休日にネットを見ながらまったりしてると、とんでもないものを見つけることがある…
先週もそれをやってたら、これまで気になっていた列車で、今まで見たことがない画像を見つけてしまい…
偶然、有給休暇を取っていたので、第2阿呆列車をやってしまいました(汗)
前回、赤羽駅で偶然貨物列車を見かけたので、今回はそれも狙ってみます…
都心へ向かう(?)貨物列車は新鮮で、やはりEH500は何度見てもカッチョえぇ~!
まさか、1週間以内にまた来るとは…(汗)
このまま帰るには、ちと早かったので上野駅によって…
噂のココへ…
機械の中で、丼がグルんグルん回ってる訳ではないようで…
レンチン90秒で完成。
紅しょうが天そば680円也
味は思った以上に良かったのですが、とにかく熱い! いや熱すぎる(涙)
そして、何かが物足らない…
暖簾をくぐると、鼻腔をくすぐる出汁の香り…
テボで湯切りするときのチャっチャっの音…
上野駅に立ち寄っても、11・12番線には寄らないだろうな…
さて、自宅に戻って本日のお品を御開帳!
こんな製品があったとは、全く知らなんだった(笑)
側板は3Dプリンタで出来てるそうな。
そして、某店員に台車を相談したところ…
『こんなんありますよ!』の軽いジャブが…
エンドウの絶版品が残ってたなんて、さすが老舗ならではですな(糞爆)
これで、蒸機時代の山陰本線で、浜田機関区最後のC57牽引客レの一つ、544列車(浜田発西舞鶴行)が再現できます。
この列車だけ、何故か機関車の次位にワキが付いてたんですよね…
諸先輩方が残した写真には、ワキ1であったりワキ1000であったり…そのワキ1000も窓無しの時もあったりでバラエティー豊か…数年前に、故吉岡心平氏との会話の中で、件のワキ車について何か知っているかと聞かれましたが、さすがのアタシも2才か3才だったので、見た記憶もなければ当時を知る人から話を聞いたこともない…今回出会った写真は、車番こそ分かりませんが、米鉄の管理局表記があることがわかり、それだけでも大きな収穫でした。多分、浜田駅常備なんだろうけど…
ところで、この544列車はアタシにとって思いで深いものがありまして…
DL牽引になった頃のお話ですが、その頃は行先が東舞鶴行になっており、座席車は福知山区の運用(福3)で、前日の835列車(京都発浜田行)の折返し。後位には益田発浜田行始発列車(座席車はオハフ1両のみ!)から継走された下関区のマニ(広荷12)と米子区のスユニ(米郵1)を連結してました。
福知山区の座席車には10系客車が入ることもしばしばあり、横川に保存されているナハフ111も入ってました。また、広荷の方には、青いマニ36が入ることもあり、見ていて楽しい列車でした。
59-2改正では、福知山行に変更となり10系座席車が外れてしまいましたが旧客編成で残りました。広荷の連結が無くなり、米郵1の車両がスユニ50から門司区から転属したオユ14(1~4)、オユ10(1002)に置き換えられました。オユ14とオユ10では向きが逆だったのも面白かったですね。
60-3改正で米子行に変更となり座席車は50系3両に置き換えられましたが、米郵は札幌から転属してきたオユ11(2501~2505)に置き換えられました。オユが外れた61-11改正以降は、特徴が無くなり記憶に残っていません…
ウチの模型で、ここまで再現できるようになったので、広島に戻ったら思い出の544列車を楽しもう…かな(笑)
あ…気が付きました?(笑)
牽引機が判っていたので、2次車を待っていたら少し遅れていたのか、結果的にすれ違いが撮れました。