先日自宅で教えている生徒の母親から質問がありました。京大の総合人間学部について、どんな学部なのかという内容でした。
その昔、私が大学生の頃は、1,2回生は一般教養という科目を履修して、それを学ぶ場所が教養部という学部でした。東大は今でも教養部という学部が駒場にあり、1,2年生はそこで一般教養科目を履修しますが、東大以外の大学は、教養部はなくなり、京大でいえば、教養部を解消して総合人間学部に改組されましたが、今でもその総合人間学部が主体となって、1,2回生は吉田キャンパスで学んでいます。
「パン教」という言われるようになり、一般教養科目が学生からも不人気となり、80年代から教養部が解消されて、教養部の先生も既存の学部に所属が変わっていったのですが、どこにも属さないような先生の所属として総合人間学部ができたのです。大学によって名称は異なりますが、名古屋大学では情報文化学部がそれにあたりました。
教養科目としては、理系の数学から文系の国文学迄、幅広く科目があり、私の通っていた京大では今思い出しても、「パン教」といわれるほどいい加減な科目はなく、少なくとも私は、いい制度であったと今でも考えています。東大や京大だから先生も豊富で充実していたとも言えます。今も東大に残っているのは、そのあかしとも言えます。
したがって、今残っている総合人間学部は、文系も理系もごちゃまぜの感が否めないのは、教養部の名残とも言えます。工学部や農学部のような学科制のなく、何々研究室というような伝統もない、ある意味、個人事業主のような学部といえると思います。理学部と文学部を主体にした個人教授の集まりのような組織ともいえそうです。伝統のしがらみもない代わりに、学問的な伝統もないといえます。
就職も工学部などの学科推薦のような制度ではなく、理学部や文学部からの就職と考えた方がいいと思います。受験情報が氾濫する中で、進路指導という観点から見て、大学からの就職に関して、工学部などの就職の実態が正確に伝わっていないのが、私の教員生活においても常に付きまとっていた疑問でした。これに関しては、また後日書きたいと思いますが。
そこには、文系主体の就職情報からの脱皮ができていなかったこれまでの大学就職情報でした。今後は、文系、理系という枠組みも薄れていく中で、どうなっていくかに関して、世界から遅れていくという様々な分野での日本の現状を考えると、不安以外何物もありません。知性や見識のない、日和見主義の日本の政治家や官僚たちに信頼がおけないのは、この30年間を振り返れば明らかです。
東大、京大に関しては、次の本がわりと客観的に述べられているかとも言えます。
著者は、灘高出身の経済学者ですが、大学は小樽商科大学です。当時(私より少し前の世代)の小樽商科大学は商科大学としては、歴史的に一橋大学と肩を並べる伝統校であるというのは知られていましたが、今の受験情報の中での偏差値ランクなどにはその面影すらありません。著者は、その後大学院は大阪大学そしてアメリカの大学へとキャリアアップされて経済学者として成功されます。この著者の本からは共通してある種の受験の影響を感じ取れる気がするのは、私だけでしょうか。
今の大学入試に関わっての進路指導では、予備校による模試によるランキングで序列化されて、ランキング主体の進路指導で、そこには大学の伝統やら歴史もないような味気なさすら感じられます。
物言わぬ子ども化した最近の大学生を考える中で、日大の問題などを鑑みると、50年前に起こった日大闘争をかすかに知っている私から見ても隔世の感があります。当時、今と同じような大学の不正に対して経済学部の学生が声を上げ、大学側に不正をただすために声を上げ、全学ストに発展しました。そこで、大学側の暴力アルバイトとして雇われた、相撲部やアメフト部による、一般学生に対しての暴力がおこなわれ、その中に今回逮捕されたTも含まれたとか。それだけの大学の歴史を振り返る中で、大学の不正という状況な同じなのに、声を上げた当時の学生と、ただ助けを求めるような姿勢の今の学生の対比が時代を象徴するというか、大学の様変わりに隔世感を覚えます。そこに学問の衰退がなければという危惧をひしひしと感じてしまいます。