関ヶ原 その2
『関ヶ原』その2、は西軍と東軍について
書きます。
実はタレントの松村邦洋さんも言ってますが、
当時、西軍、東軍と呼ばれた訳ではありません。
実は、わりと西軍、東軍の区別はあいまいな
ところもありまして、それについては後で。
そして田中芳樹先生が『中国武将列伝』の
あとがきで『関ヶ原』についてふれているんですが
・・・あまり読まない方がいいかもしれません?
・・・(^-^;)
メインの登場人物です。
『関ヶ原』は豊臣秀吉から、その才を見込まれた
石田三成が、まだ茶飲み坊主だった頃から始まる
のですが・・・。
この時の秀吉の胸中は、実はかなり意外なものでした
映画『関ヶ原』では石田三成は正義の人
そして純粋な人に描かれています。
孔子、孟子の道を信じる王道な政治を
目指すのですが・・・。
押井守の『紅い眼鏡』の言葉、
「正義を行えば、世界の半分を怒らせる」
を引用するまでもなく、難しいことでして。
大相撲の貴乃花もそうでしょう。
マンガ家の黒鉄ヒロシさんが貴乃花と話した時に
「いまどき、こんな純粋な人がいるのか!」
と驚いたそうですが、純粋であるが故に
周囲ともめることもありまして・・・。
ただし、いくら石田三成が純粋な正義の人でも
経験がなく、手柄もありません。
映画『のぼうの城』の「忍城攻め」で苦戦したこと
で負け戦のレッテルを貼られたまま戦が終わり。
だからこそ石田三成は直江兼続(松山ケンイチ)や
大谷刑部を仲間に入れるのです。
彼らは、そんな石田三成に共感したからこそ
仲間となるのです。
一方の家康はすでに名声も手柄もあります。
秀吉は織田信長の家臣でしたが、
家康は信長の同盟者という立場です。
だからなにげなくやったことも
すべて、うまくいくのです。
暑いから着の身着のままで来ただけなのに
周りは「さすが、家康公」と称えます。
実際、家康公は気くばりの達人だったそうです。
例えば、高須クリニックの高須克弥院長の
ご先祖様。
本能寺の変の後に家康公が家に来たときに
シイの実を食べてお腹をこわしたときに治療し
ました。
家康公は、その恩に報いるために高須の姓と
庄屋の地位を与えたそうです。
高須克弥さんは終戦間近の1945年1月に
防空壕で産まれました。
だから高須さんの年齢=終戦、戦後と同じなので
だから現在は「ダーリンは72歳」なのです。
(西原理恵子さんが描いたマンガです)
秀吉から後を託された家康と前田利家。
大河ドラマ『利家とまつ』です。
だから抑え役として動いていたのが前田利家
だったのですが、その利家も没してしまい・・・。
そして、秀吉の内助の功として有名な
ねね(北政所)の描写。
竹中直人の秀吉とモビットでも、ねねは
いい奥さんとして有名ですよね。
『信長の忍び』では釘宮理恵さんが演じていました
映画『関ヶ原』でも、けっこういいお母さん
みたいな雰囲気です。
映画『関ヶ原』で豊臣秀吉が
「人の運命は紙一重のきまぐれだ」と
言いますが・・・。
まさに、この映画の核心をついてます。
実は秀吉は才能ある幼少の頃の石田三成を見て
「さて、どうしたものか?」と思案したのですが
・・・。
どう思案したのかは見ればわかります。
そして、それをどういう場面で言ったのかも
見ればわかると思います・・・。
「人の運命は紙一重のきまぐれ」
これ、何度か描かれますが、家康が2人の剣豪に
腕試し=兜割りをさせますが・・・
実は、これが命運を分けたのです。
小早川秀秋です。
西軍と東軍はなかった、と前にも書きました
が、その複雑な状況を映画『関ヶ原』では
この小早川秀秋が体現しています。
ねね「西軍のふりをしてりゃ、ええ」
が、まさにそうです。
『真田丸』です。
大谷吉継(白い頭巾を被っている武将)は
母親が北政所(ねね)に仕えていたので
最初は家康寄りだった、そうです。
これは『風雲児たち 外伝』の
「大谷吉継の謎」に描いてあったことですが。
また『真田丸』です。というか『風雲児たち』です。
ぶっちゃけ、みんなこうなんですよね。
『風雲児たち』は1月に三谷幸喜さんがドラマ化し
糸井重里さんや、さくまあきらさんも
愛読しているマンガです。
ちなみに、私は『風雲児たち』の作者の
みなもと太郎先生と表紙を描いている
工藤稜先生にお会いしたことがあります。
工藤稜先生にサインもいただきました☆
『風雲児たち』に『艦これ』みたいな絵を
描いてしまった、みなもと太郎先生(笑)
これには『リボンの武者』の野上武志先生も
驚いてました(笑)
次回は『とある科学の超電磁砲』のスピンオフ
『アストラル・バディ』を予定しておりますが、
映画『スターウォーズ 最後のジェダイ』と
『ジャスティス・リーグ』について書くかも
しれません。
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