ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

「国民の憲法」考 ジェームス・E・アワー

2013年05月02日 | 憲法論資料

 

【正論】「国民の憲法」考 ジェームス・E・アワー


2013.5.2 03:11

 □ヴァンダービルト大学 日米研究協力センター所長

 ■自衛隊を軍といわずに何という

 憲法第9条の原作者が誰かということは、ほとんど意味がない。たとえ、時の幣原喜重郎首相が発案者だったとしても、マッカーサー元帥の支持なくしては実を結ばなかっただろう。

 ≪9条の政府見解で誤り重ね≫

 重要ながらあまり論議されていない事柄が、衆議院で審議中に第9条に加えられた芦田修正である。当時は明らかにされていなかったものの、自衛のた めの軍隊への法的な可能性を将来に残しておくというのが目的だった。マッカーサー元帥の法律顧問はこの事実を元帥に知らせており、マッカーサー元帥も後 年、日本が自国を防衛できるようにしてはならないということは、自分は決して意図していなかったと主張した。

 重要な修正にもかかわらず、このことは当初、認識されていなかった。第9条はいかなる目的であれ軍事力を禁じている、というのが、1947年5月に憲法が施行されたときの日本政府の公式な説明だったからである。

 50年に警察予備隊を創設したマッカーサー元帥の指示は、あらゆる自衛手段に関する47年の政府説明を事実上、無効にした。だが、憲法の改正も、 あるいは法律の制定もなしに、内閣法制局により編み出された72年の見解が、憲法第9条を理由に集団的自衛権の行使を禁止したのである。

 今日、第9条の改正がないにもかかわらず、日本は「自衛隊」と呼ばれる、質の高い武装をした軍を有している。抑止力を強化する能力を持ち、とりわ け、(日米安保)条約相手国である米国と連携することによって、本格的な軍事紛争を抑止するか、たとえ抑止に失敗したとしても、それに対処する能力を持っ ている。

 日本の軍隊は公式には軍と任じられておらず、72年の内閣法制局見解が継続されているため、日本の信頼性には疑問符が付く。例えば以前は、機能が 「攻撃機」でも「支援戦闘機」と呼ばれたし、外洋航行の「ミサイル駆逐艦」は「護衛艦」と名付けられている。もっと重要なのは、同盟国である米国が、日本 本土への攻撃が直接絡まない、いかなる想定の下でも、日本の際立った軍事能力が利用できるかどうか推測しなければならないことである。

 ≪最高司令官たる首相明確に≫

 海上交通路のような国益は尖閣諸島の彼方(かなた)のペルシャ湾にまで及んでいて、ホルムズ海峡が遮断されれば、日本領土が侵攻されずとも、東京や大阪の経済は崩壊に至り得るということを、日本人は思い起こす必要がある。

 こうした脆弱(ぜいじゃく)性は深刻だが、それらに対処する有効な法的措置がある。憲法第9条の改正、国家安全保障法の制定、日本政府の政策変更の全て、もしくはそのいずれかによって、である。

 「自衛隊」を、その実体通り、明瞭に日本の軍と見なしていいではないか。安倍晋三首相が提案しているような「国防軍」という呼称も、「防衛軍」という呼称も可能だし、引き続き「自衛隊」と呼ぶことだってできる。

 第9条の改正もしくは国家安全保障法の制定により、日本の軍隊の軍としての地位、その文民最高司令官としての首相の地位、そして、国家緊急事態を 宣言し、日本の国家安全保障上の利益を個別的かつ集団的に守るべく行動する最高司令官の権限を、ガラス張りのように明確にできる。

 日本内外の批判者たちは、そうしたもっともな変更に、急進的で危険な日本の政策の右傾化だとして反対するかもしれない。が、急進的でも危険でもない。危ういのは、現状の方である。

 ≪非現実的政策で中国大胆に≫

 日本の非現実的な政策方針を考えれば、中国は「海洋監視」部隊を使って尖閣諸島を封鎖したり、日本のタンカーによる中国の許可なしの南シナ海通過 を禁じたり、あるいは日本の銀行システムへの大規模サイバー攻撃を密(ひそ)かに推し進めたりすることにより、日本の抵抗なくして目的を達成できる、と思 うかもしれない。

 日本が、多くの脅威への対処能力ある軍を保有し、首相がその最高司令官であり、国会で選ばれたその文民最高司令官が日本の国益になると決断したら 個別的、集団的な対応の双方か一方を命令できると明確にした場合、日本に対してそうした挙に出ることへの中国の躊躇(ちゅうちょ)は、小さくというよりむ しろ大きくなるだろう。

 米国は日本の軍に指図はできない。しかし、前述の措置により、日米の文民と制服の当局者たちは相互に抑止力を高める方法を、今よりもはるかに現実的に話し合えるようになるだろう。

 軍事力増強に国民の同意を必要としない中国や北朝鮮の指導者とは違い、日本そして米国でも当局者たちは国防費に対する議会の支配に縛られる。より 現実的で信頼性ある日本の防衛政策は予算を増やさずとも、47年に誤って説明され、72年にさらに非現実的に制限された政策の常識的変更を行うだけで実現 できるのだ。

(c) 2013 The Sankei Shimbun & Sankei Digital


 


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