ESAT-Jが今年は11月26日に実施されるとか:
朝日新聞は都立の中学3年生の英語の聞き取りテストの結果は、6割が0点だったと報じていた。これがESAT-Jのものかどうかは確認できないが、そういう結果になっていても残念ながら我が国の現在の英語教育では「大変だ」などと驚くには当たらないと思うのだ。実は、昨年の今頃にこのテスト関連のことを取り上げて論じてあったのだから。
そこから大要用を引用してみれば、下記のようになる。
>引用開始
TBSだったと記憶するが、学習塾がこのテストに備えて中学3年生にある画を見せて、そこに何か描かれているかを英語で表現する訓練をしていた場面を報じていた。私にはチラッと見えたのは講師が「子供が制服警官にサッカーボールと見えたものを手渡していた」所だった。
この中学生は画を見詰めて暫くの間沈黙していたが、やがて苦悶の表情から漸く声を絞り出して“I gift ball police.”と言ったのだった。すると講師は「それではgiftとpoliceの間にtoが抜けているので減点される」と注意したのだった。これには当方が言葉を失った。中学生は「私が警官にボールを渡した」と言いたかったのだろうかと察すことは出来るが、これで意味を為していると点が貰えるのだろうか。
さらに察すれば、中学生は「ボールを渡した」と言いたかったのだろうが、「渡す」に当たる単語が出てこなかったので「与える」という意味のgiveの派生語のgift、即ち「贈り物」が咄嗟に思い浮かんできて、名詞なのに動詞に使ったのだろう。私には講師はtoが抜けたことだけを指摘した指導は理解不能だった。
<引用終わる
私が考えるこのテストの訓練から見えてきた問題点は、何をさておいても「単語だけを覚えされる教え方をするから、それぞれの単語を文章という流れの中でどのように使えば良いのかが解っていない結果を招いているのだ」なのである。あの場合に少年は警察官にボール与えているのではなくて渡していたのだが、彼には「与える」に見えてgiveと言いたくても思い浮かんでこなかったので、giftとなったのだろう。
あの画面ではボールを手渡しつつあるようにも見えるので、私は進行形にして“A boy is passing a soccer ball to a policeman.“辺りを言いたくなる。乃至は“A boy handed over a soccer ball to a policeman.“でも良いとは思う。だが、この両方ともかなり練れた英文になっているので、中学生が言うことを期待するのは無理があると思う。講師はtoが抜けたと言ったが、英語の中で最も使い方を注意しなければならない数詞のaも抜けているのだ。
このような数詞や前置詞を間違いなく言えて書けるようにする為には、ただ単に単語として覚えようとしたのでは、いざと言う時に出てきにくくなるのだ。この問題を解決する為には、私が常に主張している事で「単語をバラバラに意味だけ覚えている」のではなく、その単語が文章という流れの中で、どのような意味に使われているのかを記憶しておくと良いのである。
ここから先に現れるのが、私の中学の頃からの主張であり信念でもある「音読・暗記・暗唱」なのだ。何度も言ってきたことで「読書百遍意自ずから通ず」であり、繰り返して音読して、自分の声が耳から入るだけで文章の中での単語の使われ方はチャンと記憶に残るのである。これは、自分だけで実証しただけではなく、多くの他の優れた英語力の方の例があるし、自分でも他人様に教えて効果があった方法だ。
昨年の今頃、このESAT-Jと中学生の件を取り上げたところ、外国語学習(教え方)に精通された仏文学のTK博士に「あのテストの採点はフィリピンに依頼して送っているのだ」と教えて貰えた。一瞬「目を疑ったような」話だった。自国の教師たちが採点できないようなテストを中学生に課していることには疑問を感じた。同時に「テスト優先/重視。採点(=減点)主義」の英語教育には、矢張り改善の余地があるのではと感じた次第だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます