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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「さっぽろの古を訪ねて」第3弾の企画案完成!

2020-03-03 16:21:27 | 「めだかの学校」関連

 私が所属するシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」の来年度の野外講座のテーマを「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」とした。このほど講座の全体像がまとまり、受講者募集の案内パンフレットを作成した。

        

 「めだかの学校」では、一昨年が「さっぽろの成り立ちを訪ねよう!」、昨年が「お雇い外国人の事績を辿る」をそれぞれテーマとして野外学習を実施してきた。そこで来年度は北海道(札幌)の警備と開発を担った「屯田兵」に焦点を当てることにし、テーマを「「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」とした。

 札幌市、および近郊には屯田兵が集団で暮らした屯田兵村の史跡がたくさん存在する。その中から、「琴似屯田兵村」「山鼻屯田兵村」「新琴似屯田兵村」「篠路屯田兵村」「野幌屯田兵村」の五つの屯田兵村跡を訪ね、史跡などを巡って屯田兵の果たした役割について理解を深めることとした。

 講座は全6回の開催であるが、第1回目だけは座学として、琴似屯田子孫会の事務局長さんを招き、屯田兵について解説していただくとともに、講座全体を概観する機会とした。

 屯田兵について私がここで語るまでもないのだが、準備を進める中で学んだことの概要を紹介しておくことにする。

 江戸末期から明治初期において、北海道はロシアからの圧力に抗する北方警備と、未開発だった北海道の開拓を進めることが大きな課題となっていた。そこで「屯田兵制度」を定め、1875(明治8)5月、当時の琴似村に宮城県など20道府県の旧士族198戸が屯田兵として入植し、第一大隊第一中隊を編成したのが皮きりである。

 以来、改編や制度改正を繰り返しながら屯田兵は全道一円に広がり、1899(明治32)年に天塩川地区に屯田兵が入植した時点では、全道に37の屯田兵村が存在し、屯田兵の総数7,337人、その家族は39,911人に達したという。

 その間に、屯田兵たちは西南戦争や日露戦争に従軍しながらも、未開だった北海道の開拓に従事し、今日の北海道の繁栄の礎になったことを改めて知ることができた。

 今回の講座においては、彼ら屯田兵が遺した史跡を訪ねることで、屯田兵たちの苦難の歴史に触れ、その功績について受講者の方たちと思いを共有したいと思っている。

 さて、受講者は30名を予定しているが、はたして思惑通り集められるだろうか?案内パンフレットは今月15日に配布する予定にしている。



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