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上の写真は
入院中に裏口でちょとだけトマトと会った時
1分ぐらいのご対面で
車が発車する時
寂しげな顔ですね・・
+++++
入院ってどんなもん?
私の入院暦はこれで3回目
7年ほど?前には子宮筋腫の為子宮摘出手術で
その1年後にその傷が変になって
形成外科で傷の補正手術
でも・・もう40代だったし
子宮が無くなる事にはそう未練はなかったんです
生理もなくなるしラクチンで
回復も早かったしね
その時は病室の方も婦人科だったので
短気入院の方が多く明るい入院生活でした
ところが・・今回は・・
今回の病院は先月父が最後に他界した病院なんです
行くのも嫌だな~とは思ってましたが
(先生目当てなので・・)
入院病棟には行かないと思ってた
でも・・行く事になって
6階と聞いて少し ホット
だって同じ階だと父の居た部屋
最後に苦しんでた個室も見えるし
まだ・・その姿は鮮明に心にあるわけだし
6階も似た作りだから嫌だけど
・・・・
看護婦さんが案内してくれた部屋へ
入って「が~~~ん」
私の隣のベットにはご老人
それも・・口と手首に点滴の管が巻かれ
ぼ~とした顔
ギャ!~~父も最後は点滴管がグルグル状態
ひゃ~~って父とダブり荷物も出せませんでした
汗でる~~
部屋取り替えてもらおうかな~
と考えてましたが我侭になるしな・・
仕方なく荷物出して 自分のベット作り
4人部屋ですが前の二人は治りかけの方たちで
もうじき退院らしい
挨拶を交わしすぐに打ち解けた
1日目は何もする事なくてね~
隣りのご老人は寝たきりなので
看護婦さんが2時間置き位に着ます
「○○さん~~おはよう~いい天気だね~」
大きな声で話しかけてます
そして オシメ交換
ん~~クチャイ~~
でも・・仕方ないね 1日1回位? 我慢~~
あと・・寝返り手伝いのため
バリバリとバンドを外したりつけたり
忙しそうな看護婦さんたちです
父と同じ癌だったら嫌だな~と思い
恐る恐る看護婦さんに聞いたら脳の病気らしい
それで・・本人は黙って寝てばかりで大イビキと納得
昼間は良かったんです
大部屋だし・・仕方ないしねって
臭かったら部屋出てればいいし
でも・・・夜も昼間の状態が(声かけはないけど)
オシメ交換 寝返りは2時間置きにしてました
うん@も2回に1回はしてるみたいで
夜は窓は開けられないし
自分も部屋の外には出られないし
1日目は眠れませんでした
2日目も同じ状態
昼間は出来るだけ病室をでて
談話室の方にいました
疲れもでちゅうよね・・
そして3日目も同じ・・・・
いつもより 老人のうん@の回数が多く夜中に
そして・・痰をすする機械の音が
隣りなのですぐ傍なんです
父も最後には個室で同じ状態だったので
もうダブりまくり~~気が変になり
夜中の4時半にとうとう枕と布団をもって部屋を出て
こっそりと談話室のソファで寝てました
看護婦さん気がついてくれるかな~と思いつつ
何故か気がつかれず朝6時にすこすこと
ベットに戻りました
朝の回診があったとき
「昨日は眠れましたか?」の質問に
ギャ~~って泣いてしまいました
隣りの方と父がダブってしまうこと
夜中悪臭と音で全然眠れない事
訴えました
++
そして。。部屋を変えてくれました
よかった~~~わがままかな~?
その日からぐっすりと眠れた
病院はいろんな患者さんがいますね
部屋割りって難しいのでは・・と思います
訴えなければきっとずっとその苦痛と戦ってたんでしょうね
逆に思い出せば
父の同じ病室の方に夜中うるさいから
父を個室に移すか治療室に移すか
考えてくださいと看護婦さんから言われた時があったね
その時は治療室経由で個室に移りましたが
・・・・
大部屋は耐える事も条件なんですかね
部屋を変えてもらってからやっと落ち着きました
トマトの写真をペタン 毎日見てニコリ
青い巾着袋には隠し携帯が・・
さよさんがすぐに送ってくださったパジャマ
持ってたガウンとぴったりの柄で驚き
花柄で心も明るくなります・・ありがとね
屋上・・ハーブ球根たくさんで・春はきっとお花盛りね
携帯からもUPしましたが
癒されたトマトお絵かき
水彩色鉛筆で鉛筆を動かしてる時が
心が落ち着きましたね
トマト いいこいいこって
(この絵ははじめの辛い病室に居た時描いた)
どんなにトマトに癒されたか・・しれない
早く会いたいな~と思いながら
入院後半に トマトファンのバシチームがお見舞いに
きてくださいましたぁ・・
メールがあったので「シーバ」をリクエスト
柴みると落ち着くな
どうもありがとうね~~
+++++++
次の部屋は
移ったら隣りは若い女の子
ある日突然発病したらいい
これから生涯
脂質 タンパク質 繊維質が食べられない病気らしい
一定期間でなくて・・生涯
ん~~心が沈みましたね
11ヶ月の赤ちゃんがいるそうです
でも・・明るい人で・・・
余計にウルウルしました
もう一人は・・黄疸の方
黄色でしたね・・肌
まだまだ長い入院生活のようです
そう思うと私の病気が軽い方だと実感
もっともっと苦しんでる達がたくさんいるんだね
先程の老人の方を含め
たくさんの脳の病気の方がいました
昼間は看護婦部屋でリハビリの為
話しかけられてたりする光景をよく目にしました
自分もいつどうなるかわからないけど
病気ってなんであるんでしょうか?
全く 嫌になる~って怖くなりましたね
++++++
今回驚いた事は
看護士さん・・男の方が多かったのです
笑顔満喫で優しくって
力もありそうで・・
逞しかったです
患者さんたちの愚痴を
「そうだね・・そうだね・・」って
入院生活をなさったり家族がしたりで
治療以外で辛い経験とか
嬉しかった経験ってありますか?
教えてくださいね
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大変な入院生活だったのですね。
お父様のこと,まだ,心に鮮明にのこっていて,
とっても辛かったですね。
わがままかな~,と書いておられますが,
体を休めることはもちろんですが,心が休まらないことには,病気と闘えませんよね。
しばらくは薬が続き,副作用や病状の変化など,気になることがいろいろあると思いますが,
おうちで,トマトちゃんと,ゆっくりすごして,元気になって下さいね。
ホテルのランチやおいしいケーキを目標(?)に,がんばれ~!
お大事に。
大部屋ではいろんな方がいらっしゃるので、大変ですよね~
父が余命1ヶ月宣告をされた後の入院で休みをもらって看病に行ったのですが、もうこれで最後、会えないかもしれないと思うと、父と1分でも話がしたくて小声で話をしていました。隣のベッドは盲腸の男性でわたしと父が小声で話をしているのに文句を言い始め、ずっと独り言で文句を言っていました。「最後だから話させてください」とはいえなくて、父にも気を使わせてしまいました。
わたしが帰るとき、父は「隣の方にご迷惑をおかけしましたといって帰ってね」と言っていたので「これから神戸に帰ります。申し訳ありませんでした」と謝ったら、「そんな遠いところから来ていたの?知らなかった。すまなかったね」と言ってくれました。
おそらく軽い病気で入院していたその人はイライラしていたんでしょう。
その人は退院するとき父に「がんばってな」と言ってくれたそうです。
きっと、ろみさんもお父様が入院されたときのことがあまりにもリアルに思い出されて辛い心理状態になってしまったんだと思います。
やはりお家がいちばんですよね~
トマトちゃんの笑顔と、ムーさんの深い愛があふれるお家に帰っていらしてほっとしているのではないですか?退院おめでとうございます
父が入院している時にお見舞いに行った時は人が少なかったかな。
でもヒソヒソ話してたのを覚えてます。やっぱり気を使いますよね。
部屋、変えてもらえてよかったですね。空きベッドがなかったらダメだっただろうし。
黄疸、私も1歳になるかならないかの時になって入院してたらしいです。
退院したら丸々と太ってて、別の赤ちゃんと間違えたんじゃないかって母が冗談言ってました。
看護士さん、やっぱり重労働だから本当は男性の方が向いてますよね。
でも私は今まで男性の看護士さんって見たことないです~。
私も盲腸で一回だけですが、しかも一週間だけ入院した事があります。その時、隣の隣の部屋にちょっと精神的にいっちゃってる女性がいました。お昼はいいんですが、夜に金切り声をひっきりなしにあげてたので眠れなくて色々な方が看護婦さんに苦情を言ってました。私は言いませんでしたが、眠れなくて参りました。
私が入院したのは、4年ぐらい前なんですがその時はまだまだ看護婦さんがほとんどで看護士さんはいませんでした~。
1枚目の車の中のとまとちゃん、とっても寂しそうなお顔・・・。
「ママは帰らないの?」ってお顔してますね。
ワンコって言葉はしゃべれないけど、体中で愛を表してくれてホント愛しい存在ですね。
退院おめでとうございます。
僕は、まだ入院したことはありませんが弟が痔で
入院したときはちょっと焦りましたね。
え!?痔で入院するの?って感じで。
しかも、手術までしたって聞いた時は何かへこみました。まだ、夏になるまえだったのでそれが不幸中の幸いかなぁって思ってました。健康第一ですね・・・
初日のお部屋じゃあ辛かったですね。ましてやお父様と同じ病院だったのなら尚更のことだったでしょう。
私も今まで2度入院したことがあります。
1度目は隣におばあさん。元気なんだけど、人工肛門のため、室内で「洗腸」っていうのをされて事情は分かるけれど、辛かった(汗)私はサバにあたって水も受け付けれない状態の時だったから、ニオイには特に敏感になってたしね~。
2度目は片足を骨折してもう片足を捻挫して歩けなくなった時。この時は4人部屋ですっごーーーく賑やかで、院長と婦長に「うるさい部屋!」っていつも言われていた。
文句垂れると松葉杖を機関銃にして「ズダダダダっ!」って喚きながら私を目掛けて「打ちまくる」付き添いのおばちゃん。この時は退屈しなかったな。
同じ部屋の人次第で入院生活って変わりますね。
お父様が亡くなって それ程日が経っていないのに。。。
病院は忙しくて そこらへんの事を 気遣う余裕が無いのですかねー。
私は あまり大病での入院経験はありませんが、長男を早産しかけた時 先生から「母体優先にするので、赤ちゃんは ダメかも知れない。 全力を尽くしますが一応覚悟だけしておいて。」と言われた晩に 「○○さんの棺が届きました。」と言う声が 向かいのナースステーションから!同じ苗字の方だったようです。さすがに、泣きそうになりました。
部屋を変えるって、ワガママじゃないと思いますよ。
私は入院中点滴が辛かったですね。
初日の12時位から「また別な点滴始めますね」とは言われていたんですが、見たら2000㏄??ビックリしました。
3日間、断食だったんで仕方がないんですが朝起きても減っている様には全く見えず、ウンザリしましたね。
何をするのも邪魔だし、いきなりの入院だったので点滴前に着替える事も出来ず、普通のTシャツでいましたよ。
嬉しかったのはお見舞いですかね。
あとは、食事が出来るようになってから母が持ってきてくれた桃が美味しかったのを覚えてます。
やっぱり入院して思った事は、もう二度としたくないって事ですねぇ。
部屋を変えてもらってよかったですよ。
私は一度も入院したことないの。
お話聞いて勉強になった。
うちの旦那も9月に入院してたんだけどね。
イビキがうるさい人がいて眠れないって言ってたの。
耳栓ぐらい持って行ってあげればよかったかなぁ。