今年の文化勲章受章者では、野球の長嶋茂雄が脚光を浴びて、ニュースでもたびたび放送されていましたが、数学者の森重文の受賞は遅すぎたと思います。また、ノーベル賞を受賞した真鍋祝郎の受賞は、これまでもあったというに、ノーベル賞を受賞したのに、文化勲章の受賞が遅れたらまずいという国の姿勢が見て取れる。そうであるなら、フィールズ賞受賞の森重文は30年前に文化勲章を受章されるはずであるが。なぜ、今年まで遅れたのか?遅すぎた受賞である。
遅すぎた受賞といえば、2008年のノーベル賞の物理学賞を受賞した南部陽一郎の場合も当時遅すぎた受賞といわれた記憶がある。同時に受賞した益川敏英が、南部の受賞を涙を流して喜んでいた光景が忘れられない。尤も、南部陽一郎は1978年には文化勲章を受章している。当時南部陽一郎はシカゴ大学の教授で、アメリカ国籍であった。今年の受賞者真鍋祝郎もアメリカ国籍であった。そしてなぜアメリカ国籍なのかというのが話題になった。
その南部陽一郎の生誕100年が今年であり、ある意味それを記念すべき、南部陽一郎の物語が「早すぎた男 南部陽一郎物語」(中島 彰:講談社 ブルーバックス 2021)である。
物理のことはわからないけれど、ひきつけられるように読んでしまうところは、著者の素晴らしい文章のおかげである。日本のジャーナリストはどうしても理系の分野でのこうしたノンフィクションの作品が苦手で、これまでも外国の翻訳本では感動したものも多くあったが、日本人をモデルにしたこうした作品は少なかった印象がある。
作者の経歴がジャーナリストとしては珍しい、東大の工学部出身である。その意味からして理系のジャーナリストの作品として、確かに物理学者ではないが、ないが故に、きちんと取材して少しでも自分でも理解しようという姿勢での文章が、読み手に伝わってくる作品といえる。「早すぎた男」とは、南部陽一郎の理論が時代を超えて早すぎて、それが理解、認識されるのが追い付かなかったという意味である。
この手の本は、高校生や中学生が読んで、物理にあこがれ、そして自分も物理を専攻したいと思うきっかけになる、そんな貴重な本であると思う。時代を超えて読んでほしい本である。読む人の年齢に応じて、読み取り方は違うと思う。違った読み方ができて、読む人によっていろいろな受け取り方ができる、貴重な本である。
森重文についても、こんな本ができれば思う人は、私だけではないだろう。