▶僕らは、死亡率100%なのだから、生身のあるうちにまともに死後の世界(実際には現生にもつながっているのであるが)のことを、自分のこととして真摯に考えてみなくてはいけないのではないだろうか。先理解がすでに頭の中にできあがっている宗教がどうのこうのということより、事実としての我々の生と死を、あらゆる宗教の中に真剣に見出してみようと少しは努力することを。観念としての言葉でのあれこれではなく、誰かれがこういっているとか、歴史がどうのこうのではなく、実態としての自分のこととして、自分の言葉で探してみることが必要だろうと。それは黙想。・・・とすれば、人の限界とあらゆる世界の宗教が、求めている中で、きわめて限られた、人の言葉で求めることが既に限界にあることをその人たちは理解するであろう。行きつく源泉は、自分という根と自分を含めたこの世界のあらゆる次元も含めた中に包まれてある自分との会話、その根との祈りがその源泉(霊的な神との繋がり)が礎になっていることを知るであろうと思われる。そこは静かで平穏な世界が広がっている。この神の霊的世界との繋がりを示すことはすでに人の限界であり、理解しつつある内なるその人しか理解しえないもので、一般化できないものである。少なくとも、生きた霊というのは人の五感に行ける認識ではその実体がつかめない。聖書はうろつきまわる霊、つまり地上での霊の浮遊するそれをイエスが風で例えたように否定はしない。だからこそ、上からの聖霊にいつもつながっていなさいと勧めているのである。それが見えない霊が事実であるからである。▶2021年のクリスマスとなった。救いの喜びと言われる、この地上にうろつき、暗きに引き回される霊に、人をこの地上に創造せし父なる神と共に天地創造以前からおられたと言われる、その独り子がその人の救済のために、地上に送られてきたというのである。あからさまに「神は霊である」(ヨハネ伝4:24)と彼は語る。この霊、神からのは聖霊、その開示を明確に語ったのが、そしてその実態を肉体において示したのが、イエスと言う男だった。これが我々がこの地上に誕生し、限界のある肉体に(なぜなら誰でも死ぬから)気づき、何を捨て、どうして「我に従え」と言われているかを、他者からではなく、自分のこととして、どこまでも自分の言葉でとらえようと生き続けるのが本来のキリスト者である。自分を捨て我に従え、とのイエスの言葉は、必然的に捨てるべきわれは何かとだれでもが自問するのではないだろうか。そこで、自己の罪、その地上での限界を見出すのである。立って歩けというのと、汝の罪は許されたというとでは、どちらがたやすいか、とイエスが語られた意味である。▶キリスト者は死後の世界(天国)が明確である。地上をうろつきはしない。輪廻転生は地上における霊には回帰しない。今生の人の霊のありようと、そして死後の霊のありよう、つまりは人の係わるすべてにおいて支配されている神の懐に帰っていくのである。草花が太陽を求めるように、天国への希望、光を求めて生き続けるとうのがキリスト者である。創造せられた人への永遠の命の招きである。2021年クリスマス。
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