昨夜はついに、ジャガイモとウインナーの競演です。
手作りウインナーに、北海道から頂きましたジャガイモを添えて。
というか、逆ですね。ジャガイモにウインナーを添えている感じでしょうか。
残念ながら、黒ビールは用意できませんでしたが。
「馬鈴薯を食べる人々」の世界ですね。
家族3人で山と積まれた芋とソーセージを食べる。
この光景だけ見たら貧しい食卓に見えなくもないですが(他の料理もあるのですけどね)
シンプルに、素材の味を感じながら食べるというのは、ある意味贅沢であり、食の原点に帰るような気がします。
まあ、しかし、複雑で技巧を凝らした味もそれはそれでいいモノですので。
どちらも楽しめるというのがいいのでしょうね。
片一方に傾きすぎず、人間がやっている事を否定もせず。美味しいものをただ美味しく頂くというのが食の基本かな、と思います。
ジャンクフードにも、ちゃんとそれを作っている人がいるのですから、そういう人達に感謝の気持ちを持って食べれば、シャンクフードもそれは食事として成り立つのだと思います。
自分がそう思うことで、それはそういう働きをする。
と考えると、「ジャンクフードは体に悪い!」と思って食べると体に悪い働きをするでしょうね。体に良い食材を使っていても「今日一日に摂取カロリーはコレくらいだから、越えないようにしないと!」とか思って食べている時に、カロリーを越えた場合には同じように体に悪い働きをし始めると思います。
自分を追い込むと、いいモノも悪くなりますし、悪いものはさらに悪くなるかと。
食は楽しく、ストレスを取り除けるような、そんな良い食事をしたいものですね。
といいながら、私はそれができない人間なのですが。
「食事=栄養摂取」
的考えなもので。
いつもはスエーデンボルクのように丸薬で生活して、たまにいいモノ食べるくらいでいいんですけどね。
まあ、とりあえず芋でもあれば十分です。
スエーデンボルクの話が出たので、今日のヘミシンクはそのあたりでも。
昨日は覚醒系のメタミュージック聞いて寝たら、眠れなくなりまして。夜中になんどか目が覚めましたね。寝る前に聞く音楽は注意しましょう。
向うの世界、というのは私の感じるところでは荘厳な建物があったり、そこでは亡くなった方の生活する場があったりしまして。
いつでも会いに行けば会える環境になっているのを感じております。
そこに、「49日以降は成仏するから」とかこちらの都合を入れると、接触できなくなったりします。
向うの世界にある情報には、アクセスするのに何の制限もありませんので。こちらでフィルターかけるので、アクセスできなくなったりします。
ネット社会にはいろいろな情報が存在していますが。そこに「青少年に悪い」ものに対してこちらの都合でフィルターをかけると、ネットの一部にアクセスできなくなります。
これと同じことを、ついつい私達は「向うの世界の方々」に対して行っているようなものです。
「この情報はまだ接触するのが難しいから」
「自分にはそういう能力ないから」
そういうフィルターがかかっているのですよ。
ちなみに、「向うの世界」というのは、フォーカス21~35までひっくるめた言い方ですけどね。
このフィルターを外していく作業みたいなものが、ヘミシンクのゲートウェイとか、いろんなところで行われている各種セミナーになるものでして。
それで、ちょっとずつ剥がしていくと、普通の人でも普通に向うの世界とアクセスできます。
というか実際すでにしているだけで、気がつかないのですけどね。
あまりにも当たり前すぎて。
その当たり前のところに、現実世界で作られたフィルターがかぶせられるので、向うの世界を感じる事が難しくなるような、そんな感じですかね。
海外に行った事のない人は、犯罪や海外の危険な話を聞いていると「怖いところだ」と思って行きたくなくなります。
しかし、その怖い話を流している人々は、それを流すことで海外を怖いところだと思わせるように仕向けているところもあります。
向うの世界に各自が普通に目を向けてしまうと、それによって困る人も多いので。
それで「向うは怖いとこ」というフィルターをかけられているところもありますよね。
向うの世界とアクセスする簡単な方法は、パソコンと同じです。
ネットで見つけた「小さなサイト」から徐々にネット環境に入り込んでいく感じですかね。
先ずは、興味のあるネタをグーグルで拾います。
そこで、選んだところのネタを読んだら、そこにあるリンクを辿っていろいろなところへアクセスしていきます。
それを繰り返していくと、だんだんネットの奥深いところまで入り込めて、その途中では気分の悪くなるようなサイトや、誹謗中傷のサイト、とっても心地の良いサイトなどなど見る事ができます。勉強にもなります。
その結果、自分が本当に欲しい情報に気付き、それにアクセスできるようになる。
そういう感じですかね。その途中で重要なのが、いろいろなプログラムとか、ウイルス除去ソフトとか、あとはプロバイダの環境などもありますね。
この場合の「小さなサイト」というのは、現実世界の隣の人かもしれませんし、ふと開いた本のページかもしれませんし。このブログかもしれませんね。
そこから入り込んでいく時に使うソフト、そういうものがガイドのように見えないところで働いてくれる存在みたいなものでしょうか。
ガイドと会いたい、というのは、その「作業しているプログラムを認識したい」という感じとも受け取れます。
そう思うと、ガイドとの接触というのは、あくまで自分が達成する目的の途中経過である場合もあるし、会わなくても良い場合もあります。
それは、自分でいろいろなサイトにもぐりこむように、興味のある方向にいろいろと手を伸ばしてみるのが必要かと。
その際、自分の安全プログラムがちゃんと機能しているのか、それは確認する必要ありますけどね。
それが、内観とか、瞑想とか、日記にまとめるとか、記録に取るとか、そういう「見つめなおす」作業になると思います。
「ネットは悪だ!」というのと「非物質世界は危険だ!」というのは私にとっては同じレベルの話でして。
ちゃんとした使い方と対応を学んでいけば、それほど危険でもないと思います。
普通に、現実世界で普通に生きられるスキルがあれば、十分向うの世界とアクセスできますし、危険な事も(ちょっとある場合もあるかも)ほとんど無いと思われます。
私は実際、向うの世界で死ぬ目にあった、というのはありませんからね。金縛りにあった時に、自分ひとりで怖がっていたときはありますけど。
向うの世界を必要以上に怖がらない、崇拝しない、特別視しない、
自分の住む世界を必要以上に卑下しない、おろそかにしない、否定しない。
でいれば、ゲートウェイを使っての向うの世界とのアクセスも、だんだん上達していくと思います。
見えるだけがアクセスではありません。感じる事の方が、もっと素晴らしいアクセス方法です。
「向うの世界とつながれる才能のある無しはどこで決まるのか?」
とたまに言われることですが。
才能は特に必要ないと思います。日常生活を普通に送っていて、ただ「興味を持って、世界を好意的に見よう」くらいの意識があれば、それでいいのではないかと。
まあ、一回否定することをやめて、全部受け入れられるように考えてみると、世の中面白くなってきますよ。
もちろん、そういいながらも私はコレできているわけではありませんので。
ここに書くという事は出来てないから書くのですよね。
すべて、「普通に」こういう事が出来ている人は、それが普通なのでわざわざ書いたりしませんので。
まあ、書く、というのはアファメーションと同じですから。
日記を書いたり、記録をつけましょう、というのは、こういうアファメーションを書き記す意味もありますので感じた事や思いついたことを書くのも重要です。
それも体験ですから。
で、お知らせ。
先日ご紹介した、名古屋のDVDとか、新着CDとか。販売準備整いましたので、「まるの日カフェ売店ブログ」にアクセスしてみてくださいね。
http://misayo1125.blog71.fc2.com/
手作りウインナーに、北海道から頂きましたジャガイモを添えて。
というか、逆ですね。ジャガイモにウインナーを添えている感じでしょうか。
残念ながら、黒ビールは用意できませんでしたが。
「馬鈴薯を食べる人々」の世界ですね。
家族3人で山と積まれた芋とソーセージを食べる。
この光景だけ見たら貧しい食卓に見えなくもないですが(他の料理もあるのですけどね)
シンプルに、素材の味を感じながら食べるというのは、ある意味贅沢であり、食の原点に帰るような気がします。
まあ、しかし、複雑で技巧を凝らした味もそれはそれでいいモノですので。
どちらも楽しめるというのがいいのでしょうね。
片一方に傾きすぎず、人間がやっている事を否定もせず。美味しいものをただ美味しく頂くというのが食の基本かな、と思います。
ジャンクフードにも、ちゃんとそれを作っている人がいるのですから、そういう人達に感謝の気持ちを持って食べれば、シャンクフードもそれは食事として成り立つのだと思います。
自分がそう思うことで、それはそういう働きをする。
と考えると、「ジャンクフードは体に悪い!」と思って食べると体に悪い働きをするでしょうね。体に良い食材を使っていても「今日一日に摂取カロリーはコレくらいだから、越えないようにしないと!」とか思って食べている時に、カロリーを越えた場合には同じように体に悪い働きをし始めると思います。
自分を追い込むと、いいモノも悪くなりますし、悪いものはさらに悪くなるかと。
食は楽しく、ストレスを取り除けるような、そんな良い食事をしたいものですね。
といいながら、私はそれができない人間なのですが。
「食事=栄養摂取」
的考えなもので。
いつもはスエーデンボルクのように丸薬で生活して、たまにいいモノ食べるくらいでいいんですけどね。
まあ、とりあえず芋でもあれば十分です。
スエーデンボルクの話が出たので、今日のヘミシンクはそのあたりでも。
昨日は覚醒系のメタミュージック聞いて寝たら、眠れなくなりまして。夜中になんどか目が覚めましたね。寝る前に聞く音楽は注意しましょう。
向うの世界、というのは私の感じるところでは荘厳な建物があったり、そこでは亡くなった方の生活する場があったりしまして。
いつでも会いに行けば会える環境になっているのを感じております。
そこに、「49日以降は成仏するから」とかこちらの都合を入れると、接触できなくなったりします。
向うの世界にある情報には、アクセスするのに何の制限もありませんので。こちらでフィルターかけるので、アクセスできなくなったりします。
ネット社会にはいろいろな情報が存在していますが。そこに「青少年に悪い」ものに対してこちらの都合でフィルターをかけると、ネットの一部にアクセスできなくなります。
これと同じことを、ついつい私達は「向うの世界の方々」に対して行っているようなものです。
「この情報はまだ接触するのが難しいから」
「自分にはそういう能力ないから」
そういうフィルターがかかっているのですよ。
ちなみに、「向うの世界」というのは、フォーカス21~35までひっくるめた言い方ですけどね。
このフィルターを外していく作業みたいなものが、ヘミシンクのゲートウェイとか、いろんなところで行われている各種セミナーになるものでして。
それで、ちょっとずつ剥がしていくと、普通の人でも普通に向うの世界とアクセスできます。
というか実際すでにしているだけで、気がつかないのですけどね。
あまりにも当たり前すぎて。
その当たり前のところに、現実世界で作られたフィルターがかぶせられるので、向うの世界を感じる事が難しくなるような、そんな感じですかね。
海外に行った事のない人は、犯罪や海外の危険な話を聞いていると「怖いところだ」と思って行きたくなくなります。
しかし、その怖い話を流している人々は、それを流すことで海外を怖いところだと思わせるように仕向けているところもあります。
向うの世界に各自が普通に目を向けてしまうと、それによって困る人も多いので。
それで「向うは怖いとこ」というフィルターをかけられているところもありますよね。
向うの世界とアクセスする簡単な方法は、パソコンと同じです。
ネットで見つけた「小さなサイト」から徐々にネット環境に入り込んでいく感じですかね。
先ずは、興味のあるネタをグーグルで拾います。
そこで、選んだところのネタを読んだら、そこにあるリンクを辿っていろいろなところへアクセスしていきます。
それを繰り返していくと、だんだんネットの奥深いところまで入り込めて、その途中では気分の悪くなるようなサイトや、誹謗中傷のサイト、とっても心地の良いサイトなどなど見る事ができます。勉強にもなります。
その結果、自分が本当に欲しい情報に気付き、それにアクセスできるようになる。
そういう感じですかね。その途中で重要なのが、いろいろなプログラムとか、ウイルス除去ソフトとか、あとはプロバイダの環境などもありますね。
この場合の「小さなサイト」というのは、現実世界の隣の人かもしれませんし、ふと開いた本のページかもしれませんし。このブログかもしれませんね。
そこから入り込んでいく時に使うソフト、そういうものがガイドのように見えないところで働いてくれる存在みたいなものでしょうか。
ガイドと会いたい、というのは、その「作業しているプログラムを認識したい」という感じとも受け取れます。
そう思うと、ガイドとの接触というのは、あくまで自分が達成する目的の途中経過である場合もあるし、会わなくても良い場合もあります。
それは、自分でいろいろなサイトにもぐりこむように、興味のある方向にいろいろと手を伸ばしてみるのが必要かと。
その際、自分の安全プログラムがちゃんと機能しているのか、それは確認する必要ありますけどね。
それが、内観とか、瞑想とか、日記にまとめるとか、記録に取るとか、そういう「見つめなおす」作業になると思います。
「ネットは悪だ!」というのと「非物質世界は危険だ!」というのは私にとっては同じレベルの話でして。
ちゃんとした使い方と対応を学んでいけば、それほど危険でもないと思います。
普通に、現実世界で普通に生きられるスキルがあれば、十分向うの世界とアクセスできますし、危険な事も(ちょっとある場合もあるかも)ほとんど無いと思われます。
私は実際、向うの世界で死ぬ目にあった、というのはありませんからね。金縛りにあった時に、自分ひとりで怖がっていたときはありますけど。
向うの世界を必要以上に怖がらない、崇拝しない、特別視しない、
自分の住む世界を必要以上に卑下しない、おろそかにしない、否定しない。
でいれば、ゲートウェイを使っての向うの世界とのアクセスも、だんだん上達していくと思います。
見えるだけがアクセスではありません。感じる事の方が、もっと素晴らしいアクセス方法です。
「向うの世界とつながれる才能のある無しはどこで決まるのか?」
とたまに言われることですが。
才能は特に必要ないと思います。日常生活を普通に送っていて、ただ「興味を持って、世界を好意的に見よう」くらいの意識があれば、それでいいのではないかと。
まあ、一回否定することをやめて、全部受け入れられるように考えてみると、世の中面白くなってきますよ。
もちろん、そういいながらも私はコレできているわけではありませんので。
ここに書くという事は出来てないから書くのですよね。
すべて、「普通に」こういう事が出来ている人は、それが普通なのでわざわざ書いたりしませんので。
まあ、書く、というのはアファメーションと同じですから。
日記を書いたり、記録をつけましょう、というのは、こういうアファメーションを書き記す意味もありますので感じた事や思いついたことを書くのも重要です。
それも体験ですから。
で、お知らせ。
先日ご紹介した、名古屋のDVDとか、新着CDとか。販売準備整いましたので、「まるの日カフェ売店ブログ」にアクセスしてみてくださいね。
http://misayo1125.blog71.fc2.com/
今日の御記事も大変参考になりました。
ありがとうございます。
頭痛が全くもってない???
ってな訳で、洋裁も始めちゃうことにしました??
今日の一言!
たかひろのオ〇メくらいあたしにだって替えられるわよ?ん。勿論合言葉はあっち向いてホイ??
何でもフィルターをかけずにありのままに見たいですね。
私もアファメーションして少しづつでもフィルターをはずしていこうと思います。
おいしそうですね。
家族の暖かさが、伝わってきますね。
何をやるにしても、危険と、責任が伴いますね。
人生の中で、だまされたり、失敗したりして、学んでいくものですね。
それが、人生だと思いますよ。
最近まるの日さんのブログもmixiも気になりつつずっと見ていませんでしたが、突然『今見よう!』と思いました。
ガイドさんの導きかな?
ヘミシンクもサボっていましたがまたぼちぼち頑張ります(*^_^*)