おはようございます。
休みです!
4連休です!!!
まあ、喜んで入られません。今日は年賀状の構成、印刷に追われることになるでしょう。(泣)
さて、今日はネタがありません。
なので、1枚ネタでEF15をご覧いただきましょう。
蕨~西川口間にて EF15201
撮影年が判りませんでした。自分で現像しているネガなので、高校生であった昭和54年後半から昭和57年くらいの間のものと思われます。
東京機関区に所属したEF15としても最後期型ですが、EF15形機関車自体が202号機を最後に生産を終了しており、この201号機も最終型となります。
最後の3両(200~202号機)は、側窓の中央3枚がHゴム化されて誕生したのが特徴で、この辺りはEF58の最終型の中央Hゴム窓と共通の施工・デザインに思えます。
これも先日ご紹介いたしました配給電車の撮影場所と同じで、現在の作業用凹み柵の辺りですね。特に貨物列車がキレイに撮れたんですが、今では柱や箱の処理が難しくなっています。
データ
昭和33年 9月24日 日車・富士製 新製配置 稲沢第二機関区
昭和38年 9月 1日 米原機関区へ移動
昭和39年 3月23日 広島機関区へ移動
昭和54年 4月11日 東京機関区へ移動
昭和59年 6月19日 廃車
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休みです!
4連休です!!!
まあ、喜んで入られません。今日は年賀状の構成、印刷に追われることになるでしょう。(泣)
さて、今日はネタがありません。
なので、1枚ネタでEF15をご覧いただきましょう。
蕨~西川口間にて EF15201
撮影年が判りませんでした。自分で現像しているネガなので、高校生であった昭和54年後半から昭和57年くらいの間のものと思われます。
東京機関区に所属したEF15としても最後期型ですが、EF15形機関車自体が202号機を最後に生産を終了しており、この201号機も最終型となります。
最後の3両(200~202号機)は、側窓の中央3枚がHゴム化されて誕生したのが特徴で、この辺りはEF58の最終型の中央Hゴム窓と共通の施工・デザインに思えます。
これも先日ご紹介いたしました配給電車の撮影場所と同じで、現在の作業用凹み柵の辺りですね。特に貨物列車がキレイに撮れたんですが、今では柱や箱の処理が難しくなっています。
データ
昭和33年 9月24日 日車・富士製 新製配置 稲沢第二機関区
昭和38年 9月 1日 米原機関区へ移動
昭和39年 3月23日 広島機関区へ移動
昭和54年 4月11日 東京機関区へ移動
昭和59年 6月19日 廃車
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このカマは同時期に生まれた200.202号機とは異なり最期までSB化改造されなかった為、きれいなスタイルのままで廃車となりましたけど、このほか東京区には原形正面窓の153.157号機も居ましたし、比較的美しいスタイルのEF15が在籍してたみたいですね。
それでは、この辺にて失礼します。
この最後期型はEF15というか、旧型電機の完成系ですね。私の年代はあまり関心が無かったかもしれませんが、私よりやや年下のEF10~13を知らない人たちにはあこがれの車両だったかもしれません。
153号機はhttp://red.ap.teacup.com/marutetsu/464.htmlでアップ済み。157号機は近いうちにアップいたします。
今の時期わたくしにはとても・・・。
それは置いといて、EF15の最も最終型という事ですが初期の外板がべコベコな5窓のものと比べて洗練されていますが何か機械的になってしまった感もありますね。
パンタもPS15になってますし。
最近KATOからこのタイプも製品化されたんじゃ無かったですか?
4連休有意義にお過ごしくださいマシ35。
わたくしはその間ボロボロになってますわ、多分。
毎年、年末は同じようなコメントを聞いている気がしますが(笑)。
客商売だと仕方ないですよね。私は4月から10月末まで有給を1時間も使わなかったので、1年間頑張った自分へのご褒美だと思っています。
EF15はカトーから出ましたね。私的には初期タイプやEF16の方が憧れます。当時は、このスタイルもある意味面白くなかった訳ですが、時代が経つと見る目も変わってくるもんですね。
Hゴムは好き嫌いがわかれるでしょうが、私はあまり好きじゃなかったですね。
標準や広角しか持っていない頃、このアングルが一番良く撮れたアングルですね。障害物が殆ど無く、良い時代でした。
上りの写真はナンバー不明なものがやはり多いです。EF13なんか結構撮っていますが、ナンバー不明のものが結構ありますね。
当時は他の車種もHゴムはトコトン嫌われていましたね。