毛越寺の次は、中尊寺へ行きました。
毛越寺は、観光客も少なく庭園をゆっくり散策することができ、
そのつもりで中尊寺に行ってびっくりしました。
参道は人、人、人の波でした。
写真は本堂です。
中尊寺は、多くの人が本堂より金色堂を見に訪れるのでしょう。
金色堂は覆堂(おおいどう)で保護されていて、外からは見ることができません。
中はもちろん撮影禁止です。
写真は、仕事を終えた、前の覆堂です。
火事の危険の無いように、現在の覆堂は金色堂をすっかり覆っています。
この、覆堂なら中を覗くこともできたでしょうが、
確かに、火事がおきたら金色堂は焼けてしまうでしょう。
金色堂は本当に金で覆われていて、中も螺鈿の柱等贅沢の粋が尽くされていました。
松尾芭蕉が、奥の細道でここを訪れた時に詠んだ句の碑が建っていました。
「五月雨の 降り残してや 光堂」と彫ってありました。
境内には能楽堂もありました。
夏には、ここで薪能が開かれるのでしょう。
多くの参拝客は、どこに行ってしまったのかと思うほど
静かな境内でした。
金色堂? ではありません。
中尊寺の入口に建っていた、菊で飾られた金色堂の模型です。
金色堂は、ちょうどこんな感じでした。
毛越寺は、観光客も少なく庭園をゆっくり散策することができ、
そのつもりで中尊寺に行ってびっくりしました。
参道は人、人、人の波でした。
写真は本堂です。
中尊寺は、多くの人が本堂より金色堂を見に訪れるのでしょう。
金色堂は覆堂(おおいどう)で保護されていて、外からは見ることができません。
中はもちろん撮影禁止です。
写真は、仕事を終えた、前の覆堂です。
火事の危険の無いように、現在の覆堂は金色堂をすっかり覆っています。
この、覆堂なら中を覗くこともできたでしょうが、
確かに、火事がおきたら金色堂は焼けてしまうでしょう。
金色堂は本当に金で覆われていて、中も螺鈿の柱等贅沢の粋が尽くされていました。
松尾芭蕉が、奥の細道でここを訪れた時に詠んだ句の碑が建っていました。
「五月雨の 降り残してや 光堂」と彫ってありました。
境内には能楽堂もありました。
夏には、ここで薪能が開かれるのでしょう。
多くの参拝客は、どこに行ってしまったのかと思うほど
静かな境内でした。
金色堂? ではありません。
中尊寺の入口に建っていた、菊で飾られた金色堂の模型です。
金色堂は、ちょうどこんな感じでした。