振り返るとバリ滞在6年を引き上げて帰国してからはや1年になる。庭の雪だるまがまだ解けずにある。昨年の今頃に常夏のバリから帰国したときは寒くて寒くて震え上がったのだが今は体がなれたのか寒いことは寒いが去年ほどではない。すでに一年でもうバリなどに滞在していたことを忘れたように日本の生活を繰り返している。6年のバリ滞在は果たして日本の生活に何か新しい発見をもたらしたのか。
<娘は日本の生活に>
6歳児の娘が7歳になり小学1年生の2月から登校を初めて今は2年生になった。学校を下見に行ったとき4階建ての巨大な鉄筋の小学校をみてその大きさにおびえたらしく、帰り際に新しい小学校に登校するのはいやだとぽつりと言ったのでうまくなじんでいけるのか気になった。なにしろ彼女は平屋の学校しか見たことがないのだから。小学校の入り口すらわからないのでうろうろする羽目になる。登校すると女性の教頭と挨拶を交わし、バリのインタナショナルスクールで英語で授業を受けていたので日本語での授業は初めてだと述べる。校長は男性でにこやかに近づくと娘は怖がって体を後ろに引く。
おもえばバリから日本に帰国する時の最大の心配事が日本の小学校に慣れてくれるかだったのだが無事に慣れてくれた。日本語での授業もなじんだようだ。給食は食べ残しを厳しく注意されるので当初はストレスになっていたが、今ではなにも言わなくなった。
日本の体育授業にはまだ完全には慣れていない。走ったり飛んだりはいいのだがドッジボールやサッカーなどは集団のなかに入り込んでいくこつをまだつかめないでいる。集団競技のルールがわかっていないようだ。体育主任がうまく教えていたが今の学校は担任が教える。まだ若い女性が担任で専門でも得意でもない体育で全員をうまく乗せていく技術が今一つのせいだろう。
最初の参観日は道徳の授業だった。算数とか国語などメインの授業をなぜ参観日にやらないのだろうといぶかりながら参観する。バリの学校では数名のグループに分かれてアシスタントの先生も含めると3名の先生が20名超の児童の学習を進めるので学習密度が濃いのだが、この参観ではやたらのんびりとしているのが気になった。手を挙げている時間や指名された児童の発表を聞いている時間がやたら長く、それに比べて考えて答えを出していく時間が少ない。要はクラスの児童の数に比べて面倒をみる先生の数が少ないためだ。
バリのインタナショナルスクール等で先生も周りも英語で話す場で身に着けた英語能力が日本で落ちることをなんとか避けようと思った。英検4級、3級を受けさせるとパスすることができた。数日後には英検準二級に挑戦するがさすがにむつかしそうだ。日本語で書かれた質問が感じで最適なものを選べとあり、最適ってなにと聞かれたときに日本語のレベルが追い付いていないことをしった。さてどの程度いくのかと気をもんでいる。言葉の自然な発達が追い付いていないので無理は禁物だ、このあたりで読書や動画で英語に触れさせ蓄積を待ち、そして数年日本語の発達も待つのが手だろう。
7歳の娘はようやく自転車に乗れるようになった。住んでいるところは坂が多い。この坂を利用して自転車の乗り方を教える。ゆるやかな坂の上からペダルを漕がずに転がることを覚える。できるだけ転がる距離を伸ばしていく。するとバランスをとることを自然に覚える。つぎにゆっくりと漕ぐことをマスターするともうあとはすぐに漕いで乗ることを覚える。1時間もすればもう自由自在に乗れるようになった。
<旧交を温める>
バリ滞在中はいけなかった各種同窓会や大阪訪問、奈良や京都の旅もできた。箱根の紅葉も満喫した。東京にあまたある博物館美術館もかなり巡った。念願のウナギもトロも目刺しも食べた。雪景色も見た。すべてが新鮮であった。源氏物語をはじめとした蔵書の読み返しも継続中でやはり簡単に手に入る環境は捨てがたい。
高校時代の同窓会を毎年一回行っているがようやく(10年ぶりくらいか)出席することができた。50年ぶりに会う顔もありすぐには思い出せない顔も30分もすると記憶によみがえってくるのが不思議だ。記憶と認識の不思議な一面を再認識する。記憶は脳内にあるが認識は脳の中にはないかのようだ。
NTTデータ時代の先輩諸氏と奈良の山荘に遊んだのも35年ぶりだった。山荘の持ち主の息子がまだほんの子供だったのが今では孫が生まれている。時代を経てあうのは年齢を重ねた後のだいご味だと思う。
箕面の兄の家に行ったのもずいぶん前のようだ。15年は経っている。墓参りをして長兄と母の思い出話などをする。こんなにじっくりと語り合ったのはこれまで初めての経験かもしれない。語り合うことでいままで知らなかったことや気が付かなかったことを改めて知る。兄弟でもお互いをよくしらないものだ。
豊中の兄にも会う。この兄とも8年ほど会っていない。娘の家の近くに住まっているがほとんど寄り付かないとこぼされる。どことなく遺伝子が共通しているなとしばし顔を眺める。
<ブログのメンテナンス>
過去ブログに手を入れてみた。バリでは暑いので机に向かうということがあまりないが日本では気候のせいか机に向かって作業することが多い。過去の世界旅行の写真を追加して文章も補っていく。つまり編集するのだがそんな作業をしていると新たな発見も多い。ブログは何度も編集することで面白くなる。これが日記帳だとそうはいかない。書き直すのが面倒だし過去の日記の該当を探し出すのも一苦労だがブログなら検索ワードですぐに探し出せる。
<映画を見る>
ネット環境が良いせいかネットで映画をみることが多くなった。HULUやNetflix、Amazon Primeでかなりの映画が見れる。これもバリ滞在からの大きな変化だ。
羅生門、東京物語、などの黒沢明シリーズにはじまり仁義なき戦い、ホームランド、トエンティーフォー、ネバダスミスなどなど。
<断捨離>
6年間家を空けていたので掃除や手入れにもかなりの時間を費やした。いまだに片付いていないものもある。庭の手入れ、倉庫の整理、部屋の修理、不用品のゴミ出しなどが思った以上の作業量となる。来る日も来る日も倉庫からゴミを出す。これはかなりの重労働で、いまだに整理し終わっていないものもある。
整理にあたって悩むのは思い出だ。古いものにはそれぞれに思い出が伴っていて捨てる決心がつくまでつらい。しかしそのものたちで空間を狭められているのも事実だからごく大切なものだけを残して捨てる。岸辺のアルバムという番組を記憶されている方もいらっしゃるかもしれない。アルバムを中心に残し、あとは思い切って捨てる。
<娘や孫との生活>
夏に上の娘が孫をつれて日本に滞在した。バリ滞在時も毎年ひと月以上滞在したが日本でひと月一緒に暮らすのは初めての体験だ。7歳の時にバリでなにげなく教わったピアノがきっかけになりいまでは9歳になった孫娘は日本でもピアノのレッスンに明け暮れる。市の会館でグランドピアノが使えるので通う。そのあいまに自転車が乗れるようになった。7歳の娘に教えた経験でこの9歳の孫もすぐに乗ることを覚えた。
6歳の孫は自転車がまだ無理で来年教えることにした。テニスボールでサッカーのまねごとをやってみたらこれが大変気に入ったらしく長時間遊んでもあきない。国に帰ったらサッカー教室に通うといっていた。
<食生活>
バリ滞在時も夜はカツオの刺身などを食べる機会は多かったが日本に帰国して食べる刺身のうまいこと。やはり南国の魚はゆるい。寒い冬に脂ののった秋刀魚を炭火で焼くとこたえられない。鰤がうまい。まぐろがうまい。ウナギがうまい。そしてなによりコメと味噌がうまい。鰹節を削り昆布とだしをとった味噌汁で食べるあつあつのご飯はなにものにも代えがたい。日本再発見の本質はこんなところにある。