長年、高齢の知人とのお付き合いが多いので色々と考えます。
30年前にこの地に引っ越した時に入ったママさんコーラス。平均年齢63歳でした。とっても明るくって、元気で活動的な皆様の中で30代始めの私は、当然、最年少。 母と同じ世代の皆様とは、どういうわけか一緒にいると居心地が良かったのです。本当に大事にしてもらいました。そのかわり、事務的な事や音取り練習テープ作成などで出来ることは引き受けていました。 対外的な演奏活動も結構あって、年数回は、あちこちへと連れて行ってもらいました。 とても世話好きな方が多くって、優しくて、お互いに本当に助け合って…。 私は持病の酷い貧血があり、幼児~高校までの子育ての真っ最中だったので、やっと活動について行ってました。私もこんな風に年を取っていきたいなと思いながら。
それから、25年在籍。年を追うごとに一人、また一人とお世話になった先輩たちが天国に召されて行きました。
同じ教会に所属していた方で、私が誘ってママさんコーラスに入った方が、難病のために次第に体が麻痺していく中、毎週の練習に車で送迎をするようになりました。コーラスの皆様は、子どもがいなくってもお世話をしてもらえていいわねぇと話され、子どもと同じ敷地内に住んでいても、具合が悪くても見てもらえないのをこぼしていらっしゃる方もいました。
へぇ。そうなのかしら?と思いつつ、彼女にはご家族がいらっしゃらないこともあって、教会の信徒で代わるがわる見舞い、ご聖体奉仕をされていた方と一緒にお宅に行くようにもなりました。
更に、麻痺が進み、自宅(都営住宅)では、とても介護が追い付かなくなったので老人施設に入ることになり、月1回ほど施設に伺っていました。あちらの施設、こちらの施設と初めのうちはショートステイをして。そのうちにやっと常時在籍できる特養が見つかり、安心しました。
とうとう、麻痺が全身に回り、誤嚥性肺炎を起こして入院。もう、駄目かなと思っていましたら、幸い命を取り留め、親族(姪)の判断で胃瘻をすることになりました。 施設では、その前に清掃などをいい加減にしていたことを思い出し、週1回行って、様子を見つつ、施設の方には細かいお願いや相談などをさせていただきました。姪御さんはお仕事と持病の治療とかでほとんどいらしてなかったので。それから、約1年、意識がない状態で命を繋いでいました。話すことは全くできませんでしたが、お顔をゆがめているのをみて、苦しいのだなと思いました。毎週通ったせいかわかりませんが、施設では、手厚い介護・看護をして下さっていましたが、本当にこれでご本人は喜んでいるのかしらと首をかしげました。
最初の施設は、ご本人はあまり気に入っていなかったようでしたので、元々本人がご希望されていた施設に引っ越し出来た時には良かったなと思いました。出会ったケアマネジャーさんや、支援センターの担当の方に恵まれて、次の施設の施設長は、以前の所属教会の親しい方でしたので、お祈りを自由にすることもでき、最後まで丁寧に彼女を看ていてもらえました。
次にお世話をすることになった方は、やはり聖体奉仕にもう一人の方と伺っていた方で、ご主人は10年ほど前に施設に入ったばかりの1か月ほどで帰天。 相談役や聖体奉仕されてた方も、ご本人が80代の高齢となったために、私が交代して奉仕させていただくことになりました。お子様もご親族もいらっしゃらなかった為に、教会信徒・関係者以外は訪ねる方もなかったのです。 ご本人は10年前に患ったクモ膜下出血で少し認知症があったので、お話もあまりうまくできないのですが、意識ははっきりされていて、施設の中庭のお花の世話や大好きな絵を描いたりされて過ごしていました。ただ、認知症があったので、ご主人が生前に「成年後見人」として司法書士を契約を交わしていたので、細かい相談は司法書士さんとしつつ、見守りをさせていただいていました。教会の他の方と、新年、降誕祝日、復活祭、被昇天などの主なお祝い日と死者の日には、車で送迎をして付き添い、ミサにお連れしていました。
そのうちに、以前に患った癌が再発し88年の生涯を閉じられました。結局、親族に変わって教会での葬儀、納骨までを司法書士さんとの仲介役と家族に成り代わってさせていただきました。
さて、この方の相談とお世話を元々されていた方は、このご夫婦をみていて、ご自分たちの先行きを心配され、重い持病もあったために、早くに自宅を処分して、高齢者施設の自立棟に入所されました。家事などが段々と出来なくなってきていたこともあり、病院通いに専念されていました。
その中で、未信者だった夫人も受洗にお導きすることが出来、さらに、精神的に落ち込んでいらしたご主人とも、当初は、聖体奉仕をさせていただいていたのが、月1回、平日のミサに送迎するようになりました。夫人は、高齢婦人の集まりにも参加されるようになって、しばらく安心していたのですが、今年になって、夫人の病気から、ご主人の負担が増し、夫人も認知症が少しずつ進行、そのストレスからご主人も体調不良に…。真面目なご主人は手抜きをして生きることがお出来にならないのだなと…感じます。
「もう、神様からお呼びがあってもいいのですけれど…。」なんてことを、毎回、言っていらっしゃいます。「子どもがいないから…」と不安も口にして。
一つ年上の89歳の主人の母と、実家の母は、体調不良は「歳なんだから仕方がないの。何とか、ガマン出来るから大丈夫よ!」と言って、無理しないでという私たちの言葉を背に、毎日、掃除や買い物に電車やバスに乗って出かけて、日々をそれなりに楽しんでいるように見えます。
いつ、どうなるかなんて、誰にも分らないのです。
子供がいても、全く、親に関心がない人もいっぱいいます。世話もしてない方もいます。
もう一かたは、ご主人が10年位病気で入退院を繰り返し、何回も危篤と言われて、連絡を受けて、主任神父様に病者の秘跡をお願いし、持ち直して、ただひたすら看病をされていました。お二人のお嬢様も信者でしたが、奥様だけは未信者でした。ご主人の帰天をきっかけに、毎週金曜日ミサにお連れするようになり、とうとう、昨年のクリスマスにお嬢様の見守る中、受洗をされました。 以降も金曜日のミサと、月2回の神父様の講座(ランチ付き)、月1回の高齢婦人の会にも参加して、楽しく信仰の道を歩んでいらっしゃいます。お嬢様達も代わる代わるにお母様を見守りされています。
さらに、もう一方。昨年、ご主人が帰天。ご主人の葬儀も打ち合わせと司祭との間の仲立ちをさせていただいたのですが、息子さんとお嬢様がいらっしゃるのですが、息子さんのご家族(妻と子)とは疎遠に。ご本人には思い当たるところがない為、苦しんでいらっしゃいます。お嬢様は、障害がおありなので、あまり、細かい頼みごとができないということ。そんな中、腕を骨折されて入院。ほぼ毎週お見舞いに伺いました。 家事が大変なようすで、少し、相談に乗りながら、私にできることはさせていただこうと思っています。
さらに、別の91歳の方。お嬢さまお二人が先に他界されて、失意の中で暮らしています。 お孫さんと暮らしているのですが、お仕事が忙しくて、あまりお話もする機会がないと…。 一応、その前の方と同じように葬儀までをよろしくと依頼されています。
同居する義母も何とか元気でいるのと、実家の母も私達にはなるべく迷惑かけたくないと、頑張っているので、こんな風に他の方のお世話が出来ています。神様が、私の役目を慮って、そのように取り計らってくださっているのかなと思っています。
高齢になって、人生が目の前に終わろうとしている時に、いったいどんな風にしていたらいいのかと、考えさせられます。 また、どのようにお手伝いができるのかとも…。
年齢が来たから考えることなのかなとも考えます。
しかし、小中高で同級だった友人が、早い人は10代で、30代、40代、50代ですでに他界しています。 また、友人のご主人たちも40代、50代で早世されています。 実は、私の父も47歳でクモ膜下出血になり、治療もまだ確立されていなかったために早い一生を終えました。
人生の終わりがいつ来るなんて誰も判らないと思うのです。
長生きをされているから、心の準備が万端整っている(できる)ということもありません。
じゃあ、その時が来る(来た)時の為に何ができるのでしょうか?
長生きした方は、「もう充分社会の為に働いて来たからもうこれ以上は何もすることがない」と思ってもいいのでしょうか?
長寿であったことは、取り敢えず感謝して、その先は健康(何も体調に問題がない状態)でいることだけに専念するというのには無理があるのではないでしょうか? 真に健康な人なんていないと思えます。 それだけを重要視するよりも、どんな風に生活していけたら充実できるのかという方法を見つけて欲しいと思うのです。
では、どんな心構えで生きて行ったらよいのでしょうか?
高齢者施設に入ったことを、「牢獄」と捉える方もいるようです。そのようにマイナスに捉えずに、”修道院に入った”と思ってはいかがでしょうか? 自分のためだけでなく、周りの人、自分の為に心と時間を使ってくださる人々の為に、社会の秩序や世界の平和のためにひたすら「祈る」ことも一つの生き方ではないでしょうか?
今年の初めに亡くなった90代のある方(男性)は、度々、教会の資料をお送りする度にご丁寧に返信をくださるのですが、「周りは全く知らない土地で、車がないと何処も行けないし、何処に何があるかもわからない監獄のような所」(老人施設)に入れられて、何もすることもなくて・・・とこぼしていました。
私は、その度に「修道院みたいに、お祈りに専念出来ていいですね。」とちょっと嫌味だったかもしれない手紙を送ったりしました。
3食昼寝付きで、リクレーションもして、花見など外出を皆でして…。そんなことが出来るだけでも、幸せなことなのではないかと思うのですが…。家族がいなくても、気を配って下さる方がいるなんて素晴らしいと!
何気に思うのは、海外の紛争の地で”着物も、食べ物も、住むところもない人々”のことを思い出してしまうのです。 いつ、爆弾が降って命が脅かされるか判らない人々のことを・・・。 さらに、生きながらえても、障害や病気に苦しんでいる人のことを・・・。
「今日はこんな悪いことがあった!」とマイナスなことを数えて生きるよりも、「今日はこんな素敵なことがあった!」、「いつもよりこんなに体調が良かった!」とプラスの事を数えて生きてはいかがですか?…とある方にはお話しました。
さあ、あなたなら、どんな生き方をしたいと思いますか?
どんな生き方をしたら、考え方をしたら、本当に充実した人生を送れると思いますか?