なんくるないさ~いい加減の7割と別解で~

「お菓子のようなおいしい人に」(西村滋)。夢やロマンは想像力から。これからどんな人生が…そんな思いをつれづれに

新たなる旅立ち

2014-03-31 09:28:47 | 日記
2月は、「逃げる月」。3月は、「去る月」。
あまり「有終の美」という言葉は好きではない。
仕事上、異動が3年~6年周期でやってくる。中学校の教師をしているのだ。
離任式にあたって、子どもたちに言葉を贈ろうと思っていたがやめた。
実は、こんな言葉を用意していた。

みなさん、ハッピーに生きていってください。
「ハッピーに生きる」(金森俊朗)とは、自分のしたいことをしたいようにする、ということだけではできないと思っています。
「ハッピーに生きる」には、3つのことが大切になってくると思っていますが、自分自身でも考えてみてください。ぼく流に考えている「ハッピーに生きる」ための三カ条は

①大切にする
②考える
③流す です。

1つめの「大切にする」とは、
沖縄の言葉で「命(ぬちどう)宝」とあるように「命を大切」にすること
心と体の健康に注意することです。

2つめの「考える」とは、
やはり沖縄の言葉で「なんくるないさ」ということです。
本来は「どうにかなるさ」という意味ですが、
答えを導き出す方法はひとつではないし、ひとつがダメだったら、別の方法を考えたり、見方を変えたりすることにつながる言葉だと僕は思っています。
お医者さんの鎌田さんがPHP新書で「別解力」と書かれていることに通じます。この本、ぜひ読んでみてください。

3つめの「流す」とは、
自分のために、
家族のために、
友達のために、
見知らぬ誰かのために
汗や涙を流す
ということです。
汗は、努力や自分以外の人のことを思って行動し、
涙は、ともに喜んだり、悲しんだり、怒ったりすることです。

この3つを学ぶ場所が学校であり、ほんとうに学べば、「ハッピーに生きる」ことができると思っています。
みなさんの頑張りに負けないように頑張ります。
みなさんのお父さんやお母さん、家族の方にお世話になりましたと言っていたことをぜひ伝えてください。
みなさん、ありがとうございました。さようなら。

袴田事件とこれから

2014-03-30 10:53:38 | 日記
初めての投稿。
静岡に住んでいる者としてといっては、げさだけれど、袴田事件 再審決定について。冤罪は許されることではない。
こうして再審が決定されると、今まで関心を寄せてはいなかった人でさえ、訳知り顔に「ひどい」「かわいそう」となる。自分もある意味例外ではないが、これから二つの真実が明らかにされていかなければならないと思っている。
一つは、なぜこのような冤罪(一審の結果だけでは即断すべきではないかもしれないが)が起きてしまったのか。いわゆる「失敗から学ぶ」ということ。どんなことをしても、袴田さん自身、お姉さんの人生を償うことはできないことはわかっているが、それでも公的に償われていくこと。
そして、もう一つは、いわゆる袴田事件の真犯人は誰であるか、ということであり、一家で尊い命を奪われてしまった人たちに思いを馳せることではないだろうか。
報道に携わる人たちは、ぜひこの二つのことを肝に銘じて、報道を一過性のものとしないことを期待したい。
TBS報道特集や鳥越氏・長野智子氏の報道stationnには特に期待している。