【tv】100分de名著「ノートル=ダム・ド・パリ」(第4回)
1回25分×4回の100分で1つの作品を読み解くという番組。2月の作品はヴィクトル・ユゴーの「ノートル=ダム・ド・パリ」。その4回目を見て備忘メモをTweetしておいたので、記事にまとめておく。ちなみに過去記事はコチラ(第1回目、第2回目、第3回目)
第4回:炸裂する映画的な想像力
❶ #ノートルダムドパリ
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
第4回:炸裂する映画的な想像力
ミュージカル版を見ている伊集院光氏、所々違っているので、結末はどうか?
これが書きたかったのだろうというシーンが映画的だが、この時代に映画はない。映画を先取り?#100分de名著
自身はディズニーのアニメ版を見たような気がするんだけど違ったかな? 伊集院光氏が見たというミュージカル版は、このアニメが元になlっているんだよねたしか? ディズニーが絡んでいるとなると絶対にハッピーエンドになっているハズなので、ラストも違うんだろうなと思ったりする。
❷ #ノートルダムドパリ 映画的な視点。ユゴー演劇出身。演劇の限界を感じ小説を書いた? バーチャルリアリティ。モブシーン。ひとりハリウッド? #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
ユゴーってもとは演劇の人なの? 戯曲を書いてたってこと? 第1回の記事にWikipediaのリンク貼ったけど、全く読んでいないので分からない💦 ひとりハリウッドについて補足しておくと、映画が生まれてだんだん技術が発達していくと、モブシーンを撮るようになってきたそうで、ユゴーが作品内でよくモブシーンを書いていることから、鹿島茂先生はひとりハリウッドと呼んでいるのだそう。
❸ #ノートルダムドパリ 劇作家グランゴワールはエスメラルダに命を救われた後、奇跡御殿にとどまっていた。フロロからエスメラルダが再逮捕され処刑されるので、救うべきだと言われる。リーダーのクロパンをけしかけ、群衆を率いて広場まで行進する。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
ここでの追記は特にないかな? 唐突にグランゴワールが出て来た印象だけど、実際はちょこちょこ登場しているらしい?
❹ #ノートルダムドパリ クロパンはエスメラルダは無実だと演説し、群衆は熱狂。その様子を見たカジモドは耳が聞こえないかため、群衆がエスメラルダを襲っていると思い、木材を落としたり、煮えたぎる鉛を雨樋から流したりしてパニックを引き起こす。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
カジモドはフロロやエスメラルダとそれなりにコミュニケーションを取っている様子だったので、うっかり忘れていたけど耳が聞こえない設定だったね 煮えたぎる鉛について補足しておくと、当時大聖堂は修復中だったそうで、そのため煮えたぎる鉛があったのだそう。そんなものが塔の上にあったりするのかしら? しかも何に使うんだろう? (´ェ`)ン-・・
❺ #ノートルダムドパリ この騒動がルイ16世は群衆を皆殺しにし、エスメラルダを絞首刑にするよう命令。軍隊により制圧される。一方、カジモドはエスメラルダの部屋に行くも彼女はいない。フロロが連れ去っていた。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
ルイ16世ってあのルイ16世だよね? あのボンヤリした感じの? マリー・アントワネットの旦那さんの? 残虐な一面もあったりするのかしら? 少なくともユゴーはそういう設定にしたってこと?
❺ #ノートルダムドパリ フロロは絞首台と自分とどちらを選ぶか迫る。エスメラルダは絞首台を選ぶが、フロロは無理やりキスをする。自分はフェビュスのものだと激しく拒絶されると、エスメラルダを役人に突き出す。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
うーん。まぁ、フロロとしては後には引けないわけで、ストーカー体質の人の恋愛が行きつくところまで行くと、究極の選択を迫るしかないわね。とはいえ絞首台と自分とどっちを選ぶと聞かれて、絞首台だと答えるエスメラルダはスゴイ!と思ったのに、自分はフェビュス様のものだと答えちゃうところがダメだわ~💦 まぁ、フロロに対する攻撃なのかもしれないけど、自分が処刑されるというのに見殺しにしようとした男をまだ好きとかないわ~😣 そして、フロロ最悪Σ( ゚∀)ゲッ!!
❻ #ノートルダムドパリ このやり取りがなされた背景ではカジモドと群衆の戦いがあり、この光景はレンブラントの絵画にもあると記されている。光と影。二元論。ユゴー闇に惹かれる。光を強調するほど、闇の力のスゴさ際立つ。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
カジモドと群衆が戦っているのは大聖堂の正面側で、フロロは背面からエスメラルダを船で連れ出したという設定。その際に大聖堂を振り返ると、正面側が火などで明るくなっていたということらしい。レンブラントの背景に描かれていたというのは、多分この光景ということではないと思うけれど、どういうことなんだろう? 特に説明はなかったような?
❼ #ノートルダムドパリ フロロ愚かであり本能。愛を得るために究極の選択を迫る。カジモドはエスメラルダを探す。ベッドに口づけ。部屋の鍵を持っているのはフロロだと気づく。北側の塔にフロロが登って行くのを見つける。フロロとエスメラルダが交錯。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
❽ #ノートルダムドパリ フロロは広場でエスメラルダが絞首台に連れて行かれるのを見ていた。フロロとカジモドはエスメラルダが絞首刑になるのを見た。フロロはその瞬間悪魔のような笑い声を上げ、その声を聞いたカジモドはフロロを塔から突き落とす。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
うーん💦 ルイ16世がエスメラルダを絞首刑にするようにと命令してしまったからだというのは分かるのだけど、どうしてもエスメラルダが処刑される理由が分からないよね。もちろんフロロが最悪なんだけど、フェビュスも最低だな(*`д´) でも、フェビュスがそのままパリにどどまっているなら、彼が死んでないってことは皆に知れてしまうわけだよね? 彼が死んでない以上、冤罪であることは置いておいても、エスメラルダが処刑される理由がないことにならないっていうのはどうなんだろう。(´ε`;)ウーン…
不条理なことを描きたかったのかもしれないけれど、ユゴーはエスメラルダをどういう人物として描きたかったのかな? 人の業を背負って、自身の信念を貫いて死んでいった気高い存在としたかったのかしら? ある意味イエス・キリストのような?
カジモドが罪を犯すのは彼にとって悲劇でかわいそうだと思うけれど、フロロとしてはもう死ぬしかないわね。ここまで聖職者としても人としても堕ちてしまったら、救いようがないもの。
❾ #ノートルダムドパリ 「俺の愛していた者はみな!」と叫びカジモドは姿を消す。その後、グランゴワールは劇作家として成功。フェビュスは婚約者と結婚。エスメラルダは共同墓地に埋葬される。しばらくして、背中の曲がった白骨が彼女の白骨を抱き寄り添っているのが見つかる。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
➓ #ノートルダムドパリ 引き離そうとすると白骨は粉々になってしまった。#100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
伊集院光氏も最後に言っていたけど、自分もフェビュスがしれっと結婚してるのムカつくわ(*`д´) このエスメラルダの骨を抱くようにカジモドが亡くなっていたというのは泣けたわ。エスメラルダがそれを望むかは別として、物語の終わりとしては良かったと思う。このラストを知ってちょっと思ったのは、大好きなミュージカルの原作「オペラ座の怪人」の著者ガストン・ルルーって今作の影響を受けてるんじゃないかしら? フランス人ならユゴーは読んでいると思うし。怪物的な人物が出て来るというのは「フランケンシュタイン」とかのゴシック小説に影響を受けたのかなと思っていて、それももちろんあると思うけど、今作もありなんじゃないかと? たしかエリックは白骨となって発見されたんじゃなかったっけ? それでダロガがクリスティーヌに「エリックは死んだ」ってメッセージを送ったんじゃなかったかな?
11 #ノートルダムドパリ カジモドがフロロを殺す=父殺しの象徴。フロロ寺院を壊す=父殺し? フロイトによると男性は空想の中で父を殺さないと成長できない。恋愛は幸せと不幸を繰り返し、人を変える。人類愛は円環する。愛から抜け出せない→人間はスゴイ! #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
カジモドはその生い立ちから、フロロを神のように崇拝していたわけだけど、その絶対的な存在というのが=父親ということなのかな。エスメラルダに親切にされて、彼女を愛することで人間的な思いに芽生えたカジモドは、フロロを超えることで一人の男になる。それが、父親殺しの象徴であるということ。伊集院光氏が大聖堂を壊す=フロロの父親殺しと言っていて、なるほどと思った。周囲から聖職者にと望まれたフロロにとって、大聖堂=神であり、それが父親的なものということなのかもしれない。
愛から抜け出せないというのはなかなか深いね。もちろん、恋愛だけでなく人間愛も含めて、人間はその円環の中で生きているってことなのかしらね。
12 #ノートルダムドパリ 伊集院光氏ハッピーエンドなのではないか。カジモドなりの愛を貫いた。人間は合理的に生きられない。不合理な面を抱えているから人間。それこそが小説の力。納得できないがスゴイ。フロロから自分の正義、理屈を疑ってみる。どこが残ったかでその人分かる。 #100分de名著
— maru ◖ฺ|´⌣`*|◗·˳♪˚♫ (@maru_a_gogo) 2018年2月27日
主要な人物が全員死んでしまう作品ではあるけれど、カジモドにとってこれはやっぱりハッピーエンドなんだと思う。彼の愛は無償の愛で、エスメラルダを守りたいという思いを貫いたわけだからね。フロロはエスメラルダを手に入れたかったけれど、カジモドはエスメラルダが手に入らなくても良かった。彼女の心が自分になくても、彼女が守れればそれでよかった。この物語の主人公はカジモドとフロロなのだと思うけれど、カジモドの面から見ればこれはハッピーエンドで間違いないと思う。フロロの面から見てもある意味ハッピーエンドなのかな? 死ぬことでしか、あの苦悶から抜け出せないと思うので。
どこが残ったのかでその人が分かると語ったのは伊集院光氏。分かる気がする😌
ということで、幸せな終わりになる気がしない作品だなと思いながら見ていて、一見悲劇だけれど、ある面からするとハッピーエンドであるというのは、やっぱりスゴイ作品だなと思う。ちょっと読むのは勇気がいるけど、いつか読んでみようと思う。その前にミュージカルが見たいかな😃
100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50
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