2013年5月25日発行の朝日新聞紙朝刊は、土曜日版「be」という別紙が付いています。その「be」のトップページに掲載されたコラム「フロントランナー」は毎回“時の人”を取り上げ、その方の独自の生き様などを解説します。
5月25日のコラム「フロントランナー」には、ジャパンディスプレイ社長に就任して約1年になる大塚周一さんが登場しました。ジャパンディスプレイは、東芝、日立製作所、ソニーの3社の中・小型液晶パネル事業を統合しる新会社として2012年4月に設立され、中・小型液晶パネル事業を存続させる日本の最後の砦といわれた会社です(大型の液晶パネルでは、シャープが苦戦しています。シャープは中・小型液晶パネル事業も展開しています)。
紙のbeの見出しは「液晶事業再建のかじ取り役」です。一方、朝日新聞DIGITALのWebサイトでは、コラム「フロントランナー」は上下の二部構成です。その上編の見出しは紙と同じです。
今回は、大塚さんがジャパンディスプレイ社長に就任した経緯などを丁寧に解説します。大塚さんは、東芝などの大手電機メーカーという既存組織の出身者ではないことから、大企業に多い“サラリーマン社長”ではないことを力説する解説を展開します。
事業統合会社のジャパンディスプレイが設立されるとのニュースが出始めた2011年当初は、東芝、日立製作所、ソニーの3社の中・小型液晶パネル事業を手がける各工場を“緩く”束ねて、それぞれが独自の事業を進めるのではないかとの噂が流れました。今回のbeの解説では、日本を代表する電機大手の東芝、日立、ソニーの事業部を単に束ねた会社ではなく「完全に融合した創業期の新会社という意識を植え付けた」と語ります。ベンチャー企業として、存続をかけているようです。
設立前には、日本の統合会社でよく行われる“たすき人事”が融合策として実施され、事業改革ができないのではとも噂されました。この噂の理由は、日本の大手電機メーカーでは半導体などの主要電子部品事業の不振が続くと、事業統合し、打開策を探るからです。これは残念ながら、あまり成功していません。
例えば、DRAMというパソコンやスマートフォンなどに使われている重要なメモリー半導体では、NECと日立、三菱電機の事業を束ねてエルピーダメモリを設立しました。あれこれとかなり努力したのですが、力尽き、現在は米国のマイクロン・テクノロジーの傘下に入り、事業再建途上です。
同様に、システムLSIという電子部品では、ルネサスエレクトロニクス(東京都千代田区)と富士通、パナソニックとのシステムLSI事業の統合が模索されましたが、今年3月には断念し、事業調整に入るとのニュースが流れました。ルネサスエレクトロニクス自身が、NECと日立製作所、三菱電機の各事業部を再編し、2010年に再設立された統合会社です。日本の電機大手の半導体事業の再建を目指しています。
日本企業3社の中・小型液晶事業を統合し、日本の最後の砦となった中・小型液晶大手のジャパンディスプレイは、エルピーダメモリーで取締役兼COO(最高執行責任者)を務めた後に、定年退職したばかりだった大塚さんを社長に招きました。東芝、日立、ソニーの出身者ではない方が、社長になった訳です。
beによるとその経緯は、事業統合を設計した政府系投資ファンドの産業革新機構(東京都千代田区)が同社に第三者割当増資によって2000億円を投入し、出資の70%を占めることで、経営陣組閣の主導権を握ったようです(東芝、日立、ソニーの3社はそれぞれ10%ずつ出資しています)。ある種の国策会社です。
当時、産業革新機構に出向していた経済産業省出身の執行役員・企画調整室長(当時)の西山圭太さん(現 経産省審議官)は「個性が違う選手を束ねられる監督」として、大塚さんに着目したそうです。大塚さんを強く社長に押したのは、エルピーダーメモリ社長の坂本幸雄だったそうです。大塚さんの元上司です。
今回のbeの記事で興味を一番持ったのは、大塚さんも坂本さんも、米国の大手半導体メーカー傘下の日本テキサスインスツルメンツ(TI)でたたき上げに近い形で、実力を認められ、幹部にまで出世し「戦略思考やリーダーシップを学んだ」と、大塚さんが語ったことです。
日本の大手電機メーカーは、以前は指定校制度によって、有名大学から学生を採用していたために「大企業の任期中に大過なく過ごして後輩にバトンタッチする人がほとんど」と、日本企業の大企業病について、大塚さんは指摘します。これに対して、大塚さんはまず、大学を卒業すると京都の抵抗器メーカーに入社した後に、日本テキサスインスツルメンツ、ソニー、エルピーダーメモリと次々と新天地を求めて転職し、外の世界を知っているといいます。これに対して、日本の電機大手の幹部社員は「自社以外の外の世界を知らない」と指摘します。
日本の大手企業で順調にかつ無難に出世の階段を上ってきた幹部ではない人が、不振に陥った事業を統合し、その事業で勝てるような企業基盤を築くためには、まったくの部外者の方が、自由に腕が奮えることが重要なようです。日本でも、実力派の経営者を招く文化が出てきたようです。
こうした社長人事は、事業の実態がかなり切羽詰まっているからかもしれませんが、日本の企業文化を変える契機になりそうです。平時ではない時には、大胆な人事が必要です。
5月25日のコラム「フロントランナー」には、ジャパンディスプレイ社長に就任して約1年になる大塚周一さんが登場しました。ジャパンディスプレイは、東芝、日立製作所、ソニーの3社の中・小型液晶パネル事業を統合しる新会社として2012年4月に設立され、中・小型液晶パネル事業を存続させる日本の最後の砦といわれた会社です(大型の液晶パネルでは、シャープが苦戦しています。シャープは中・小型液晶パネル事業も展開しています)。
紙のbeの見出しは「液晶事業再建のかじ取り役」です。一方、朝日新聞DIGITALのWebサイトでは、コラム「フロントランナー」は上下の二部構成です。その上編の見出しは紙と同じです。
今回は、大塚さんがジャパンディスプレイ社長に就任した経緯などを丁寧に解説します。大塚さんは、東芝などの大手電機メーカーという既存組織の出身者ではないことから、大企業に多い“サラリーマン社長”ではないことを力説する解説を展開します。
事業統合会社のジャパンディスプレイが設立されるとのニュースが出始めた2011年当初は、東芝、日立製作所、ソニーの3社の中・小型液晶パネル事業を手がける各工場を“緩く”束ねて、それぞれが独自の事業を進めるのではないかとの噂が流れました。今回のbeの解説では、日本を代表する電機大手の東芝、日立、ソニーの事業部を単に束ねた会社ではなく「完全に融合した創業期の新会社という意識を植え付けた」と語ります。ベンチャー企業として、存続をかけているようです。
設立前には、日本の統合会社でよく行われる“たすき人事”が融合策として実施され、事業改革ができないのではとも噂されました。この噂の理由は、日本の大手電機メーカーでは半導体などの主要電子部品事業の不振が続くと、事業統合し、打開策を探るからです。これは残念ながら、あまり成功していません。
例えば、DRAMというパソコンやスマートフォンなどに使われている重要なメモリー半導体では、NECと日立、三菱電機の事業を束ねてエルピーダメモリを設立しました。あれこれとかなり努力したのですが、力尽き、現在は米国のマイクロン・テクノロジーの傘下に入り、事業再建途上です。
同様に、システムLSIという電子部品では、ルネサスエレクトロニクス(東京都千代田区)と富士通、パナソニックとのシステムLSI事業の統合が模索されましたが、今年3月には断念し、事業調整に入るとのニュースが流れました。ルネサスエレクトロニクス自身が、NECと日立製作所、三菱電機の各事業部を再編し、2010年に再設立された統合会社です。日本の電機大手の半導体事業の再建を目指しています。
日本企業3社の中・小型液晶事業を統合し、日本の最後の砦となった中・小型液晶大手のジャパンディスプレイは、エルピーダメモリーで取締役兼COO(最高執行責任者)を務めた後に、定年退職したばかりだった大塚さんを社長に招きました。東芝、日立、ソニーの出身者ではない方が、社長になった訳です。
beによるとその経緯は、事業統合を設計した政府系投資ファンドの産業革新機構(東京都千代田区)が同社に第三者割当増資によって2000億円を投入し、出資の70%を占めることで、経営陣組閣の主導権を握ったようです(東芝、日立、ソニーの3社はそれぞれ10%ずつ出資しています)。ある種の国策会社です。
当時、産業革新機構に出向していた経済産業省出身の執行役員・企画調整室長(当時)の西山圭太さん(現 経産省審議官)は「個性が違う選手を束ねられる監督」として、大塚さんに着目したそうです。大塚さんを強く社長に押したのは、エルピーダーメモリ社長の坂本幸雄だったそうです。大塚さんの元上司です。
今回のbeの記事で興味を一番持ったのは、大塚さんも坂本さんも、米国の大手半導体メーカー傘下の日本テキサスインスツルメンツ(TI)でたたき上げに近い形で、実力を認められ、幹部にまで出世し「戦略思考やリーダーシップを学んだ」と、大塚さんが語ったことです。
日本の大手電機メーカーは、以前は指定校制度によって、有名大学から学生を採用していたために「大企業の任期中に大過なく過ごして後輩にバトンタッチする人がほとんど」と、日本企業の大企業病について、大塚さんは指摘します。これに対して、大塚さんはまず、大学を卒業すると京都の抵抗器メーカーに入社した後に、日本テキサスインスツルメンツ、ソニー、エルピーダーメモリと次々と新天地を求めて転職し、外の世界を知っているといいます。これに対して、日本の電機大手の幹部社員は「自社以外の外の世界を知らない」と指摘します。
日本の大手企業で順調にかつ無難に出世の階段を上ってきた幹部ではない人が、不振に陥った事業を統合し、その事業で勝てるような企業基盤を築くためには、まったくの部外者の方が、自由に腕が奮えることが重要なようです。日本でも、実力派の経営者を招く文化が出てきたようです。
こうした社長人事は、事業の実態がかなり切羽詰まっているからかもしれませんが、日本の企業文化を変える契機になりそうです。平時ではない時には、大胆な人事が必要です。