白老にはなんといってもウポポイ(民族共生象徴空間)という武器がある。しかし、そこは有料施設のためにコースには含まれていない。それでもポロト湖周遊と仙台藩陣屋跡という魅力的な見どころを含んだ素晴らしいコースだった。(約13.0Km)
今回のミニ遠征は雨と付き合う遠征だった。前日の「うかわウォーク」に続き、6月10日の「白老ウォーク」も雨と付き合わねばならないものとなった。
夜通し降り続いた雨は朝になっても止んでいなかった。雨の中を出てゆく勇気は持ち合わせてはいない、ひたすら雨が止むのを待った。そうしたところ私の思いが通じたのか、午前10時近くになって雨が小止みと状態となったので、「それーっ!」ばかりに雨装備を整えてスタートした。
※ コースのスタート&ゴールとなった「白老駅」です。
※ 白老駅の駅前通の様子です。
スタート地点の「白老駅」から駅前通りを行くと、「白老町役場」の庁舎が目に入った。すると庁舎には「北海道遺産認定 仙台藩白老陣屋跡」と書かれた大きな幕が壁面に掲げられていた。 歴史に疎い私は「へぇ~、陣屋跡は白老にとってそんなに大切なものなんだ」と、その時初めて仙台藩陣屋跡に興味を抱いた。
※ 白老町役場です。右側の壁に仙台藩陣屋跡が北海道遺産に認定されたことを祝う垂れ幕が下がっています。
踏切を渡り、白老の住宅が密集する地域に入っていった。歩き始めて間もないのに、レインウエアを着ていると蒸れて暑い。雨は止んでいなかったがレインウエアの上を脱ぎ、傘で雨対策をして歩き続けた。住宅街を抜け、小高い丘に向かって「陣屋通り」を進んだ。
※ 仙台藩陣屋跡に続く陣屋通りです。
陣屋通りに入って1キロも進んだころ、森の中に導かれた。その入口には仙台藩陣屋跡についての説明板が設置されていた。それによると「江戸末期の安政2(1855)年、幕府から蝦夷地警備を命じられた仙台藩は警備に適した場所として白老ウトカンベツを見出し、翌安政3年に元陣屋を築き、蝦夷地警備の本部とした」と概略書かれていた。
※ 陣屋跡一帯の入口に立てられた看板です。
※ その看板の横には陣屋跡についての説明板が設置されていました。
説明板のところを離れて中へ進むと高い土塁が築かれていた。その一角には内部へ通ずる「御門」と呼ぶ大きな門を潜り抜けると、そこは「外曲輪(そとくるわ)」という藩士たちが訓練をしたり、下級藩士たちが寝泊まりしたりする長屋跡があった。
※ 高い土塁に囲まれて外曲輪に入る「御門」です。
※ 外曲輪の一角には下級藩士が寝泊まりする長屋跡が示されていました。
さらに進むと掘割を巡らせた内曲輪(うちくるわ)に導かれる。そこは陣屋の中心部で、本陣・勘定所・兵具蔵・火薬庫などの跡地が記されていた。後で聞いて分かったことだが、この仙台陣屋跡は、海岸から2キロほど奥地に入った小高い丘の上に築かれている。その理由の一つは海岸線を警備するために高いところに陣地を据える必要があったこと。さらには陣屋跡の東西に河川が走り、自然の要害となったということである。
※ 外曲輪から内曲輪に入るための橋です。
※ 内曲輪内の一角です。土塁が積まれています。
※ 内曲輪内の本陣の跡です。
陣屋跡の史跡の直ぐ横には「仙台藩白老元陣屋資料館」が建てられていた。思わぬ史跡の存在に感激した私が寄らないわけがない。資料館の中に入ると、素敵な出会いが待っていた。それは、地元の白老東高校の生徒さんがクラブ活動の一環としてボランティアでガイドをしているのでぜひ利用してほしいとの要望だった。断る理由などまったくない。私は喜んでガイドをお願いした。白老東高校の女子生徒さんは実に誠実に展示物について説明してくれ、私の陣屋跡への興味関心をさらに深めてくれた。さて白老仙台藩元陣屋が構築されたのは安政3年という江戸末期であった。慶応4(1868)年、戊辰戦争の最中に仙台藩士たちは白老からの撤退を決め、決死の覚悟で仙台へ帰還したという。白老での北方警備の任は僅か12年間という短い日々だったそうだ。
※ 「仙台藩白老元陣屋資料館」の外観です。
※ ボランティアでガイドをしてくれた白老東高校の生徒さんです。(右端)
※ 陣屋跡の内曲輪を再現したジオラマです。中央が本陣跡です。
ウォークとは直接関係のない記述が多くなってしまった。コースはまだ序盤である。先へ急がねば…。
「仙台藩白老元陣屋資料館」を後にした私は再び住宅街を歩きポロト湖を目ざした。住宅街を通る「桜が丘通り」は市街地にも関わらず緑豊かな気持ちの良い通りだった。
※ 道路の両側に住宅が連なる「桜丘通」です。道路が雨に濡れてますね。
※ はっと気づいたら、白老駅に近いポロトミンタラという私が駐車した所でした。
コースはスタートした「白老駅」の近くを通り、ポロト湖畔に立地するウポポイを目ざした。ウポポイの脇を通り、いよいよポロト湖畔周遊の始まりである。周遊は湖の周りを時計回りに巡るコースである。コースに入って間もなく湖面を見ることができた。そこからはウポポイの施設も望むことができた。
※ ウポポイの柵を横目にポロト湖一周のウォーキングに出かけます。
※ ポロト湖の湖面と向こうにウポポイの建物が見えます。湖は浅いようですね。
コースに入って1キロも進んだろうか、湖畔に「インフォメーションセンター」があったので寄ってみると、職員から「熊鈴は持っているか?」と問われた。登山の際はいつも携行しているのだが、この日は持ち合わせてはいなかった。「熊が出るんですか?」と問うと「知らない」となんだか無責任なことを言う。まあ、「気を付けて歩きなさい」ということだろうと解釈し、そのまま前に歩を進めた。コースは舗装され、歩道も完備されていて、周りは鬱蒼とした森林になっていて、森林浴には絶好の環境だった。
※ インフォメーションセンターの建物です。
※ カヌーを楽しんでいる人がいました。(インディアンカヌー?)
※ こうした鬱蒼とした森が続く道路でした。道路は舗装してあります。
ポロト湖畔周遊に入って3キロも進んだころに今度は「ビジターセンター」が現れた。ここで持参のおにぎりを頬張り、またまた施設を管理する職員に尋ねた。「ポロト湖畔一周でどれくらいの距離があるのですか?」と…。すると職員は「分からない」と言う。関係者が肝心の知識を持ち合わせていないということは残念なことである。
※ 湖の最奥部に近いところにあったビジターセンターです。
ビジターセンターはポロト湖周遊の最奥部に近いところである。そこからは一路ウポポイのある周遊のスタート地点を目ざしてのウォーキングとなった。コースの状況は一変し、舗装も一部途切れるなどワイルドな感じのコースとなった。
※ 対岸の帰り道の方は未舗装のコースでした。
コース中で非常に目立ったのが、大きく成長したミズバショウの葉である。一枚の葉の長さが80cm~1mもあるまるでお化けのような大きな葉が密集して生息していた。白いガクが咲き乱れる時期は壮観ではないかと思われるほどだった。
※ お化けのように大きく育ったミズバショウの葉です。
コースの周囲は変わらず鬱蒼とした森林だったが、コース脇に立てられていた掲示板を見ると、けっこう人工林の割合も多いようだった。そうした中、古木もけっこう多いようで、それらについて案内する掲示板も設置されていて、訪れる人には親切な配慮がなされていた。
※ ポロト湖周遊のゴール地点。(反対のスタート地点)熊注意の看板が目立ちます。
一説によると湖畔一周はおよそ7キロとも言われているようだが、なんとか無事に一人旅を終えることができた。湖畔周遊のスタート地点に戻った私は、ウォーキングをいったん中断してウポポイ(民族共生象徴空間)の中を見学することにした。(そのレポは明日に)
※ ウポポイの施設の外壁に大きく表示がされていました。
ウポポイを出るとゴールの「白老駅」はすぐ傍である。あちこちに寄り道をしながらも午後3時半すぎに「白老駅」に着き、駅員から参加証明のスタンプを押していただき、「ヘルシーウォーキング in 白老」を無事終えることができた。