明日が最後の日になる。2002年8月3日渡米 同月26日から授業が始まった。
試験を受けたのは、渡米して二週間後、student center の電話番号が書いてある紙切れ一枚をもって単身で行った。
移民の多い、USでは州政府が用意した ESL 英語を母国語としない人 に対する支援活動の一環として、日常生活に困らないような、英語指導の教室が開かれている。
たぶん。そこへ行きなさいと言われたのだろうけど、相手の英語はまるでわからないので、ここで勉強したいとがんばった。試験の結果は、reading のスコアがそこそこよかったので、なんとか英語の下級レベルから始めることができた。
私にはどうしても、このカレッジに入る必要があったから・・。
日本人の女性からのアドバイスだった。子供達は相当苦労をする。それを理解するためにはあなたも同じ経験をするしかない。同じようにやって御覧なさい。最初はつらいけど、そのうちに慣れるでしょう。
子供達のことを理解したい一心だった。子供達のことを考えて泣いてばかりいてもしょうがない。自分に出来ることをしたい。。。と願った。
苦しさは予想をはるかに超えた。大学生になれる。。。と、ルンルンとしたのは、決まったときだけだった。授業が始まってみると、英語はまるでわからない。教科書の何ページを見ているのかもわからない。聞き方もわからない。喋っても誰も、私の英語を理解してはくれなかった。孤独と分からない授業を聞き続ける苦痛。
しかし、日本人だから、文法の知識はレベルの低い英語の授業を受けるアメリカ人よりはある。テストのスコアーはよくても、喋れない日本人を、同じクラスの人たちは奇異な目で見た。学校に行くのが辛くなる。
生涯で初めて、学校に行くのが苦痛だと思った。
あれから、5年と半分。
明日が最後の授業。8日は卒業式。ガウンも帽子ももらってきた。
一番印象に残った授業は、social issue のクラスで、黒人の先生が黒人に課せられた、貧困のサイクルをどうにもできない・・・お前はどう思う と、黒人の生徒に詰め寄った場面だった。
アメリカ史では、第二次世界大戦末期、ドイツではなく日本に原爆を落としたのは、日本人がイエローだから。。。悔しくて。でも、先生は淡々と事実を述べたのであって悪意はもちろんない。
教育学は厳しくて厳しくて、辛かったけど、先生のメッセージを感じて、それに着いていった気がする。
インターンシップでは高校生から、たくさんの刺激をもらった。
なんでも、無駄な経験はないなあと、つくづくと思う。5年間、私はカレッジに通えて楽しかった。幸せだった。
家族にまず感謝したい。そして、色々な方に背中を押してもらいながらここまでこれた。ありがとうございました。
Bill of Right を、請求書の権利と訳した私も、卒業です。
基本的人権と今は分かるから、無駄ではなかった。
明日は、いつも苦しいときに飲んだ、スタバのモカを飲んでこようっと。最後のご褒美だ。