札幌まるやま自然学校

北海道札幌市円山周辺を拠点に、子どもの自然体験活動、人と自然・人と人との豊かな出会いをつくりだす活動を行っています。

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きなこさんのネパール遠征報告 最終回

2020-05-05 08:00:56 | その他の主催事業

アタックから一夜。目が覚めるとあたりは一変。すっかり雪景色でした。

一日ずれていたらきっと山頂にはたてなかったと思います。

「ランタン谷についに冬がきましたね」とパサン。

ハイキャンプからベースキャンプ、そしてキャンジンゴンパの村へ戻ります。

ゴンパ(お寺)にお礼参りにでかけました。

2015年の大地震の時、キャンジンゴンパはランタン谷で起きた大雪崩の爆風を受け、ほとんどの建物が破壊されました。

ゴンパも地震の時、被害を受けました。人々の心のよりどころであったゴンパもようやく再建工事が終わったといいます。

「今日は満月なのでお堂をずっと開けています。チベット仏教では満月と新月は大事な日なのです」。

「新月の時も灯りをともすのです。先祖が迷わないように」

「地震のあと、人々は必死になってもとのにぎわいをとりもどそうとがんばったのですよ」。

静かな祈りが聞こえてきます。

五色の旗は経文ととともに馬の絵が印刷されています。

人々のいのりを乗せ、仏法がひろまりますようにと願いがこめられた旗は、

そのはためくさまが馬のたてがみのようにも見え、ルンタ「風の馬」と呼ばれています。

奉納された縦長の白い旗ダルシンにもお経がかかれ、

風にはためくたびに、お経を1回読んだのと同じになるといわれています。

キャンジンゴンパの隣村であるランタン村は、大地震が引き金となり、

氷河や岩盤が崩落、雪氷や土砂を巻きこむ時速300キロの大雪崩となって、村を襲い、ほぼ全戸が崩壊、

175名の村民と100名をこえるガイドや外国人トレッカーもなくなりました。

慰霊のゴンパが建てられています。パサンが碑をみながらいいました。「わたしの親戚も亡くなりました」。

今もランタン村のあとを岩と砂礫がおおいつくしています。

ランタン谷の人々は一時避難生活を送っていましたが、今では帰村して、生活を取り戻すべく必死に暮らしています。

しかし、自立した暮らしをとりもどすためには、まだ多くの支援が必要とされています。

ランタン谷の奧へ続く道はチベット高原に通じています。

ランタン谷に住むタマン族の人々はチベット文化の影響を大きく受けています。

チベット仏教を信仰し、谷のわずかな平地に畑をつくり、大麦などの雑穀、

ジャガイモなどのほか半栽培をしたり、ヤクや牛と混交種のゾモの移畜をしながら暮らしています。

穏やかな優しい人柄に誰もがひきつけられます。バッティを守るサウニ(女主人)のおおらかな笑顔。

雪のランタン谷を発ちました。ラリグラスの森が白い雪に覆われ、まるで白い花が咲いているかのような美しさです。

標高を下げていくと雪もなくなりました。

リムチェ村から、5年前にできた新しいトレッキングルートを歩いて帰ることにしました。

タマン・ヘリテイジ・トレイルとよばれる、タマン族の伝統的な暮らしが残る地域をまわります。

わたしたちがシャブルベシから来たルートとは谷を挟んで対岸になります。

一週間前に歩いた村が小さく見えます。シェルパガウン村では竈でカンニャさんが料理に腕をふるいます。

シンプルだけどおいしいカンニャさんのダルバート。ジャガイモと青菜のタルカリと豆のスープです。

カンジンの村に泊まります。大麦の脱穀をするサウニ(女主人)。おじいさんがチベタンギターを奏でてくれます。

リンリン村。ぽかぽかの陽気にうたたねをしたいくらい。

しかし、今日は向こうの山に見えるトゥマン村までいかなければなりません。

標高1700mから一気に山を下り、つり橋で谷を渡り、そしてまた一気に2300mの山を登る!

ここからトゥマンまでさらに4時間かかります。

 

山の斜面に家々が立ち並ぶトゥマン村。伝統的なタマンの建築様式です。

翌日はトゥマンからさらに3時間の登り。

次第に雪道にかわり、ラリグラスの森を抜け、振り返るとランタンリルンの山が見えてきました。

そしてついに標高3200mのナタリ村へ。

ランタンリルン、ヒンズー教の聖地ゴサインクンドのある山並み、

ガネッシュヒマール山群、そしてチベットのシシャパンマまで、ぐるりと360度見渡せる絶景の村です。

ナタリからはトレッキングの最終地点である標高1700mのチリメ村をめざします。

もう下るだけです。ゴンガン村では子どもたちのあそぶ姿が見られました。

チリメにつくと、ちょうど新しい建物ができたというお祝いにひとびとが民族衣装をまとい踊り歌っていました。

 

タマン族の女性の伝統的な衣装は長袍を着て、十字絞りの草木染の帯をしめ、後にはウールの布を垂らします。

自分の帯も布も織機で織ります。ウールの織物には刺繍をほどこしたアップリケを縫いつけます。

チリメの村から歩いて1時間。川のそばに温泉が湧いているというので出かけました。

地元の人々が朝早くから来ています。着衣のままで男女混浴。

そばにはテントがあり、ここでご飯を作って食べて休んで、またお湯に浸かって…と湯治をするらしいのです。

「どこから来たの?日本?こっちにすわりなさいよ」とみんなが話しかけてきます。

湯けむりの向こうに川のせせらぎを聞きながら、Rさんとのんびり。

 

こうしてわたしのネパール遠征は終わりを迎えました。チリメからカトマンズに戻り、

12月24日に無事日本に帰国しました。

そして今、世界的に広がる新型コロナの感染拡大にネパールもロックダウンが続いています。

ガイドのパサンたち、そして出会ったランタン谷の人々はどうしているだろう…

今回の遠征でいちばんかんじたことは、兄弟一族で仲良く支え、助けあって暮らす家族の生き方ではなかったかと思うのです。

そして人の誠実さ。優しさ。おおらかさ。

パサンはトレッキングの間、今までの登山のなかでさまざまな困難を乗り越えた話をいくつもしてくれました。

どんなときも生きることをあきらめない心と身体。きっと彼らは力強く生きているでしょう。

そう信じていると、青く深いネパールの空が身近に感じられるのです。

 

晴れた日には空を見上げてみてください。青さの向こうに新しい季節は必ずやってくると感じられるはずです。

みなさん、またお会いできる日を待っていますよ。

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