諾子は、清少納言と同じ名前ですと、言われたことを思い出した。知識の乏しい私は、知らなかった。諾ちゃんは、私が始めてミシガンの秋は美しいなあと思った日に、帰らぬ人となってしまった。ショールを見てもらうことも、肩に掛けてもらうこともできなかった。
大分前に読んだ記憶のある、詩をさがしてみた。やっとみつけた。インディアンの詩と覚えていたが、作者がいたのは何故?
今日は死ぬのにもってこいの日だ
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている
すべての声が、わたしの中で合唱している
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった
今日は死ぬのにもってこいの日だ
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている
わたしの畑は、もう耕されることはない
わたしの家は、笑い声に満ちている
子どもたちは、うちに帰ってきた
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ
ご冥福をお祈りします。
、再び逢える楽しみや喜びを持たせてくれるものなんだと気づき、別れを大切にしようと思うようにしてきた。だが、それはつらい、悲しい別れを経験していないから言えることで、まりまや亡くなったご家族のことを思うと心が締め付けられる。いつかまりまの胸の中で諾子ちゃんと楽しい再会ができることを願っています。
少し、お話いただけませんか?
あなたのことを。
私は、2008年に帰国しています。今は日本です。
諾子さんは、とても笑顔の綺麗な人でした。
いつも、にこにこしていました。
新しい会社にトライするため、インタビュー用にスーツを作った後、ガンがわかりました。
分かった時には相当に進行していて、あっという間にお亡くなりになりました。
みのりさんのメールアドレスがちょっと違っていませんか?
もう一度教えてください。
諾子ちゃんの話をしましょう。