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ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長となって25年

2010-03-21 | ラジオ
今から25年前の1985年3月11日、この日、旧ソ連の歴史にとって、そして恐らく全世界にとっても歴史の変わり目となる記念すべきことが起こった。
ミハエル・ゴルバチョフ氏がソ連共産党中央委員会の書記長に選出されたのだ。
ゴルバチョフ氏が書記長を務めた短い期間は、後にペレストロイカと呼ばれるようになった。
この時期は国の経済にとっても政治にとっても、様々な変化のあったときだ。

(???)が進み世界生活の全般で民主化が進んだ。
外交面でも同じだ。アフガニスタンからソ連軍が撤退し冷戦が終結し、そしドイツの統合が果たされた。
ところが内政面では特に経済に深刻な危機が色濃く出始め、食料品や日用品の不足が横行した。

ゴルバチョフ書記長の時代の最後はソ連の政治体制が、あらゆる面で(???)してきた。
この関係を力を行使して食い止めようとしたがために、これが全く正反対の結果を導き政治からの遠心力が益々(???)た。
そして1991年末にソ連は一つの国としては、世界の政治地図から姿を消した。

民主主義のための情報学基金の会長は、こうした結果を見直すことの重要性を次のように語っている。
「ゴルバチョフ氏が初期段階で行ったことは、ソ連の政権をある種、救済したと捉え得られたものの、それ以上のものではなかった。
その後ははずみ車が回りだし、それを回した人やゴルバチョフ氏の思うところを遥か超えて止めようもないような有佐になった。
厳格のソ連の体系は自らの改革に耐えられるものではなく、それを徹底的に変えようとすれば、必ず自己崩壊に繋がると言う自転の論理が働いたのだ。
ゴルバチョフ氏の行ったことを、これを歴史的展望から評価すると、彼が許しようのない歴史の論理に抵抗しようとはしなかったことだ、と言える。
この意味で彼の役割が非常にボジテヴなものだったと言えるだろう」
会長は、こうした結果を見直すことの重要性をこの様に語っている。

もちろんゴルバチョフ氏の共産党書記長、大統領としての活動に付いては他の評価もある。
ゴルバチョフ氏が国の軍備をほぼ解体し、元社会主義国の圏内から軍隊を撤退させ、統一ドイツのNATOの加盟を許し、これによってヨーロッパ大陸で多くのネガティヴなプロセスが始まったとして非難する声もある。

それでも戦略評価研究所所長は、ゴルバチョフ氏はロシアの、そして世界のなかで多くを代えた人物として歴史に残る存在だとして次のように語っている。
「ゴルバチョフ氏は大事なことを与え、人民に発展することを許した。
ソ連がそれに基づいて発展しようと努めてきた法則や規則を使って、ロシアが発展を続けると言うことは、これ以上もう出来ないという基礎的な歴史的(言葉になっていない)。もしかしたらこれがどんな結果を招くまでかは、予測できてい
なかったかも知れないが、国家としての(???)目的性を見つめる力はあった。
かつての社会主義連合国家である(???)チェコスロバキア、ソ連、ユーゴスラビアは今日崩壊してもう無い。チェコスロバキアは分明的な国の手本を示した。
ユーゴスラビアはもしかしたら最も血なまぐさい分離になったかも知れない。
そしてこうした例もソ連が辿る可能性は充分にあったのだ。
ところがゴルバチョフ氏は最終的には、自分を阻むものと意見をすり合わせることに成功し、ソ連を血なまぐさい紛争に巻き込むことは許さなかったのだ」
所長はこのように述べている。

今日ゴルバチョフ氏はペレストロイカと共に始まった、自由や民主主義へのブレイクスルーは未だに衰えていないと考えている。
それどころか民主主義化に向けた新たな刺激と製品や、社会全体の活発な働きかけは非常に必要とされている。
それを抜きにしてこの国の野心的な近代化計画は実現し得ないだろう。

(???)は女性アナウンサーの不明瞭な発音で聴き取れない。

ゴルバチョフ回想録〈上巻〉

ミハイル ゴルバチョフ
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3月11日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル


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