地区社協主催の認知症学習会に
参加してきました。
認知症を理解して
地域で支えようということで
包括支援センターや介護施設の方が
プロとして、また親御さんのことを通じて
お話をしてくださいました。
母のこともあり
本を読んだりしたので知識はありましたが
実際のいろいろなお話を聞くと
胸に響くものがありました。
印象的だったのは
徘徊は意味なく歩き回るのではなく
ご本人には意味があるということ。
徘徊という言い方をやめようという
動きになっているそうです。
母が夜中に迷子になったとき
「みんなに迷惑をかけて…」と
とがめるような言い方をしてしまいました。
「誰も私のことを心配してくれない。本当に心細かったんだから。」といわれて
ドキッとしたときのことを思い出しました。
徘徊する困った人ではなく
道に迷って困っている人なんですよね。
「どうも頭がおかしくなったみたい」と
母は不安でいっぱいだったはず。
あの頃のことを思うと切なくなります。
母の間違いを正してばかりいた私は
本当に申し訳なかったなあ。
もっと受け入れてあげればよかった。
そんな経験もどこかで役にたつかもしれません。
帰りに認知症サポーターの
オレンジリングをいただきました。
母が周りの方に支えていただいているようにはいきませんが、
私もこの地域で
何かお役にたてたらと思います。
参加してきました。
認知症を理解して
地域で支えようということで
包括支援センターや介護施設の方が
プロとして、また親御さんのことを通じて
お話をしてくださいました。
母のこともあり
本を読んだりしたので知識はありましたが
実際のいろいろなお話を聞くと
胸に響くものがありました。
印象的だったのは
徘徊は意味なく歩き回るのではなく
ご本人には意味があるということ。
徘徊という言い方をやめようという
動きになっているそうです。
母が夜中に迷子になったとき
「みんなに迷惑をかけて…」と
とがめるような言い方をしてしまいました。
「誰も私のことを心配してくれない。本当に心細かったんだから。」といわれて
ドキッとしたときのことを思い出しました。
徘徊する困った人ではなく
道に迷って困っている人なんですよね。
「どうも頭がおかしくなったみたい」と
母は不安でいっぱいだったはず。
あの頃のことを思うと切なくなります。
母の間違いを正してばかりいた私は
本当に申し訳なかったなあ。
もっと受け入れてあげればよかった。
そんな経験もどこかで役にたつかもしれません。
帰りに認知症サポーターの
オレンジリングをいただきました。
母が周りの方に支えていただいているようにはいきませんが、
私もこの地域で
何かお役にたてたらと思います。