<鈴木大拙の万葉集や源氏物語批判>
鈴木大拙は「日本的霊性」の中で日本の宗教について切れ味のするどい断定をする。「霊性を宗教意識と云つてよい」(p22)とした上で万葉集や源氏物語にみられる宗教性を子供の宗教とずいぶん思い切った断定をする。
目覚めた霊性はつまり本来持っていたということでそれらが禅、浄土教という中国伝来の宗教の表現形式を借りて表現されるとする。日本の禅と浄土教の本質は中国のものとは本質が異なり日本そのものの宗教意識、それが日本的霊性だとしている。なるほどとは思うがもう少し根拠がほしいので見ていくことにする。
「霊性の日本的なるものは何か。自分の考では、浄土系思想と禅とが、最も純粋な姿で、それであると云ひたいのである」(p25)
まず、仏教は外来の宗教ではないこと。浄土系も禅も仏教の一角を占めて居て、仏教は外来の宗教だから、純粋に日本的な霊性の覚醒とその表現ではないと思はれるかも知れない。が、自分は第一、仏教を以て外来の宗教だとは考へない、随つて禅も浄土系も外来性をもつて居ない。(p25)
「それ故、日本仏教は日本化した仏教だとは云はずに、日本的霊性の表現そのものだと云つておいてよいのである」(p100)
「この本は・・・・・・・生まれながらの人間の情緒そのままで、まだこれがひとたびも試練を経過していない。全く嬰孩性を脱却せぬと言ってよい。・・・・恋愛そのものからくる悲苦につきての反省・思索などいうものは、集中どの作にも見えない。子供らしい自然愛の境地を出ていない。・・・これには成熟した頭脳がなくてはならぬ。人間は何かに不平・失望・苦悶などいうことに際会すると、宗教にまで進み得ない場合には、酒にひたるものである。・・・或る意味で酒に宗教味がある。ところが古代人の日本人には、こんな意味の酒飲みはいなかったようである。・・・「万葉」の歌人は宗教的な深さを示さぬ。・・・万葉歌人には、人間の心の深き動きにふれているものがないと言ってよい。」
万葉集や源氏物語にみられる宗教性を子供の宗教として古代の日本人には、本当に云ふ宗教はなかったとまで言い切ると反論したくなる。理論を整えたものだけが宗教ではないからだ。万葉集のわが子を遣唐使に送り出すときの祈りの歌
旅人の宿りせむ野に 霜ふらば わが子羽ぐくめ天の鶴群
これが子供の宗教として古代の日本人には、本当に云ふ宗教はなかったといえるのであれば子供の宗教で結構だといいたくなってくる。
次の歌も古代人の祈りが現代と同質であることを示す。
草枕 旅行く君を 幸さきくあれと 斎瓮(いはひべ)据すゑつ 我が床の辺に 3927
<鈴木大拙の鎌倉・元寇の乱覚醒論>
鎌倉時代以前は蒙昧の時代でようやく鎌倉に至ってしかも元寇の乱でいきなり日本的霊性が目覚めたとする。これは愛国心が目覚めたのであり、霊性と同一視はできない。
「平安の時代はずいぶん長い。・・・平安文化の特徴は、誰もがいうように、繊細で女性的で、優美閑雅、感傷的である。・・・彼らのいかに涙多いことよ。何かというと泣いている。「源氏物語」・・・こんなもので日本精神が・・代表されては情けない。「枕草子」にしてもそのとうり・・・思想において、情熱おいて、意気において、宗教的あこがれ・霊性的おののきにおいて、学ぶべきものは何もない。・・・享楽主義が現実に肯定せられる世界には、宗教はない。・・・平安時代には、伝教大師や弘法大師を始め、立派な仏教学者も仏教者もずいぶん出ている。しかしわしは言う、日本人はまだ仏教を知らなかった、仏教を活かして使うものを、まだ内にもっていなかった。・・・平安人というのは、大地を踏んでいない貴族である。」
「武家は腕力をもってはいたが、武家の強さはそれではない。武家の強さは、大地に根をもっていたというところにある。・・・大地に根ざさぬ限り、腕力は破壊する一方だ。公卿文化は、繊細性の故に亡びる。武家文化は、その暴力性・専横性などの故に亡びる。・・・平安時代に取って代わった鎌倉武士には、力もあり、またそのうえに霊の生命もあった。力だけであったら、鎌倉時代の文化は成立しなかったであろう。
・・・平安時代は、あまりに人間的であった。鎌倉時代は、霊の自然・大地の自然が、日本人をしてその本来のものに還らしめたと言ってよい。」
「鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、即ち霊性の生活に目覚めたといえる。平安時代の初めに伝教大師や弘法大師によりて据え付けられたものが、大地に落着いて、それから芽を出したと言える。・・・
まず浄土系思想の日本的な新たな展開・・・その次には、日蓮宗の興隆を忘れてはならぬ。・・・そうしてまた他方に伊勢神道の源泉となるべき「神道五部書」が書かれた。両部神道は仏教の方面から神道を見たもの、「五部書」は神道の方から、仏教などによりて外から伝えられ与えられたものを、いわば日本
思想的に統一せんとしたものである。・・・「神道」は元来が政治思想であって、厳密には、宗教的信仰性のものではない。霊性そのものの顕現ではない。」
「日本的霊性なるものは、鎌倉時代で始めて覚醒した」、「古代の日本人には、本当に云ふ宗教はなかった」(p33)。
元寇来襲と云ふ歴史的大事変は、我国の上下を通じて国民生活の上に、各方面にわたりて、並々ならぬ動揺を生じたものであらう。各種の動揺の一つで、精神的方面には、わが国民は自分等の国と云ふことについて、深く考へさせられたことと思ふ。(p83)
この精神的反省こそが、霊性の覚醒に必要な条件なのである。しかし、この外的要因は内的要因と相互作用しないならば、それは単に外的なものにとどまる。霊性が覚醒するには、外的と内的の二つの要因が創造的に相互作用しなければならない。蒙古来襲は、平安期の都の享楽的生活と頽廃が、「日本人の生活全体の上に、何となく、『このままでは、すむものでない』と云ふ気分を、無意識ではあるが、起させた」(p108)
<鈴木大拙の記紀の神道思想批判>
太平洋戦争の反省を記紀の神道思想に求めているが、その時代の空気を表しているとはいえ、論理の飛躍であり根拠のない攻撃だろう。それが下記のような激越な非難に結びつく。
「記紀の神道思想に原始的な意味での宗教信仰的なものを添加して、これを政体の上に強行し、兼ねて又これを国際舞台の上に実行せんとしたのは、平田篤胤及びその一派の信徒である。日本の軍閥は此思想を背景とし、その上に普魯西的帝国主義を加味して戦雲を満州の一隅に巻き起こし、次第にシナ本土に拡張し、もはや手の著けようがなくなるに至つて、大東亜戦争の名で、世界に挑戦した」(霊性的日本の建設)
<鈴木大拙の大地>
吉本隆明の下記の引用からも「大地」はどこからくるのかということは、ぼくにはまったくわかりませんと述べている。それだけ直観的であり根拠がないということなのだがそれは別にかまわない。「大地」を離れてはだめだということはドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟でアリョーシャが大地に伏して直観でなにかを感じ取るが、そうした例をまつまでもなく大いに納得できる。しかしそれが神道批判、平田篤胤批判に結びつくとどうもいけない。
「大拙は、考えが「大地」を離れない、あるいは心が地面を離れないということを、浄土教における<慈悲>を根本においているとおもいます。この「大地」はどこからくるのかということは、ぼくにはまったくわかりません。・・・でも、何を言おうとしたのかはとてもよくわかる気がします。
この「大地」を離れた思考というのは、だいたい抽象化されて、抽象化を推しすすめれば物と心、物と精神とが全部二分化される。だから、どうしても「大地」を離れてはいけないんだという。もし大いなる<慈悲>というものを離れまいとすれば「大地」を離れてはだめだということでしょう。
・・・
日本浄土教の、法然、親鸞の思想から「大地」という考え方を特徴として採り出したのは、ぼくの知っているかぎりでは大拙以外にはありません。これは珍しい考え方だといえるとおもいます。「親鸞復興」吉本隆明」
<鈴木大拙の禅>
「日本的霊性の情性方面に顕現したのが、浄土系的経験である。またその知性方面に出頭したのが、日本人の生活の禅化である。・・・情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲を指すのである。・・・法然、親鸞の他力思想である。絶対者の大悲は悪によりても遮られず、善によりても拓かれざるほどに、絶対に無縁、即ち分別を超越しているということは、日本的霊性でなければ経験せられないところのものである。」
「禅が日本的霊性を表詮しているというのは、禅が日本人の生活の中に根深く食い込んでいるという意味ではない。それよりもむしろ日本人の生活そのものが、禅的であると言ったほうがよい。」
<鈴木大拙の霊性>
「知性的分別や道徳的当為の世界にだけ生きていては、どうしても宗教的・霊性的無分別の直覚地の機微はわかりません。それはなぜかというに、道徳や知性からは霊性的なものは出てきません、そこにはいつも対象的なものがあるので、自由がきかない、そうして霊性的直覚の法界は絶対に自由な場所です。」
”霊性”という言葉が解りにくければ直観、或いは、芸術的感性と置き換えて読まれても構わない。」
「なにか二つのものを包んで、二つのものがひっきょうするに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。・・・・霊性を宗教意識と言ってよい。・・・・即ち霊性に目覚めることによって初めて宗教がわかる。」
「霊性という文字はあまり使われていないようだが、これには精神とか、また普通に言う「心」の中に包みきれないものを含ませたいというのが、予の希望なのである。・・・なにか二つのものを包んで、二つのものがつまるところ二つでもなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。・・・霊性を宗教意識と言ってよい。ただ宗教と言うと、普通一般には誤解を生じ易いので・・・宗教意識と言わずに霊性というのである。」
「精神には倫理性があるが、霊性はそれを超越している。超越は否定の義ではない。精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智である。」
「精神の意志力は、霊性に裏付けられていることによって初めて自我を超越したものになる。いわゆる精神力なるものだけでは、その中に不純なもの、即ち自我(いろいろの形態をとる自我)の残滓がある。これがある限り「和を以て貴しとなす」の真義に徹し能わぬのである。」
<鈴木の女性観>
仮名文字の礼賛は賛同できるが、女性観はいがんでいる。
「女性は感覚性と感情性とに富んでいるが、論理と霊的直覚に欠けている。論理の方面はとにかくとして、霊的直覚がなくては、日本民族も世界文化の向上に資すべき何ものをももたぬということになる。
・・・女性文化は箱庭で出来る、温室性をもっている。平安朝時代は日本が箱庭式に生きていた時代である。」
「自然に対する優しい心持ち、自然界景物の時節につれて移り変わる容態に細かく触れていく神経
こんなものは日本女性ならではもち得ないとさえ思われる。」
「仮名文字がなかったら、日本は明治維新の大業を成し遂げ得なかったと思う。外来の文学・思想・技術等は、いずれも仮名文字の屈伸性・弾力性・連結性などによりて、国民精神発展の上に自由に取入れられたのである。この事実を考えてみると、我らは平安朝女性の創造的天才に対して、十二分の謝意と敬意とを表すべきである。」
<鈴木の法然と親鸞への賛歌>
「真宗の中に含まれていて、一般の日本人の心に食い入る力をもっているものは何かと言うに、それは純粋他力と大悲力とである。霊性の扉はここで開ける。浄土教の終極はここになければならぬ。・・・浄土教が教える「浄土」よりも、その絶対他力のところに、この教の本質があるのである。・・・浄土往生は手段で悟りが目的なのである。・・・純粋の他力教では、次の世は極楽でも地獄でもよいのである。親鸞聖人は「歎異抄」でそう言っている。これが本当の宗教である。・・・本当の鎌倉精神、大地の生命を代表して遺憾なきものは親鸞聖人である。・・・もし親鸞聖人にして地方に流浪すること幾年でなかったなら、純粋他力に徹し能わなかったのである。・・・僻地へ来たので、みずからの宗教体験に深みを加えたのである。」
特に親鸞聖人を取り上げて日本的霊性に目覚めた最初の人であると言いたいのは、彼が流竄の身となって辺鄙と言われる北地へ行って、そこで大地に親しんでいる人と起居を共にして、つぶさに大地の経験をみずからの身の上に味わったからである。
日本的霊性なるものは、極めて具体的で現実的で個格的で「われ一人」的である。この事実が直覚せられて初めて日本的宗教意識の原理が確立するのである。」
「シナの仏教は因果を出で得ず、インドの仏教は但空に沈んだ。日本的霊性のみが、因果を破壊せず現世の存在を滅絶せずに、しかも弥陀の光をして一切をそのままに包被せしめたのである。これは日本的霊性にして初めて可能であった。そうして鎌倉時代がこれを可能ならしめる契機であったのである。不思議なことには、千五百年ほども継続した歴史を有しながら、浄土系思想は、シナにおいては親鸞的な霊性直覚に到達しなかったのである。それが日本では、源信僧都から法然上人を経過すると、直ちに親鸞系の思想が台頭してくるのである。そうしてこの思想はシナにもなくインドにもなくヨーロッパにもないのである。それで親鸞教は仏教でないとさえ言われるのである。」
「鎌倉時代における日本的霊性の覚醒は、知識人から始まらないで、無智愚純なるものの魂からであったということに注意したいのである。この点のおいて、法然は日本霊性史の転換期を画した人物であると言ってよい。彼にはまだ平安期思想の残滓がないでもなかったが、彼なくしては親鸞は出世し得なかった
のである。彼と親鸞とを一個の霊性的人格と見なしてよいという理由はここにある。」
「愚痴で無学といわれる人々の霊性への途は割合に直接であるが、知性人の場合になると、その知性がなかなかに妨げとなって、彼らの霊性は容易に目覚めない。」
「霊性の覚醒は、ひとたびは知性的否定を経過しなければならぬのである。それゆえ一不通では、本当の意味での霊性の覚醒はないとも言える。」
「日本的霊性的自覚の最初の表現が、即ち法然上人の「一枚起請文」にほかならぬのである。」
<親鸞の宗旨は「歎異抄」と大地>
「親鸞宗の本領は、「教行信証」にあるのでなくてその「消息集」、その和讃、ことにその「歎異抄」にあるのである。・・・親鸞の宗旨の具象的根拠は大地に在ることである。大地というは田舎の義、百姓農夫の義、智慧分別に対照する義、起きるも仆れるも悉くここにおいてするの義である。・・・親鸞宗の大地はその宗教的意義即ちその霊性的価値である。・・・大地の生活は真実の生活である、信仰の生活である、偽りを入れない生活である、念仏そのものの生活である・・・彼は「念仏のみぞまことなりける」と言って、朝から晩まで空念仏のみを繰り返しはしなかったであろう。・・・念仏の数で業障をどうしよう、こうしようというのではないのである。」
<鈴木の本願寺批判>
以下のように親鸞の正統である本願寺を非難している。このあたりルター的だ。
「親鸞はお寺を作らなかった。・・・大きな屋根の下から漏れ出る念仏には虚偽が多く、空念仏の合唱には弥陀は耳をかさぬ。そこには一般があるが特殊はない。そうして特殊(一人)が本願の対象である。
・・・今日の本願寺の如きものは祖聖の志を相去ること実に幾千万由旬である。
<鈴木の神道批判>
神道には自己犠牲の精神がない、幼稚なものであると根拠もなく一方的に非難している。単なる悪口雑言に聞こえる。
「自分の考えでは、神道が「それみずから」に初めて目覚めたのが伊勢神道である。・・・日本的霊性の一面は、確かにここにも見られるが「神道」に現れてこないいま一つの面がある。それが親鸞教によりてのみ認められた絶対者の絶対悲(或いは無縁の大悲)の面である。」
「神道がその根源的なるものとして、独自の立場を維持せんとする諸直覚は、霊性的なものでなくて
むしろ情性の範疇に属するものである。」
「なに故に神道的直覚は情性的であるかというに、それはまだ否定せられたことのない直覚だからである。感性的直覚もそうであるが、単純で原始性を帯びた直覚は、ひとたび否定の炉はいをくぐってこなければ霊性的なものとはならぬのである。・・・・神道にはかくのごとき霊性的自覚の経験が欠けている。」
「霊性的直覚なるものは、まず個己の霊の上において可能である。即ち一人の直覚である。ところが神道には、集団的・政治的なものは十分にあるが、一人的なものはない。感性と情性とは、最も集団的なるものを好むのである。それは集団の上にみずからを映し出すことによりて、みずからの存在が最も能く認められるのである。霊性的直覚は、孤独性のものである。これが神道にない。」
「国学者の云ふ随神の神道のどこに、このやうに捨身の精神、犠牲の大悲心を見出しうるか」
「神道に神々はあるが菩薩衆はいないのである」
「平田篤胤を始めその流れを汲む人々は観念論者の領域を超出するまでには行つて居ない」
「篤胤の思想中に見出して、それで彼の哲学的思想を究明せんとするのであるが、これらは何れも幼稚なものである。また霊性的自覚の方面から見れば、知性的分別面の上をうろうろして居るに過ぎない。篤胤には霊性的洞察の片鱗をも窺ひ知ることは出来ないのである。彼等のやうな立場からは、大悲も祈りも代受苦も了解できるものではない。彼等の手では神道を霊性的に向上させることはとても望まれるものではないのである。この種の神道家は近世史の産物で日本の政治経済的、および軍事的進出に伴ひて不合理な思ひ上がりから、自らの居るべき場所をも捨てて外面へ乗り出すのである」
<真言>
「真言は、「神道」とある種の抱合を遂げたことによりて、修験道なるものが発展した。修験道は、一方では神道であり他方では仏教である。日本的霊性に触れたものと言ってよい。真言は或る意味では日本民族の宗教意識を握っている。しかし真言の最も深いところはインド的である。概念性に富んでいるので、日本人の多数はそこまで十分に到り得ない。」
「平安時代を通じて一人の霊的存在・宗教的人格と見るべき人の出てこなかったのは、当然だった。
弘法大師の如き、伝教大師の如きといえども、なお大地との接触が十分でない。彼らの知性・道徳・功業は実に日本民族の誇りである。が、彼らは、貴族文化の産物である。それで貴族文化のもち得べき長所と短所とを悉く備えている。
彼らは、平安文化の初期に出世したので、平安文化の特徴と見るべき繊弱さ・哀れさ・麗わしさ・細やかさなどいう情緒をもち合わさぬ、大陸的なところがある。しかし彼らの仏教は、南都の仏教に対して一時は清新な溌剌なものであったが、時を経るに従い、他の文化形式と同じく形式化・儀礼化・審美化・技巧化の一路をたどって、仏教本来の意味から離れるようになった。」