マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

北の大地 根室本線 DD51牽引 421列車

2011-02-11 01:14:00 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
こんばんわ。

今日はずっ~と雪の情報で、鉄道のダイヤが心配です。
というのも、同僚の結婚式に参列ということで、新横浜の近くまだ行かなければなりません。距離もありますし、近道だと3回も乗り継ぎが必要になりますので、間引き運転とかされてしまうと厳しいんですよね。
雪だったら写真も撮りないしなぁ~。

さて、今日は北海道のDD51牽引列車の締めくくりとなってしまうと思いますが、取って置きの画像です。←自己満足。



昭和56年3月16日 根室本線 池田駅にて DD51578牽引 421レ

昭和56年、北海道の主要各線では、まだまだ旧型客車による普通列車は結構走っていたのですが、幹線である根室本線では、滝川~釧路間、釧路~根室間に1往復ずつのみという状況でした。ですから、当然にして出逢う確率が少なかった訳ですが、偶然にも2枚の写真を撮っていました。

この写真は池北線を北見側から踏破し、池田駅での交換待ちの際に偶然出くわしたもの。
時刻表を見ると・・・
根室本線 下り 421レ  池田 11:29着 11:49発 釧路行き
池北線  上り 932D  池田 11:21着 11:37発 帯広行き
となっており、池北線から直通の帯広行きにもかかわらず、421レが到着してから932Dが発車するまで8分も時間があるため、余裕で撮影できたということなんでしょうね。

この区間唯一の普通客車列車である421レ・422レは、客車3両に荷物車が5両という、人荷が逆転した編成。時刻表を見る限り、根室本線には急行荷物列車が設定されていませんので、先に説明いたしました各1往復の客車列車が、帯広・釧路・根室方面の荷物輸送を担っていたということが分ります。



昭和56年3月17日 根室本線 落合~新得間にて DD51642牽引 421レ

翌日、早朝から狩勝峠での撮影に臨みました。とは言いましても、当時は地図も持っていませんでしたので、比較的に安直な場所を選んでいます。
それでも、北海道らしい感じに残せたので良かったと思います。

めちゃくちゃ気温が低く、カップラーメンを食べるために鍋に雪を入れ、沸騰させるまで30分も掛かりました。雪が積もっていますので、乾いた枯れ草を集めるのも一苦労。極寒の大地で食べたカレーヌードル、生涯忘れられないおいしさです。
DD51が無くなっても、その味の記憶とともにこの写真の中で行き続けてくれる。どちらも消えないでいてくれる筈です。

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4 コメント

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Unknown (北9系統)
2011-02-11 22:22:14
これぞ、昭和という写真ですね。

この約半年後、石勝線が開通し、おおぞらに183系が投入という、
流れの前というのも含め、普通の光景だけど貴重ですね。

下の写真は山と雪の組み合わせが、いい味を出してると思いますよ。
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Unknown (キハ181つばさ)
2011-02-11 22:59:25
北9系統様
旧型客車の時代、本当に良かったですね。何が牽いても似合いましたし。
昭和53年から56年くらいにかけて、急速に淘汰されてしまい、焦りましたし、非常に残念でした。
最後の写真、柱が線路からもう少し離れていると良かったんですがね。鉄道の施設では仕方ありません。ありがとうございます。
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Unknown (水無月)
2011-02-12 16:32:14
こんにちは。

取って置き画像、ありがとうございます。
DD51はやっぱり雪景色に合いますね。
2枚目の雪山との組み合わせも、本当に北海道らしくて素敵です。
客車+荷物車という当時の列車の編成も興味深いです。
何より、雪を鍋に入れてカップヌードル・・・というエピソードにはジーンと来ました。
DDの姿と寒さを耐えてやっと食べた味、冬の北の大地
を思うと甦る、忘れえぬ記憶なのでしょうね。
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Unknown (キハ181つばさ)
2011-02-12 19:01:18
水無月様
コメントありがとうございます。
私にとっては、DD51と旧型客車の組み合わせが北海道では至上のような気がします。それでも、SL時代を知っている人たちからすると、これでも邪道だというかもしれませんが、これで寝台車が繋がったりしていたら悶絶モノです(笑)。
まだ高2の頃でしたから、とにかくお金を使わないこと。食費はかなり切り詰めていました。家から食パンとマヨネーズを持って行ったくらいです。当時はコンビニなんてありませんでしたので、立ち喰いうどんや菓子パンさえも贅沢に思ったもんです。社会人になってからは、そんなハングリーさもなくなってしまいましたけどね。懐かしい、心から頑張っていた時代でしたね。
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