独り言:
*英語でも何処の国の言語でも、最初に文法が作ってあって、そこに後から言葉を当てはめていったのではない。それでも、我が国の英語教育では文法に重きを置いて教えようとしているのは何故だろう。文法に拘束されていて、間違ってはいけないという思考の範囲が自由に広がらないと思うのだけど。
*言葉は「一つに纏まっているものなのだ」と思うが、何故「文法」、「単語」、「英文解釈」、「英作文」、「英会話」、「聞き取り」のように分けて教えたがるのだろう。全てを一体として記憶しておく必要があると思うのだけど。部品をバラバラに作っても、一つの形にならないように作っていては、良い製品にならないのだろうが。
*アメリカの笑い話にこういうのがあった。「賢い人がいて、こういうルールでこういう競技をこのような進め方をすれば圧倒的多数の興味を引くだろう、多くの人がやるようになるだろう」と、自信たっぷりで大勢の既存のスポーツの専門家にプリゼンテーションをしたそうだ。意外にも全く受けなくて「そんな七面倒くさいルールと競技の進め方では誰も興味を示さないだろうし、やろうとは思わないだろう」とボツになった。
その競技の名前は“Baseball”だったのだ。
*「これからはこの世界の共通語として、どんどん世界狭しとばかりに広まっていく言語がこれだ」とばかりに小学校から教えられ始めた言葉が「不規則が規則的よりも多く、文法が複雑で、発音の国によってバラバラで、多くの単語を覚えるだけでも面倒で、ちっとも解らなくて困った。嫌いになった」と、何処かで誰かが嘆いていたのがEnglishという言語だったとさ。
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