まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

紀野一義 ろくでなしにも優しい

2022-08-09 | 紀野一義 仏教研究含む

薬草喩品・三草二木

草木も成仏できる。この説話の大雲とは仏で、雨とは教え、小草とは人間や天上の神々、中草とは声聞・縁覚の二乗、上草とは二乗の教えを通過した菩薩。小樹とは大乗の教えを理解した菩薩、大樹とは大乗の教えの奥義を理解した菩薩であり、仏は一乗の教えを衆生に与え、全てを利益で潤したことを例えた。三草二木(薬草喩品)は菩薩をさらに三種に分けている点に注目すべきだがそれはさておき、小草も救うのでやはり””ろくでなし””にも優しいのです。

大地に生える草木は大雲が起こり雨が降り注がれると平等に潤う。同じ大地から同じ雨水で育つ各種の薬草、植物たちは声聞、独覚、菩薩のたとえであり、各種の薬草は形が違っていても同じく平等の仏乗へと育つことを示す。植木雅俊氏はヘラクレスの像が釈尊のボディーガードであることを示して人種間の無差別、融合、平等を示していた。

薬草喩品は草木も成仏できると導く。二乗、三乗を問わず一切のものが薬草に譬えられ成仏できるとする。法華経はまたしても譬えで平等へと導こうとする。この説話の大雲とは仏で、雨とは教え、小草とは人間や天上の神々、中草とは声聞・縁覚の二乗、上草とは二乗の教えを通過した菩薩の事を指します。

小樹とは大乗の教えを理解した菩薩、大樹とは大乗の教えの奥義を理解した菩薩であり、仏は一乗の教えを衆生に与え、利益で潤したことを例えています。

 

五百弟子授記品・衣裏繋珠

釈尊の弟子たちがほとけになる時期を予言する章で智慧第一と言われた舎利弗が如来になる時間が無量阿僧祇という時間の後だと説明する。

衣裏珠の譬え

ある貧しい男が友人の家に招かれて、酒食をご馳走になり、酔っ払って眠り込んでしまった。友人は所用があり、高価な宝石を男の衣の縁に縫い付けて出かけた。男は、酔いから覚めると、再び放浪して回った。衣食を得ることでさえも苦労し、わずかなものを得ては満足していた。そんな時に、友人と再会した。友人は男の姿を見て、言った。「どうして衣食のことで、苦労しているのだ。あなたの衣に宝石を縫い付けておいたのに」と。男は、衣に宝石が縫い付けてあるのを見つけた。「貧なる人、此の珠を見て、其の心大いに歓喜す」

人間は自分の命の中に無碍の宝珠をもっている。酔っぱらった友人の襟に宝珠を縫い付けて去ったが数年後に会うとやはり落剝している。友人は自らの持っている(授けられた)宝に気が付かなかった。無量阿僧祇という時間の後にほとけになることと衣裏珠の譬えが、”気が付きにくい”という一点で響きあっています。

「カラマーゾフの兄弟」でドミトリーが襟に金を隠していることをふと思い出しましたが果たして影響を受けているのかどうか)

 

化城喩品・銀河鉄道

氏は人生に化城喩品が大切だという。ここで化城はひと時の楽しみのことで、そこで力を蓄えて再び生きていくことが大事だという。氏も講演で家族で松本に出かけた楽しい思い出などをときに語ります。

五百由旬(宇宙規模の広さ)にも及ぶ荒野に隊商が入り込んだ。隊商の人々は疲れ、引き返そうと言い出した。隊商には一人の道案内人がいて、道半ばに神通力で幻の城を作り、隊商の人々に休息を促した。

そのことで人々の心は安らいだ。道案内人は人々が十分に休息した後で化城を消し、本物の宝の島は近いと最終目的地に到達させることができた。

三乗という化城を見せて一仏乗の宝処へと導くという方便を示している。

宮沢賢治の作品を参考にして法華経化城喩品を眺めてみると仏教、キリスト教、トルストイ、アインシュタインなどの影響を受け、サイエンスや数学に関心が高く、普遍的な目で法華経も眺めようとしていてこの試みは「銀河鉄道の夜」などに結実しています。

銀河鉄道は死者を乗せて走るあの世行きの列車で三乗を乗せて走るようにも読めます。南十字星に向かう途中に天柱輪と呼ばれる太陽の光芒を見ます。

カムパネルラはザネリを川から助けるが自らは溺れ死ぬ。死後の会話でほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねと自分で納得している。カムパネルラは暗黒星雲に吸い込まれたように銀河鉄道からいなくなってしまう。

つまりザネリを救済することによって自らは声聞、縁覚、菩薩の三乗から離れて仏乗、つまり解脱したことを暗示する。銀河鉄道は化城喩品の神通力で作り出された化城行きだったのだがカムパネルラは化城を通り越して仏乗に向かうことを示しているのではないかと思います。

「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。

三次空間とはこの世のことで六道輪廻を示す。天国がやや寂しそうに描かれているのが賢治の見方を暗示している。ジョバンニは現世に輪廻するがカンパネルラは完全な解脱の世界に行ってしまう。

ジョバンニは現世に輪廻するので大乗の菩薩を、カンパネルラは往還しないので小乗の解脱者を暗示している。賢治はジョバンニに変身して菩薩行の銀河鉄道に乗っている。

つまり化城を舞台にジョバンニとカンパネルラを通して賢治は現世の菩薩行こそ最高と考えていたと思います。自分だけが天国や解脱することを望まないのだ。

法師品

法華経を説くものは如来使であると法師品に説かれている。尊敬している人物、その人に出逢ったから本当に生まれてきてよかったという人、それが如来使だと氏はいう。

紀野一義は如来使ですね。

日蓮上人

法師品では菩薩たちが最終目的であると考えた仏陀の国への誕生を自発的にやめ、苦労の多いこの現世(閻浮提)に生まれることを願い出る。そしていよいよ菩薩にも段階があることが示される。往還する菩薩、仮の菩薩から真の菩薩の顕現、一大転換がなされる。

法師品には偉大なる忍耐に対する喜び=柔和忍辱心の言葉があり日蓮上人は法師品を身をもって読む。43歳のときに小松原で東条景信一行に待ち伏せ攻撃され絶体絶命に陥り、そのあとに書かれたお手紙には「みな七宝の塔をたて」とある。 

如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何してか説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。

如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。

如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心のことで、この中の大慈悲心の慈とは呻いたことのあるものという意味で、呻いたことのあるあらゆる人間に友情をもつことが大事だと氏はいいます。

われわれはみな死んでいくものだから呻いたことのあるものだ。阿含経は初期の経ですが無常が説かれている。

なぜ無常か、われわれは永遠の生命から離れて自立して生まれてくるが、自立すれば無常が生まれてくる、だから慈が大切な行為となる。

如来の座とは一切法空是れなり。全てが空であると腹をすえるというのが如来の自覚だと氏は言います。

一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。

氏は父と母のエピソードを次のように語ります。

せっかくこの世に生まれてきて如来使に会わなければしょうがないですね。わたしの父も如来使だった。母も必要以上に如来使だった。わたしは如来使に会っているのでいつ死んでも成仏は確定していますね。

良寛

良寛も氏の如来使だったと語る。

君看よや、双眼の色 語らざれば、憂いなきに似たり

これは誰が作ったかわかっていないが昔から伝わっている古語で白隠や良寛が好んで書いた。はじめて読んだときは情けないことに意味が取れなかったがそれでも美しい言葉の響きに魅せられた。相田みつをがこの古語を現代の詩に置き換えているがこれなら意味がわかる。

誰にだってあるんだよ 人には言えない苦しみが 誰にだってあるんだよ 人には言えない悲しみが ただだまっているだけなんだよ いえばぐちになるから 相田みつを

紀野一義は芥川龍之介もこの古語をこのみ、酒席で頼まれると色紙によくこの古語を書いたという。良寛と芥川は同じくこの古語を好んだが生き方は全く違う、良寛は哀しみを胸に抱いていたが74歳の寿命を生き抜いた、龍之介は自ら命を絶ったと氏は述べています。

わしは生涯、世の中に身を立て出世するという生き方がいやで、ぼんやりとして、あるがままの天然の道理に自分を任せきって生きている。・・・迷ったの、悟ったのというようなことは今のわしにはどうでもよい。まして、名誉だの、利益だのというような汚いものにはかかわりがない。 名僧列伝(二)

しかし災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これ災難をのがるる妙法にて候。かしこ 名僧列伝(二)

これでは良寛は現代の上昇志向の若者にはそっぽを向かれるだろう、そう思って読み進めると、氏は次のように記し、良寛は好きだがしっかり批判もしている。

良寛の弱さはそういう情緒不安定にあったのかもしれぬ。それを美化したり、善意に解釈しなおしたりする気は私にはないのである。

この頃は、ことさら禅僧くさく奇矯にふるまう人が多く、くさくてかなわないので、一点香火の気なし、という良寛には無条件にひかれるのである。良寛は私にとってなつかしい人である。なつかしいと思わぬと、その現行に強大な影響を受けることがない。名僧列伝(二)

紀野一義は私が一期一会で聴いた講演の中で、懐かしい人というのが最上の誉め言葉だと述べた。以来わたしはこのことばを忘れたことはなく、大切な人との最後の別れにこの言葉を送りました。

見宝塔品

在家たちがクシナガルの小高い陵に火葬場を煉瓦でつくり釈尊の盛大なお葬式を行い骨をとった。このあたりは日本の田園風景にそっくりだと氏はいう。釈尊敬慕の念が見宝塔品を生んだ源流ではないかと氏は語ります。

釈尊は遺骨より法だと遺言を残した。これは法、スト―パつまり宝塔の出現の章だと氏はいう。地球の半分ほどもある巨大な宝塔がそびえ立ち、そこから声が聞こえてくる。弟子が羨望の眼を宝塔に向けるとブッダは弟子を空中に浮かせる。遺骨より法が重要であることがイメージでわかる章だという。
空中に多宝塔が浮かぶことは過去でも未来でもない素晴らしい現在を而今と言った道元に通じると氏はいいます。(道元もイメージから入らないとわからないとも)

貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり 日蓮上人 阿仏房御書

日本海側、太平洋側、瀬戸内側はみんな海の色が異なる。糸魚川両側でも違う、小さな日本でもそうなのだから広大なインドはもっと異なる。インドの地方ごとに結集された経で説かれるほとけが実は同じであるとの宣言が必要であり、その証明のために見宝塔品が説かれた。
原始仏教経典と大乗経典は同じブッダからでている、原始仏教のほとけたちが集合して大乗経典のほとけが本当だとイメージで証明する必要があり、それが見宝塔品だと氏はいいます。

ブッダは虚空の中に至って右手で七宝の扉を開く。(インドでは右手が聖であり、お金は不浄でありそのため左手で受け取る)
扉を開くと多宝如来が現われるが現れたほとけはミイラのように身は干からび、膝の上に座り瞑想に沈んでいるように見えた。これは意表をついた描き方だと氏はいう。

否定で肯定するという屈折した思考、論理だけでは、乾涸びたほとけしかとらえられないぞという皮肉である。 紀野一義 法華経

当初は生き生きとしたほとけが干からびて見えるように変化したことは仏塔のなかに閉じ込められていたのでは本来の仏教といえないとのメタファと氏は考える。僧侶は寺の中だけに閉じこもっていてはいけないとの氏のメッセージでもあると受け止めました。

見宝塔品は大乗の法華経結集の有様を華麗にイメージ化したもので理性だけの人には馬鹿バカしい話だ。
爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく
善哉善哉 釈尊牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。
多宝塔のなかから声が聞こえてきた。如是如是 皆是真実と。皆が一斉に立ち上がり礼拝した。声だしたのは多宝如来で、法華経が真実の教えであることを証明する。善哉よきかなという、オペラのアイーダを連想する。
こういうイメージの話を信じられる馬鹿丸出しでないと法華経に入ることができないと何度も何度も氏は説明しています。
提婆達多品
提婆達多品は悪人成仏と龍女での女人成仏を説く。提婆達多は戒律を厳しくすることを釈尊に提言するが釈尊はそこまでしなくてもいいだろうと拒否する、すると提婆達多は教団を分裂させ弟子を引き連れて出て行くがついて行った弟子は結局は連れもどされる。又、女性の財産権を提婆達多品ではじめて説いた。氏は提婆達多品を通じて法華経のドラマ性を強く感じ取っていました。
提婆達多の反逆
提婆達多は釈尊の従弟で、性格の激しい、また頭のよい人であったと推測できると氏はいう。提婆達多は釈尊に対抗できると考え、老齢になった釈尊に教団を任せろ、そして5つの戒律を厳格に守りなさいと釈尊に迫る。現代でもこうした原理主義的な人はいかにもいそうな人格だ。
提婆は厳しい戒律を迫り雨が降ろうが外で寝なさい、家の中で寝てはいけない、金持ちの家に招かれてはいかん、だめだだめだと五か条を出して釈尊に引退を迫る。
釈尊は戒律に緩やかだった、肉を食っても殺すところをみなければよいし魚は食ってよい、さらに在家から供養されれば食べてもよいといった緩やかな戒であった。釈尊は提婆の申し出を断ります。
提婆達多は今でいうピューリタンみたいなもので、こういう人間は曲者で精神的に欠陥があると見た方がよい、極端で特別なことをする人は気を付けたほうがよいと氏は述べています。
提婆達多は
1 林の中に住め
2 乞食であれ
3 立派な衣をきてはいけない
4 屋根のないところに住め
5 肉を食ってはいけない
5の肉を食ってはいけないのはジャイナ教の影響ではなかろうか。
(紀元前6~5世紀に起こった)仏教では、たとえば不殺生戒は、なるべく無益な殺生はしないようにしようという程度でよし(三ジュ浄肉は口にしてもかまわない)とされるのにたいし、(ほぼ仏教と同時代に起こった)ジャイナ教では、不殺生誓戒は、何が何でも守り抜かなければならないものとなる。「インド哲学七つの疑問」 宮元啓一

釈尊は提婆達多に「おまえには教団を任すことはできない」と宣言した。これに提婆達多は反逆していく。釈尊は舎利弗に破門を告げよと命じる。舎利弗はかつては提婆達多を讃えたのでその役割を嫌がる。釈尊は舎利弗に「昔はそうだったが今はそうではない」と情に溺れてはいけないことを説きます。
どんな人も立派な仕事をしないと切り捨てなければいけない、これでなきゃ教団は続いていかない、会社も団体も同じだと氏は語る。

提婆は釈尊に申し出を断られて教団を作り釈尊の弟子が何百人も提婆について行くが弟子が取り戻しに行くところがなんともユーモラスだ。提婆は新教団で朝から晩まで説教してくたびれ寝てしまったそのすきについて行った弟子を説得して連れ帰った。提婆が眼を覚ますとついて行った弟子は誰もいなかった。
こんどは提婆が山の上から石を転がして釈尊を殺そうとし、釈尊の足に当たって血が出た。
そんな提婆が最後は南無仏といって救われたということになっています。

法華経だけが提婆達多を善知識とする点に注目している、法華経以外は提婆達多を裏切り者の代表として扱いキリストのユダのようだが法華経提婆品だけが提婆は師であると書いている。提婆は逆縁の善知識で、ああはなりたくない、そう思われるのも善知識だと氏は語ります。

提婆達多は反逆者だったのでそれなりにすぐれたところがあった、それくらいの人がいないと組織は腐ってしまうのではないか、ただし最期はどっかで切ることもあると現代企業運営に通じることを氏は語ります。

かつて氏が神田寺で友松氏のもとにいたとき、ある男が「法然の再来」と友松氏を持ち上げていた。「あんなことを言わせないように」と氏にいったが「まあ ほっときなさい」と。そのうち半年くらいでこの男はいなくなったが最後はどんな死に方をしたのでしょうかね。こういうのは役に立たない、イエスのユダみたいな存在だと自らの体験を述べています。

日蓮上人の弟子にも松が谷の法難で命を張って師を助けたのに後年に裏切った弟子が何人もいた、組織に裏切りはつきものだと氏はいう。
相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ・・・
釈尊如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべき 種種御振舞御書

日蓮上人の種種御振舞御書を引いて、氏は提婆達多の存在は正当に評価されなくてはならないとまで述べています。

誰か能く我が為に大乗を説かん者なる。吾当に身を終るまで供給し走使すべし。時に仙人あり、来って王に白して言さく、我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる、若し我に違わずんば当に為に宣説すべし。

王、仙の言を聞いて歓喜踊躍し、即ち仙人に随って所須を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、身心倦きことなかりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為の故に精勤し給侍して、乏しき所なからしめき。爾の時の王とは則ち我が身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。
提婆達多が善知識に由るが故に、提婆達多却って後無量劫を過ぎて当に成仏することを得べし。号を天王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。 紀野一義「法華経」を読む
性差別
提婆達多品は現代で性差別として批判されるが実はそうではないと氏はいう。
五障のために女性は梵天王、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏陀になることができないと舎利弗が主張する。これは従来から誤解をまねいてきた。しかし、それは法華経の主張ではなく、小乗仏教の女性観に囚われた舎利弗の言葉であり法華経はそれを否定している。

変性男子つまり女がいったん男にならないと成仏できないという事は本来は変性女子、男がいったん女にならないとだめともいわなければならない。紀野一義氏は「人間が今のままで仏になるというのは無理であり、一旦は今のままを完全に否定していくことを教えています。今のままでなんとかならないか、それは無理だと変性男子を氏は解釈しています。


勧持品
だれか滅後の布教をとブッダが問うと弟子たちは娑婆世界だけはいやだと拒否する、娑婆世界は傲慢に満ちているから嫌だと。ブッダは黙って聞いていると滅後の布教に不惜身命を誓うものが出てくる。
時代が下って鎌倉時代に日蓮上人が滅後の布教に不惜身命を誓う。
されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあわせ給はず唯日蓮一人こそよ(読)みはべれ・我不愛身命但惜無上道是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。 日蓮上人 南条兵衛七郎殿御書
勧持品の二十行の偈
菩薩が釈尊の滅後に三類の強敵に屈せず、法華経を弘めると誓った言葉で、四句が二十行になることからこう呼ばれる。植木雅俊はこれを簡潔に要約している。
①無智の人たちが危害を加えたりする。
②男性出家者たちが法華経信奉者たちを自分たちの利益を得ようとしていると非難する。
③国王や他の出家者に対して法華経信奉者の悪口を告げ、「勝手に経典を作っている」と謗る。
④教団内の法華経信奉者を精舎から追放したりする。
以上まさに実際にあったことではないかと思われます。
安楽行品・髻中明珠
氏の30代に発表した論文「法華経安樂行品に対する一視点」には次のように記されている。氏の一生を貫く仏教改革宣言と読むことができる。
仏教は今、大きな曲がり角に来ていると思う。新興宗敏の異常な躍進に対して、仏教はなんら答えるべきものを持っていないように見える。しかも若い世代は仏教になにかを期待し求めている。
仏教学はいつまでも訓詰注釈に終始することなく、なにか新しい生命を持つたものを生み出して行かなければならぬと思う。縁起についても、空についても、涅槃についても、その他の多くの重要な教義についても。
日蓮上人は34歳で著わしたとされる「一生成仏抄」に次のように記している。
若し己心の外に法ありと思はば、全く妙法にあらず、麁法なり[中略]都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは。ゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり 日蓮上人 一生成仏抄

自己とかけ離れたところでの物知り、博識はいくら数え上げても自己を豊かにするものではないと氏はいいます。

「十二因縁」「中道」「四諦」「八正道」について氏は語らない。「十二因縁」は学生時代にある先生の講義を聞いて馬鹿らしくなって止めたと述べている。言葉の上っ面だけを聞いても意味がないと氏は考えたのでしょう。「人の悩みや苦しみの生じ方を見れば「十二因縁」となり、その眼で善と悪を見れば、「中道」となり、修行の在り方を見れば、「八正道」となり、苦の生成と消滅の因果の在り方を見れば、「四聖諦」となるが、「あるがままにものごとを見る」だけで十分であると氏はいいます。

髻中明珠の譬えが安楽行品で話される。
転輪聖王は、兵士に対してその手柄に従って財宝などを与えていた。しかし髻の中にある宝珠だけは、みだりに与えると諸人が驚き怪しむので人に授与しなかった。転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により与えられた宝とは爾前経、髻中の明珠とは法華経であることを表している。なぜ髻の中にある宝珠だけは、みだりに与えると諸人が驚き怪しむのか、法華経が爾前経と比べて隔絶した内容をもっているから。

あとがき
2009年から6年間滞在したバリでは夕方6時過ぎになると、きまって夜鷹が飛び交い、ぎーぎーと鳴いた。これは宮沢賢治「よだかの星」の世界なのだ。
そして8年後に再びバリ島を訪れて「紀野一義から学んだ法華経」を書き終えようとしている。

宮沢賢治は「阿耨多羅三藐三菩提を得ようとするならば、手の指、足の指を燈して仏塔を供養せよ」に深く感じて「よだかの星」を書いた、そんなことを8年前のプールサイドでぼんやり考えていたらジャワ島から休暇でやって来た10歳の子供達にいきなり「あなたのリリジョン(信仰)は何か」と無邪気に聞かれた。
子供達には大人の間にあるタブーなどはない。こういう問いに対してわたしは「ブディスト」と答えることにしているが、この場合のブディストは少し説明が必要だ。

日本にはいくつもの仏教系宗派があるが、わたしはそのいずれにも属していない。縁がなかったので属していないのではなく、僧侶の話よりも在家の岡潔や紀野一義、梅原猛などに共感を感じていた為で、どこかで宗派に属するのを避けているわたしが常にいた。

では何故子供達に仏教徒と名乗ったのか。それは輪廻転生を信じているわたしはそれを説く仏教にシンパシーを感じているというただそれだけの理由で、又その程度の仏教徒なのだ、だから正しい意味での仏教徒とはならないと思ってきた。
しかし尋ねる相手はそれほど詳しく知りたいと思って尋ねるのでもないし、適当に無宗教あるいはアミニズムといってその場を逃げてもよさそうなものだが相手が子どもなだけにまじめにそう答えるわたしがいた。

輪廻転生を信じているという一点に関しては、理屈からではなく情緒といってよい一連の心根から発している。退行催眠で過去生を思い出したり、過去生を記憶している子供達の話など、傍証には事欠かないが疑えばいくらでも反論できないことはない。だからそれらの知識をもって輪廻を信じるかどうかの根拠にはしない。あくまでもある情緒としか言いようがない感覚を元に信じている。もともと信じるというのはそういう意味なのだから。

情緒といってよい一連の心根は「私は、なぜ他のものではなく、私なのか」「私は、なぜ今、他の時代でなくこの時代にいるのか」の素朴な疑問が子供の時からずっと途切れずにあるためだ。この疑問が何故か輪廻を信じることに直結している。この間をつなぐ論理的説明は今は困難だし今後も出来ない、論理で説明するものではなかろうと信じている。

輪廻だけなら、ヒンドゥ教徒でも又他の宗教でもよい筈だが、やはり仏教に肩入れする理由はある。それは仏像の清潔な優美さ崇高さであり、鎌倉時代に排出した宗祖の人間性に惹かれることであり、それに各種の教典が豊富で、その断片的な知識に割合馴染んでいるせいだろう。しかし、決定的な理由は紀野一義との出会いであることにこの年になってようやく気がついた。

書き終わってわたしが歩んだ人生を氏の語りを通じて一本の筋に仕立てている感がありました。さまざまな生い立ちやその後の生きづらさを肯定し喜びに変える氏の珠玉の語りをこれから歩む人たちと分かち合いたいと記しました。ほぼその目的は達したかなと思っています。

参考文献
https://news.yahoo.co.jp/articles/5051bcabee6b6787cf583575348830848a580dca
「ほんとうの法華経」植木雅俊
「ブッダの夢」河合隼雄・中沢新一
立川武蔵の講演(第十六回現代仏教塾「やさしい般若心経」立川武蔵)
立川武蔵「空の思想」
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site1/uemura1.htm
永遠のいのち <日蓮>
紀野一義/梅原猛
真如会会誌https://blog.goo.ne.jp/risukurumi48/e/9a6e5efc16460e86214d88a928b12dda

 

法華経の探求
禅現代に生きるもの
いのちの世界-法華経
いのちの風光現代に生きる仏教
大悲風の如く
ある禅者の夜話-正法眼蔵随聞記
日蓮配流の道(日本の旅人)
名僧列伝
「生きるのが下手な人たちへ」
「法華経」を読む
ええなあ!という人生肯定、肯定、絶対肯定して生きる
思い切りよく生きてみたい代表的日本人の生きざま

 

参考にさせて頂いた「さん道圓」YouTube投稿動画https://www.youtube.com/channel/UC6HMYAkeYoQ0k4YuXSWS60A/videos
この場を借りてお礼申し上げます。

維摩経42歳の時昭和40年
岡倉天心昭和53年
夏目漱石昭和53年
会津八一平成6年6月22日
柿本人麿昭和54年
観音経
観音経昭和63年2月
吉野秀雄昭和52年2月
興福寺仏頭昭和42年2月
金剛般若経心不可得
苦しみと克復昭和39年4月
空(くう)昭和39年5月
建礼門院右京大夫昭和54年
元政上人昭和53年
さとりと救い
広隆寺弥勒菩薩
斎藤茂吉
在原業平
私の出会った三人の禅僧
慈悲について
捨ててこそ
修証羲
証道歌
真実の自己を求めて
真宗教団の改革者清沢満之
親鸞上人
人生の出会いの不思議
正法眼蔵カジョウの巻
正法眼蔵安居の巻
正法眼蔵王索仙陀婆の巻
正法眼蔵栢樹子の巻
正法眼蔵行持の巻
正法眼蔵座禅箴の巻
正法眼蔵三界唯心の巻
正法眼蔵自證三昧の巻
正法眼蔵十方の巻
正法眼蔵諸悪莫作の巻
正法眼蔵心不可得の巻
正法眼蔵人間を動かしている大きな力
正法眼蔵随聞記
正法眼蔵梅華の巻
正法眼蔵弁道話の巻
正法眼蔵法華転法華の巻
正法眼蔵唯仏与仏の巻
正法眼蔵六祖の話
正法眼蔵恁麼の巻
西行法師
石川啄木
折口信夫
相田みつを
大応国師
大乗仏教の成立
大田垣蓮月尼
大東亜戦争中の思い出
歎異抄
中宮寺如意輪観音
天田愚庵
日蓮上人
八木重吉
般若心経
尾形乾山バーナードリーチ富本憲吉
武蔵野深大寺釈尊倚像
平家物語昭和48年月
法華経を生きた人々道元日蓮賢治
法華経見宝塔品提婆達多品
法華経五百弟子授記品授学無学人記品法師品
法華経授記品法華経授記品化城喩品
法華経常不軽菩薩品法華経信解品
法華経如来寿量品
法華経如来神力品
法華経方便品
法華経法師品
法華経目が開かなくては始まらない
法華経六薬草喩品
法華堂(東大寺三月堂)不空羂索観音
法隆寺夢殿救世観音
本居宣長
明恵上人
良寛
臨死体験死んだらどうなる
蓮如上人


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。