こんばんわ。
夏休み中なので夜更かししています。
昔はお盆ともなれば臨時列車の撮影で忙しかった時代もあったのですが、新幹線が開業してからと言うもの、面白くなくなってしまいました。貨物列車が機関車ネタとして良い訳ですが、その貨物もお盆休みは運休だったりしますから、余計に面白みが失せてしまいます。
過去ネタも段々少なくなってきて、どれをアップするにしても調べ物が伴ったりするので、なかなか気軽に選ぶことができません。そんな中、1枚ものですが季節物を見つけました。
平成4年8月19日 男鹿線にて
男鹿線を行く客車列車です。北上線を走る20系臨時急行「おが」や奥羽本線の特急列車などを撮影した際に寄り道して撮ったものです。
男鹿線は、区間の短いローカル線であり、日中は単行列車で足りる線ですが、朝の通勤通学時間帯にはそれなりの需要があるらしく、長い編成の列車が走っていました。このような路線は、当時としては良く見られたものです。大概は気動車の車両が足りないため、客車による運転が多かったですね。
男鹿線も朝の2往復に客車編成が存置されており、1本は4両編成、もう1本は8両編成でした。時間の都合だったのか、8両編成の列車の1本だけを撮影していました。
今では定期客車の運転すら絶滅してしまいましたが、この当時はまだまだ短編成ながら本線を走っていたんですよね。18年前のちょうど今日に撮った写真でした。
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夏休み中なので夜更かししています。
昔はお盆ともなれば臨時列車の撮影で忙しかった時代もあったのですが、新幹線が開業してからと言うもの、面白くなくなってしまいました。貨物列車が機関車ネタとして良い訳ですが、その貨物もお盆休みは運休だったりしますから、余計に面白みが失せてしまいます。
過去ネタも段々少なくなってきて、どれをアップするにしても調べ物が伴ったりするので、なかなか気軽に選ぶことができません。そんな中、1枚ものですが季節物を見つけました。
平成4年8月19日 男鹿線にて
男鹿線を行く客車列車です。北上線を走る20系臨時急行「おが」や奥羽本線の特急列車などを撮影した際に寄り道して撮ったものです。
男鹿線は、区間の短いローカル線であり、日中は単行列車で足りる線ですが、朝の通勤通学時間帯にはそれなりの需要があるらしく、長い編成の列車が走っていました。このような路線は、当時としては良く見られたものです。大概は気動車の車両が足りないため、客車による運転が多かったですね。
男鹿線も朝の2往復に客車編成が存置されており、1本は4両編成、もう1本は8両編成でした。時間の都合だったのか、8両編成の列車の1本だけを撮影していました。
今では定期客車の運転すら絶滅してしまいましたが、この当時はまだまだ短編成ながら本線を走っていたんですよね。18年前のちょうど今日に撮った写真でした。
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旧客を一掃した50系も、いつのまにか一掃されてしまって。
私はあまり50系に乗った記憶が無いんですがね。板谷峠に行った時は乗った筈なんですけど、あまり印象に残っていません。
電車化までのつなぎとして誕生しましたが、結局は10年も走っていないヤツさえ居たと思います。
50系の写真は、北海道から九州まで意外と広範囲で撮ってました。やはり、冷房化出来なかったりと格落ち感が目立ってしまったのが、撤退を早めたんですかね。
私もクルマで行ったので、男鹿線は未乗のままです。元々は電車化へのつなぎであり、初めから長持ちさせる気もなかったようですが、これほど活躍が短いのなら、旧客をもう少し活用すれば、12系でも十分に対応できたように思います。ある意味、不運な車両でしたね。
雑誌や画像の知識しかありませんけど、かつては20系おがも乗り入れていたり、DD51の1号機が現役末期の頃は男鹿線の旧客や貨物を牽引していたようです。
未だ高校の頃ですから無理でしたけど出来ればその頃行きたかったですね。
1号機は秋田時代「あけぼの」牽引した写真も何かで見ました。
話は1号機から離れて50系の時代いつ頃まで続いたのでしょう?
言われてみれば50系も可哀想な車両といえるかもしれないです。
当初は「あんなもん、邪道やで!!。色は赤2号やし、外見かて気動車のデキソコナイやんけ!!」などと思ってましたが今の701系だかなんだか知らない色気もクソもないやつよりは数段良かったと思います。
機関車が客車を牽引ですからねっ!!!。
ついつい毒舌になりました。
すいません。
私が2回目に渡道した昭和56年3月、日本海側を通っていった時に非重連型DD51の初期車が大量に休車となり、主要駅に留置されていました。おそろく、昭和55年代が最後の活躍だったのでしょうね。
当時はDD51なんて非電化区間に行けばどこでもゴロゴロしていたので、どうでもいい存在だったはずですし、旧客を追い遣った50系も別に気にしなかった存在でした。
でも、そこは次に追われるものの悲しさでしょうか、その後は急速な淘汰によりDD51も後期車のみ、客車列車の全滅と言うことで注目されましたね。
ブルトレとほんの一部しかなくなった団体専用を除き、客が乗れる客車列車がなくなった今、こんな何気ないローカルな日常風景でさえ、歴史に埋もれてしまいました。