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ディンギーヨット レーザーを楽しんでいる08ジャストの独り言

臥牛山(函館山)探訪記

2008年12月04日 | 各種情報

 世界一の夜景を誇る函館山もいよいよ冬モードに入りました。頂上へ上る車両用の道路が冬期間の通行止めとなったその日、函館山に歩いて登りました。
 以前から登ってみたかった函館山、別名臥牛山。山は既に紅葉も終わって,あとは雪の降るのを待つだけ。風も弱く、高曇りの日曜日、寂しい雰囲気が漂うこの時期、登る人などと思っていたところ,何人かとすれ違いました。また,下山したロープーウエイの下にある登山道では遅い時間にもかかわらず、これから登り始める人も。

 イラストの地図は、函館市住宅都市施設公社のHP公園情報からちょいと借用m(__)m、こちらで拡大地図が見られます。

 今回の探訪記では、函館山で目についた石碑などを紹介します。

 最初の写真は、皇太子殿下御野立所の碑。明治44年、大正天皇が皇太子時代に函館を訪問し、函館山に登り要塞を視察された際の記念碑だそうです。野立所とは休息所のことで、訪問を記念してあちこちの場所に作られたそうです。
 碑は千畳敷要塞の横の方にあり、小さな物で見落としそうですが、場所自体は、函館市内を見渡せる眺望の良い所場所で、休息には格好の場所のようです。

 次は、青函連絡船北見丸の遭難碑で、入江山へ行く途中の海峡寄りにあります。連絡船の遭難碑と思われましたが、なんでこんな高い所にと思って調べてみると、洞爺丸台風の時に遭難した連絡船の一隻で、乗組員60数人が犠牲になっています。函館港外に錨泊していましたが、強風のため操船不能となり函館山の裏側の海岸付近で沈没しています。
 寂照塔と刻まれているこの碑、函館山の裏側は道路もなく、北見丸の生存者も山に登って救助されたそうで、直接海岸に行けないため、遭難者の縁者の方が遭難場所を見下ろすこの場所に設置したのでしょう(合掌)

 寄り道しながら約3時間で函館山頂にたどり着きました(^^v 写真は、山頂にあるロープウエイの建物の壁にはめ込まれた伊能忠敬さんの記念碑です。二百年も前、北海道の測量をした際に基点になったのがここ箱館山、それを記念しての碑文ですが、建物の壁に埋め込まれているため目立たず、その上、夜景を目的に訪れる観光客は見過ごしてしまうんじゃないでしょうか。

 山頂から登山道を下り、登山道の入り口に近い車道とぶつかる所に、西国三十三観音の一番目の観音様があります。途中、同行した08嫁は手を合わせてきましたが、ここが出発点(^^)
 元々は江戸時代の天保年間に設置されたそうですが、要塞が設置され一般の立ち入りが禁止されたため、麓のお寺に安置されたそうです。戦後、改めて設置し直したとのことですが、当初からの観音様はこの一番と三番のみで、ほかは新たに作った物だそうです。観音様のお顔は風雪に痛めつけられ、歴史の重さを感じます。

 函館山登山も最終コースに入り、函館八幡宮の裏山を通って碧血碑の前に出ます。この碑は、幕府軍の戦死者を祀ったものですが、かなり立派なものであり、函館の観光名所の一つにもなっております。
 敷地内の少し離れた所に、目立たないようひっそりと建っているのがこの碑。戊辰の役の最後の戦いはここ函館、戦の後、幕府軍の戦死者を命がけで埋葬した侠客柳川熊吉翁を讃えた記念碑です。もう少し碧血碑に近い所にでもと、あまりの扱いの違いにチョット疑問も感じましたが、碑の前に誰が置いたか新しいワンカップが一つ。柳川翁も見返りを求めてやったことじゃないんですし、これでいいんですね(^^v

 この記事を書くのに、函館市中央図書館のいしぶみnetを利用させていただき、無断でリンクも貼らしていただきましたm(__)m


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