私は、朝刊にとっている、日経新聞では、「私の履歴書」を読むのが日課になっています。日経新聞をとり出してからの習慣ですが、特にこれはと思った人の場合は、スクラップにファイルしていますが、物理学者の益川敏英先生や米沢富美子先生などです。記憶に残っている方はやはり理系の学者が多いです。物理学者の佐藤文隆先生もそうです。知り合いの同級生にこの話をしたら、なんと図書館で昭和30年代の岡潔の「私の履歴書」があるというので、わざわざ新潟から送ってくれました。
そんな「私の履歴書」で、美術史の辻惟雄(のぶお)先生の文章がなぜか心惹かれ、その30回分を毎回楽しみに拝読しました。その「私の履歴書」が実は著書「奇想の発見」
に書かれたものを少し少なくしたもので、早速この「奇想の発見」を買ったものの、例のごとく積読状態だったのを今回時間があるのを幸いに読んでみました。「私の履歴書」には書かれてないことも多く、その意味では新鮮な気持ちで読めました。「奇想の系譜」
という辻先生の若い頃の有名な本によって、若冲などが日本で有名になったのですが、私自身も浮世絵は小さい頃(小学校の頃)から興味がありました。
何故かというと、私の年代は小さい頃(主に小学校の頃)に記念切手の収集が流行ったのです。その記念切手の中に、浮世絵シリーズなどがあり、小学校3、4年生で菱川師宣の「見返り美人」や東洲斎写楽の「市川海老蔵」、安藤広重の「東海道53次」等、日常会話での共通タームとして使っていたのです。そんな小さい頃の経験もあり、浮世絵にはずーっと興味を持っていました。またこの切手を集めるということで、明治以降の歴史に関してもマニアックに記憶していました。文化人シリーズで渋沢栄一や西周も知っていました。教え子に「周」という名前の子がいて、「あまね」と読んだら、「初めて読まれました。」とびっくりしていました。そんな浮世絵への興味もあり、「奇想の発見」を読み始めると、いろいろな発見がありました。
曾我蕭白に関して、私が住んでいる三重の松阪市の継松寺には、蕭白の「雪山童子図」があり、また同じ市内の朝田寺には杉戸絵と水墨壁貼付が残っていて、この5月に朝田寺ではこれらが公開されて、住職の説明を聞きながらしばし江戸の奇才の筆の凄さを感じ取りました。
さらに読み進めていくと辻先生がアメリカのプリンストン大学でも短期間ですが、ゼミを持たれていて、その際に世界的な数学者で、このブログでもその著書について書いた、志村五郎先生と知り合いになられそうで、志村先生の独特な人となりも、少ない記述の中にも十分に読み取れます。
著者の年代には、砂川事件や安保闘争など当時の政治状況がその青春時代の背景として陰に陽に影響を与えていることが垣間見れますが、その感覚は私の年代でも少しは垣間見れますが、私より若い世代には皮膚感覚としてそれを感じることは難しいでしょうね。というか、見当もつかないと言えるのではないでしょうか。
美術史家の本であるので、本の装丁もなかなかのもので、読むだけでなく視覚的にも印象的な本として大事にしたくなりますね。