COME BACK JAPAN!! おっかなビックリ日本生活

中国より20年ぶりに日本復帰
まさに 浦島太郎状態の日本生活です。
家族3人力を合わせて 頑張って行かねば!!

時代の流れなんでしょうね~ 我が工場団地の工員食堂 閉鎖される事になりそうです。

2013-07-30 23:52:38 | 日記
こんばんは。


今日 緊急工場長会議が開かれました。
先週末くらいに連絡が来て、必ず出席して下さい。欠席した場合は、全ての事案 同意したモノとみなします。
みたいなメールが届いていたので、
チョット乱暴過ぎないか??定例での欠席については、同意したモノとみなされてもしょうがないか??
とは思いますが、緊急に招集かけられたものなんか 行ける場合と行けない場合が出てもしゃーないやろ!!
って感じで、また咬みついたんですが、私が咬みついた事について、丁寧な回答が来たので、
んじゃ出席しようって事で、予定を組み替えて、出席しました。


内容としては、我が工場団地の宿舎及び工員食堂についてでした。
元々 中国は、改革開放を謳った時に 地方から出て来る出稼ぎ工員に対して、住む場所と食事を提供するように
という事になっていました。いわゆる『包吃包住』という制度です。
企業を設立する時、宿舎を完備しなければ、認められない。食事を提供出来なければ、認められない。
こんな感じだったんです。
出稼ぎに出て来る工員達も お金など殆ど持たず、2,3枚の衣服とバケツを持って、都市部に出て来るという感じでした。

ただ、今は、そこそこみんな裕福になって来ているので、色んな自由を要求し始めます。
これは、当たり前の流れでしょう。
食事も与えられたものでは、満足出来ず、自分の食べたい物を食べるようになり(食べられるようになり)
部屋も宿舎ではなく、自分で部屋を借りて、生活する。(友達と一緒に部屋を借りて生活する)
こんな風に変わって来ています。

実際 我が工場団地の宿舎も昔は、いっぱいで、順番待ちやムリヤリ部屋に詰め込んでたみたいな感じだったのが
今では、ガラガラ・・・空き室だらけ。。。
工員食堂も 長蛇の列を作っていたのが、今では、工員食堂で食べる人間が、ドンドン減ってしまい、経営が成り立たないというような状態です。
昔は、何千人も食べていて、お昼休憩を各企業ごとにずらしたりしないと食堂に入りきらなかったのが、
現在では、一番多い時間でも200人程度。。。というような状態のようです。

こうなってくると宿舎の維持費が、非常に重荷になってしまいます。
食堂も多く作るから安く出来る訳で、現在の状態では、余ってしまい、廃棄の量が増える一方で、経営が成り立ちません。


それで、今回の会議で、宿舎の一部を売却し、身軽にしよう。食堂経営も辞め、各自自分で準備する事とし、
会社から一定の手当を支給する事にしよう。というようになりました。

これも時代の流れでしょうね。
お金が有れば、誰だって、自分の部屋は欲しいし、工員宿舎みたいな所に何人も一緒に住みたくない。
お金が有れば、好きなモノ食べたいだろうし、自分で部屋借りれば、自分で作って、弁当を持って来たい。
当たり前の事でしょうね。こういう流れは、止められないです。
食事については、日本人よりこだわりを持ってますからね。

私達 会社の経営に携わっている者としても 宿舎減らしてもらった方が、負担は少ないし、
食堂を辞めて、一定の手当を支払った方が、負担は少ないんです。


時代は変わっていきます。いずれまた工員食堂なるものが欲しくなる時期も来るでしょうね。
しかし、その時に復活出来るか??と言えば、そう簡単には行かないでしょう。
設備も整えなければなりませんし、かなり難しいでしょうね。
それもしょうがないことです。

ちなみに私が中国に赴任した時の工員給料は、 450元程度でした。現在は、1,550元です。
3倍以上になっています。食事費用も上がっているでしょうが、勿論3倍には、上がっていません。
近くの安い食堂で食べると 2倍弱にはなっているかもしれませんが、そんなもんでしょうね。


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