。

今年ももうあと、10日余り。そういえば、昨夕の満月は令和3年最後の満月だった。

今年のお月さまは大活躍だった。9月21日には、8年振りの満月での中秋の名月をやってのけたし、11月19日には、ほぼ皆既の部分月食もすべて魅せてくれた。ちょっぴり残念だったのは、5月26日のスーパームーンの皆既月食だった。うす曇り空で、わずかに部分月食は垣間見られたが、肝心な赤銅色の皆既月食はみられなかった。それでも食が終わり、スーパームーンを魅せてくれたのはさすがだった。いろいろありがとうございました、お月さま。

では、令和3年のお月さまを振り返ってみよう。

9月21日 8年振りの満月の中秋の名月

うす曇り空だったが、そのうち、見事な満月に。

11月19日 ほぼ皆既の部分月食。これは、ほぼ全過程を観察できた。

半分ほどの食で月の出。

最も食の進んだとき。

満月復活へあと一歩の月。

5月26日 スーパームーンの皆既月食ショー。すでに部分食がはじまっている月の出、そして、徐々に欠けていき、20時18分には皆既月食となり赤銅色の満月が見られるはずであったが。

月の出直後。

途中、ぼんやり部分食

10時過ぎの薄曇りを通してのスーパームーン。

ほかにも、金星、木星との大接近など、いろいろ楽しませてもらった。

そして、令和3年を締めくくる満月は、こんなに大仕事をしたのに、なんと謙虚な、今年、最小の満月だという。実るほど頭を垂れる稲穂かな、ですね。

令和3年最後の満月(12月19日)

星たちと夜通し、忘年会をする満月。

そして夜が明ける。

忘年会を終えて、朝帰りのお月さま。お富士さん(左端)も一緒だったようだ。

お富士さんは真っ赤な顔をして。

お月さまはまだ宙に浮いたようにふらふらして。

でも、お顔をみると、酔いはさめたよう。いつまでも酔っぱらっていられないわ、今夕は師走の十六夜の月のお仕事があるしね、だって。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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鎌倉もみじの納めは瑞泉寺で

2021-12-19 08:52:08 | Weblog

おはようございます。

鎌倉の紅葉狩りの納めはいつも、紅葉ケ谷の瑞泉寺。鎌倉もみじのどこもが終盤を迎える中、ここは12月中下旬に見頃を迎える。今年もそうだった。山門周囲の紅葉が真っ盛り。もみじ納めに相応しい華やかさでしたよ。

鎌倉宮から15分も歩くと、瑞泉寺に到着。受付を済ませ、山門に向かう参道の途中に大きなもみじ。よし、ちょうど良さそうだ。

長い石段を登る。まだ青紅葉もある。ここの紅葉はゆっくりと染まってゆく。悠然と急がない。

男坂と女坂の分岐点。みな、女坂を選ぶ。そのためか男坂は苔石段になっている。

山門に到着。周囲の紅葉が輝いている。

山門をくぐって、内側から紅葉を見る。ちょうど太陽の光を通すかたちで、輝いてみえる。

今年も素晴らしい山門周辺の紅葉でした。

本堂

本堂裏には夢窓国師作庭の名勝瑞泉寺庭園。

夏にはここに山百合が咲く

境内には白椿。

水戸の黄門さまお手植えの冬桜も。

もう一度、山門周辺の紅葉を堪能して、門を出る。山門前の松陰吉田留蹟碑の上にも紅葉が。

坂道を降りて、平地の梅林へ。その向こうにも華やかな紅葉が。

皇帝ダリアも咲いていた。紅葉とコラボ。

これをもって紅葉狩り鎌倉場所の千秋楽と致しまする。紅葉ケ谷関、見事な横綱土俵入りでした。

鎌倉宮まで下りて来ると、鳥居前の河津桜がにこやかに迎えてくれた。

帰宅すると、翌日が満月となるお月さまが東の空に昇っていた。

暗くなると、瑞泉寺の紅葉のように輝きを増した。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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妙本寺の初冬 紅葉は見頃 紅梅と蝋梅が開花

2021-12-18 09:21:25 | Weblog

おはようございます。

午後から晴れ上がったきたので、鎌倉駅近くの妙本寺を訪ねた。

来年のNHK大河ドラマは鎌倉が舞台。”鎌倉殿の13人”の一人、(佐藤二朗が演じる)比企能員の館跡がここ妙本寺。

参道入り口には観光人力車

参道を登ると早くも、見事な紅葉が現れる。

そこからすぐ山門。

山門をくぐると、黄色のもみじ。

この紅葉の下に一幡の袖塚がある。比企の乱後、焼け跡の中か見つかったという袖をまつる。”比企の乱”というが、罠をかけ、仕掛けたのは北条方というのが定説である。比企能員の娘、若狭局は二代将軍頼家の妻となり、一幡を生む。1203年(建仁3年)頼家が病気で倒れると、次の将軍を誰にするかで、千幡(後の実朝)を推す北条氏と、一幡を推す比企氏の間で争いが起き、比企氏は滅亡した。のちに生き残った比企能員の末子、能本がこの地に、妙本寺の前身となる法華堂を建てた。

戦火の中、6歳で死んだ一幡の袖塚

比企一族の供養塔

祖師堂の横の紅葉も見頃になっていた。

池の周囲に紅葉が連なる。

山道を登る

炎のような紅葉。

祖師堂の屋根を包む紅葉。

紅梅を発見!

数輪、咲いている。今シーズンの初見!紅葉を背景にできたのがうれしい。晩秋と新春。

蠟梅も!こんなに咲いている。中也と小林の伝説の海棠の横に蠟梅があったのに初めて気づいた。新発見!

帰りに山門の脇で。

おめでとうございます。

本堂へ下る途中の鐘楼の紅葉も華やかに。

本堂横の紅葉も。

帰宅すると十三夜月。

12月も半ばに最高の見頃の紅葉を見られて最高!おまけに紅梅の初見まで!今日は瑞泉寺だ!

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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