「縄文時代」は「栗の時代」だったと言われています。
縄文時代の遺跡からは、
貯蔵した栗、建材としての栗の木、栗の木で作られた匙やヘラや様々な道具、
更に栗の木を燃やした跡(炭)などがたくさん見つかっているそうです。
栗の木の材は加工しやすく、水や湿気にも強く、成長が早い、
なにより、たくさん実をつけて、あく抜きの必要もなくそのまま食べられる、というありがたい存在です。
2年くらい前に、地面に芽吹いた小さな栗の木もぐんぐん伸びて、今年はもう実をつけています。
台風で根元から折れた木も再生して、いっぱい実が成っています。
長い縄文時代は(集落に柵などがない、などから)平和だったと考えられています。
けれど、花粉の調査から、何度も大きな気候の変化があったことがわかっています。
寒冷化の時代には、栗が減り、コナラやトチなどの寒さに強い木々が増え、人口が減ったと考えられています。
あの「三内丸山」では何があったのでしょう・・・?
毎日栗を拾って、剥いて、食べて、
冷蔵庫の中は栗だらけ、になりつつあります。
昨夜のひとしな、
鶏肉と栗の煮物
(栗・鶏モモ肉・れんこん・ゴボウ・人参)
縄文時代の遺跡からは、
貯蔵した栗、建材としての栗の木、栗の木で作られた匙やヘラや様々な道具、
更に栗の木を燃やした跡(炭)などがたくさん見つかっているそうです。
栗の木の材は加工しやすく、水や湿気にも強く、成長が早い、
なにより、たくさん実をつけて、あく抜きの必要もなくそのまま食べられる、というありがたい存在です。
2年くらい前に、地面に芽吹いた小さな栗の木もぐんぐん伸びて、今年はもう実をつけています。
台風で根元から折れた木も再生して、いっぱい実が成っています。
長い縄文時代は(集落に柵などがない、などから)平和だったと考えられています。
けれど、花粉の調査から、何度も大きな気候の変化があったことがわかっています。
寒冷化の時代には、栗が減り、コナラやトチなどの寒さに強い木々が増え、人口が減ったと考えられています。
あの「三内丸山」では何があったのでしょう・・・?
毎日栗を拾って、剥いて、食べて、
冷蔵庫の中は栗だらけ、になりつつあります。
昨夜のひとしな、
鶏肉と栗の煮物
(栗・鶏モモ肉・れんこん・ゴボウ・人参)
私も京都に居た時はそうでした。
今は、山ほど栗はありますが、
鋭いイガの中にこっぽり埋もれて、
1個、あるいは2個3個仲良く、くっついている栗が愛おしいです。
わたしの方は年に一度あるかないか、何かの拍子にいただいたり店で一ネットを買うかどうかといったところです。去年、そんなことがあったような、うっすら、栗を触ったことがあったようなことを思い出しています。
コメントありがとうございます。
大抵の野菜などは、土を耕し、種を蒔いて、肥料をやって、草を引いて、雨や日照りやカラスや害虫に気をもんで、やっと食べられるようになるのに、
栗は、ほぼほったらかしで、ちゃんと食べられるものが、たくさん穫れるのです。
自然の恵みをしみじみ感じます。
本当に栗さま様です。
これだけでもう充分(煮物)!
栗は古代人を助けていたんですね。
その命が現代まで続いて…
栗様々です。おいしいしね。