きなこのネパール遠征登山②
いよいよ高度順応のトレーニングです。
キャンジンゴンパの村を見下ろすキャンジン・リという山に手始めに登ります。
最高地点は4700m。氷河地形も見えるダイナミックな光景がひろがっています。
翌日はまる一日かけて、チェルゴ・リ(4985m)に登り、キャンジンゴンパの村に戻ります。
この順応がかなりきつい。時々出会うヤクに癒されながら
「ここでの頑張りが、本番にいいように作用してくれるはず!」と思いながら進みます。
そして、わたしたちの登る山もようやく姿を現してきました。
村を離れてベースキャンプ入り。
ここからはテント生活です。きちんと3度の食事をとるようにこころがけます。
といっても、カップスープとか、レトルトのご飯も半分ぐらいしか食べられません。
夜寝る時は呼吸が浅くなります。ザックやダッフルバックを背に置いて半身を起こすようにして眠ります。
凍ってはいけないものは寝袋の中へ。何度も水分をとるので、トイレも近い!
でもこれを我慢せず、億劫がらずに何度もテントの外へ出て行きます。
音も何も聞こえない。わたしたちのほかには誰もいない。静寂の世界がひろがっています。
昼間はおひさまのあたたかな光にしあわせを感じます。
夕暮れ、暗色に沈んでいくヒマラヤの高峰にゆっくりと見とれ、
夜は峰々のシルエットと満天の星空を見上げます。
2日間滞在した後、いよいよハイキャンプ。アタックをめざします。
ベースキャンプからはゴツゴツ、ゴロゴロ、礫、砂、巨礫の混ざったモレ-ン帯を登ります。
頭のてっぺんがちくちく痛かったけれど、それも収まりました。
岩の合間には高山植物。ヒマラヤの青いケシもここで見つけました。
標高5200m付近、ハイキャンプの近くにはポカリ(ネパール語で池)がありました。
飲み水を確保するうえで、キャンプ地のすぐそばにきれいな水があることが大変重要です。
ポーターのカンニャさんがハイキャンプまでついてきてくれました。
池には氷が一部はっていて、わき出る水の音や氷がぶつかる音が鳴り響きます。ぼこーん、ぎゅううううう…。
一晩中聞こえてくる音はイエティの声? ちょっと不気味です。
12月11日。アタックの日。朝5時に出発。
眠りも浅く、呼吸が浅くなると苦しくて起きてしまいます。溺れる夢を何度も見ました。
真っ暗な中、モレーン帯を登ります。2時間ほど登ったところで日の出です。アイゼンを装着して氷河を登ります。
雪原を歩いたかと思うとまた氷河。氷河を越えたら雪の斜面。
それをなんども繰り返して登ります。クレバスもでてきました。
急な雪面をアッセンダーを使って登るのですが、空気が薄くて10歩登るたびに立ち止まり、
肩で息をします。
出発から6時間。ようやく頂上直下までたどりつきました。
でもここからクライミング…!
Rさんが「行ける行ける!」と声をかけてくれます。その声に支えられ、よし、行くぞ!
そしてナイフリッジを一気に行きます。
<12時45分登頂。
目の前はチベット。シシャパンマがそびえます。
高峰8000mの量感をこんな身近に感じられるなんて。
ここまで来れた!…と、喜ぶのもつかの間。今度は安全に下山しなければなりません。
好きな写真の一枚。
下山途中、わたしたちの上を一羽の鳥が滑空していきました(つづく)。
こんにちは。
イエティトレッキングクラブ、のらっこくらぶ、放課後の自然体験活動ここいくのスタッフきなこです。
コロナ感染拡大防止による緊急事態宣言で外出自粛要請、
始まったばかりの学校も休校で友だちと会えなかったり、
自由にあそべなかったり、みなさん辛い日々が続いていると思います。
わたしたちも早く、この事態が終息して、
またみんなと森や山や海や湖に出かけておもいきり自然のなかで過ごしたいと願っています。
そのためには、この与えられた時間をぞんぶんにつかって、
次やりたいこと、新しくやってみたいことを考えたり、そのための準備や知識を吸収しようと過ごしていますよ。
わたしの好きな山岳写真家であり、
詩人でもある安曇野の田淵行男さん(1905~89)の随筆集『山の季節』に「春の雑木林」という随筆があります。
きびしい北国の長い冬をこえ、新しい季節にめざめる登山への意欲をゆっくりとほぐしていくには春の雑木林を歩くのが一番と書いてあります。
「…ひっそりと明るい雑木林には、まだこれといって目立つほどの季節の動く気配は見られないが、そのあるかないかのひそやかな季節の歩みを鋭敏に受けとめられるのも、新しい季節を迎えたばかりの私の心の中に長い空白が続いていたせいであろう。私も持ち前の詮索癖をあまり働かさないでのんびり歩くことにきめる。それがこの季節の雑木の山のよさといえるであろう。私はそのような季節の国境を幾度か乗り越しては、春の領域に踏み込んだり、また冬の陣地に舞い戻ったりする…」
「春の雑木林で私の山への希望が目覚める。春の雑木林で私の山への意欲が育っていく。」
こんな時でも季節は確実にやってきます。
またみんなで山に行ける日を思いながら、わたしたちもゆっくりと意欲を育てていきたいと思っています。
さて、この緊急事態宣言で、3月に計画していた、きなこの「ネパール遠征登山報告」も中止となりましたので、
この機会にブログでみなさんに報告しようと思います。
ところで4月25日はどんな日かご存知でしょうか?
今から5年前、2015年4月25日現地時間午前11時56分。
ネパールで、カトマンズから西方77キロ、深さ15キロを震源とするM7.8の地震が発生したのです。
カトマンズから北西60キロにあるランタン谷では大きな雪崩が発生し、村を破壊し、多くの人々が亡くなりました。
わたしは前回のネパール遠征で地震の起きる1週間前にランタンにおり、地震発生の前日にカトマンズを離れ帰国の途へついたのでした。
その後のランタン谷の様子を知りたくて、今回の登山はランタン谷を経由するルートを選びました。
地震後の様子もお伝えしていきたいと思います。
(キャンジン・リからチェルゴピークをのぞむ)
2019年11月29日~12月24日ネパールに遠征登山に行ってきました。
今回は同じ山岳会で友人あるRさんとわたしの女性2名。
2015年の春に遠征でピサンピーク6019mに行ったのですが登頂できず、
今回はなんとしてでもピークを踏みたいと4年越しで準備・計画しました。
そして最終的にネパール北西部、ランタン谷の奧にあるチェルゴピーク5749mを目指しました。
ネパールで登山をするためには、まずガイドさんを決めます。
今回の登山は、わたしたちの山岳会でネパールの遠征を支え、20年来おつきあいのある、ツルにお願いしました。
わたしたちはツル―ダイ(ダイは年上の男性を呼ぶときにいう。お兄さんみたいな)と呼んでいます。
ツル―ダイは兄弟4人でガイド会社をやっています。正面左から、ツル(長男)、パサン(次男)、サンタ(三男)。
四男のラムはここに写っていませんが、日本語がとっても上手です。
皆が得意なことを生かして助け合って仕事をしています。
サンタは2015年の遠征時のガイドでした。久しぶりの再会!
彼らはタマンという民族です。ネパールは多民族国家で言語や宗教、文化風習が異なる民族が30以上も暮らしているのです。
今回の登山はパサンともう1人心強いガイド・キタープさん(ネパール語で本という意味です)がついてくれました。
ガイドや荷物を背負うポーターさんも親戚兄弟、同じ村、同じ民族で組むことが多いのです。
ポーターさんが背負う荷物の大きさ!ポーターはナムロとよばれる紐を荷物にかけ、額と首、背中で支えて運びます。
11月30日に韓国仁川経由でネパール・カトマンズに到着、翌日に装備の点検などをすませ、いよいよランタン谷の最奥部をめざします。
カトマンズから車で7時間。ランタン谷の入り口にあるシャブルベシという村からスタートです。
ここから5日間かけて歩き、谷の最奥部の村、標高3800mのキャンジンゴンパを目指します。
トレッキングとしては初冬ですのでシーズンオフ。
泊まるバッティ(山小屋)もわたしたちだけのことが多く、道でもあまり人とすれちがいません。
ランタン谷沿いのジャングルの中を登ったり降りたり1日6~8時間歩きます。
1日登る標高は500mまで。ゆっくりと体を順応させていきます。
とくに大事なところは3000~4000m地点。
ここで十分に高度順応できるようにすることが以後の登山に大きく影響します。
消化機能も落ちてくるので、食べる量もいつもの6割におさえます。そして十分な水分をとります。
お湯や紅茶だけでなく、食事としてもとることを心がけます。
今回はシェルパスープがお気に入り。野菜がたくさん入ったすいとんスープです。
日が射しているうちは暑いのですが、2時を過ぎると急にぐっと寒くなります。
その前に手足を洗い清潔を心がけます。寒くなる前に夕食を済ませ寝袋へ。
朝は6時には起き、毎日熱をはかり、体調をチェック。自己管理が大事、つねに自分の体と向き合います。
ランタンリルン(7234m)の白い峰が見えてくると、ランタン谷もいよいよ奥まってきたと感じます。
高度をあげていくと砂礫や岩の道へと変わっていきます。
空気も薄くなってきて歩くのもゆっくり。空の色も濃さをましてきました。放牧されたヤクがゆったりと歩いています。
標高3800mの村、キャンジンゴンパが見えてきました。
トレッキングルートはここが最終地点。
ここに滞在しながら、より高度に行くための高度順応のトレーニングを行います。
ナヤカンガ(5844m)が見える夕暮れです。お月さまも出ていますが、これが満月の時に登頂の予定です。(つづく)