まさおレポート

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マチュピチュ紀行 1 クスコからアグアス・カリエンテスまで

2024-09-13 | 紀行 マチュピチュ・ボリビア・ペルー

2007年3月に訪れたマチュピチュの紀行です。すでに17年が経っているが記憶は鮮明で、つまりそれだけ印象が深かったということでしょう。

1911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムがインカ帝国の「失われた都市」を探すため、ペルーのアンデス山脈の奥地へと踏み込んだ。その彼が目指していたのは、「ビルカバンバ」と呼ばれる都市で、インカ帝国滅亡後も残された抵抗勢力が隠れ住んだとされる謎の場所だった。しかし、ビンガムが見つけたのは、彼の期待をはるかに超える壮大な遺跡であった。それがマチュピチュである。

ビンガムがその発見を導いたのは、ペルーの地元住民の言葉と、古い記録に書かれていた「非常に高い山の頂にあり、巧妙な技術で建てられた建物がそびえ立つ」とのヒントであった。彼は草に覆われた段々畑を登り、やがて雲の上に現れたその遺跡を目にしたとき、その壮大さに息を呑んだ。石造りの建物、段々畑、そしてその背景に広がる険しい山々は、まさにインカ文明の高度な建築技術を示すものであり、かつての繁栄を物語っていた。

しかし、ビンガムが発見したマチュピチュは、当初彼が求めていた「ビルカバンバ」ではなかったことが後に判明する。実際のビルカバンバは、マチュピチュから西へ約80キロメートルの場所にあるエスプリトゥパンパだとされるのが現在の定説である。ビンガムがその違いに気づいたのは後年のことだが、彼の発見は間違いなく歴史上に残るもので、マチュピチュはインカ文明の象徴として、今もなお世界中の人々を魅了している。

このような物語を振り返ると、探検家としてのビンガムの直感と、発見に至るまでの執念が、いかに大きな役割を果たしたかがわかる。そして、マチュピチュという遺跡は、単なる歴史の一部であるだけでなく、人間の冒険心や発見の喜びの象徴でもある。出発の朝、大きなトランク2台はホテルに預かってもらい、機内持ち込み用キャリーとリュックだけ持って、いざクスコのサン・ペドロ駅へ。

2007年3月にペルーの神秘的な地、マチュピチュを訪れたとき、クスコの出発駅で目にしたのは古びた壁に掛けられた蒸気機関車の写真だった。100年前、観光客や住民はこの機関車に乗ってこの険しい山岳地帯を駆け上がり、インカ帝国の失われた都市にたどり着いていたのだろう。その頃の旅は、現代の快適な観光列車とは異なり冒険そのものだったに違いない。

この写真は、かつての旅人たちがどのようにマチュピチュを目指していたのかを垣間見ることができる貴重な一瞬を記録していた。機関車は黒い煙を巻き上げながら、あの壮大な遺跡へと続く道を進んでいた。

次の写真には、山並みを背景に観光客たちが写っている。時代が変わり、風景も人々も変わったが、マチュピチュという場所がもつ人気はそのままだ。

蒸気機関車での旅は遠い過去のものとなった。 

マチュピチュへの旅は、かつての探検家が感じた興奮を、現代に生きる私たちに再現させてくれる。今ではアメリカ人探検家ハイラム・ビンガムの名がついた「ハイラム・ビンガム・トレイン」がかつてと同じ風景の中を通り抜ける。今も昔もオリエント・エクスプレスが運営しているのだろうか、スタッフがロングコート着ている。

出発地はクスコ郊外にあるポロイ駅。ここから、私たちは列車に乗り込み、朝の澄んだ空気の中、旅が始まる。列車は朝9時に出発するが、その頃には太陽がアンデスの山々の間からすでに顔を覗かせ、あたりを黄金色に染め始めている。山々が連なる大自然の中を縫うように進み、途中で幾つかの小さな町を経由するが、その風景は期待を遥かに超えるものだ。

列車にはいくつかの種類があり、「ビスタドーム」は旅の快適さと景観の美しさを存分に楽しむために設計されている。窓が大きく設けられており、側面だけでなく、天井にもガラスがはめ込まれているため、乗客は列車が蛇行する山道を進むたびに、谷間の絶景や山の頂が広がっていく。 

「バックパッカー」クラスの列車は、シンプルながらも、インディオの伝統的な織物が座席を彩り、ペルーの文化に触れながら比較的リーズナブルな価格で旅ができる。ビンガムが切り開いた冒険の道を追体験するこの列車に揺られて、気がつけばアンデスの山々に囲まれ、窓を眺めていた。

 

サン・ペドロ駅はクスコの繁華街に近く、観光客にとって便利な立地だ。私たちはそこから乗り込んだ。一方、ポロイ駅はクスコ中心部から少し離れた静かな場所にあり、もう少しのんびりとした出発が楽しめる。

私たちが乗ったビスタドーム列車は天井まで大きな窓が取り付けられ、アンデスの大自然を自分の一部として体験できるような開放感があった。クスコの高地を抜け、列車は徐々に標高を上げながらマチュピチュへと向かっていく。窓から流れゆく景色、険しい川と山々の姿、そしてアンデスの麓に広がる緑の大地は遺跡への期待を高めてくれる。

他の乗客たちも、同じように窓の外に釘付けになっていた。誰もがこの列車の旅に没頭し、カメラに風景を収めようとしている。列車内は静かで、車両が軋む音が大自然の中に溶け込んでいく。

列車が動き出すとまもなくクスコの市街を望む光景が現れる。過去がそのまま残る場所だ。クスコは標高約3400メートルの高地に広がる街で、かつてインカ帝国の首都として栄えた。丘の斜面に広がる赤い屋根の家々はインカ時代から連綿と続くこの地の物語を語りかける。

列車はスイッチバックと呼ばれる、箱根でお馴染みの急な坂を登り降りするのに適した運行方法だ。車両が前進から後退に切り替わるたびに車窓からクスコの街並みを一望することができる。遠くに見える教会や石畳の狭い路地はスペイン植民地時代の名残をとどめ、インカ文化が未だに息づいている。

朝の柔らかな光が、山々と市街を優しく時に神々しく照らす時間帯は息をのむほどの美しさだ。石造りの家々と緑のコントラストが、クスコの魅力を際立たせている。

ウルバンバ川の濁流を見つめると、川が強烈なエネルギーが伝える。川の流れは濁り、その激しい勢いに圧倒される。川の轟音が聞こえ始めたときは思わず息をのんだ。

険しい山々に挟まれ、流れ下る水の勢いは私の心に緊張感を与える。ウルバンバ渓谷の緑と川の濁流の対比、穏やかな美しさと圧倒的な力の二つが共存している。

私はその光景に軽いショックを受けながらも同時にこの場所に秘められた何かを感じた。人間の営みを超越した自然の大きなスケールと、それに対峙する自分の存在。列車の窓から見える景色はまさにこの場所に立ち入ったという実感を深める瞬間だった。

どこまでも続くウルバンバ川の流れが、これから訪れるマチュピチュの荒々しさを予感させ、旅の一部として心に刻まれることとなった。

川沿いの風景が濁流から穏やかな緑へと変わる瞬間があり、目の前に広がる自然の変化や壮大さに心を奪われる。険しい山々が列車に寄り添うように迫り、雲に覆われたその頂は雲に覆われ神秘的な雰囲気を漂わせている。これから訪れるマチュピチュの偉容に先立つプロローグが展開していく。

車窓から見える山間の小さな村々は、この地が古代から続く静かな時間の中に存在している。家々の屋根越しに広がる緑の大地は、文明と自然が互いに妥協しながら生きている。新たな景色が次々と現れるたびにカメラを取るが、その瞬間を捉えることに追われているうちに次の絶景に圧倒される繰り返しだ。

ウルバンバ渓谷の曲がりくねった道を抜けるたびにマチュピチュへの期待感が徐々に高まっていく。目の前に広がる山々の頂きが、私たちの行く先に何か特別なものが待っていることを予感させ心が弾む。上方の雲と霧に包まれた光景は古代の神々の雰囲気を放っている。

クスコから約3時間半後に、マチュピチュの麓アグアス・カリエンテス駅に到着した。標高は2000mとクスコ3500mに比べて約1400m低い。これは随分と呼吸が非常に楽になる。駅に到着すると各ホテルのスタッフが駅前まで荷物の受け取りにきている。

標高差のおかげで呼吸が非常に楽になり、身体の緊張が一気にほぐれる。これでやっと高山病を恐れて我慢していたビールが飲める。この小さな村は、マチュピチュへの玄関口として観光客を迎える拠点だ。

観光客がひしめくアグアス・カリエンテスの駅前は多くの人々が行き交い、活気にあふれている。ここからさらに450メートル上ることでマチュピチュ遺跡へと到達する。宿泊施設は多くが民宿風の小さなホテルだが、そのどれもが温かく迎えてくれそうだ。

写真に写るウルバンバ川は、村の中心を流れ、急流が力強く響いている。村に到着すると、休む間もなくすぐに山頂を目指すことに。

アグアス・カリエンテスからマチュピチュへのバス運行は予期せぬ出来事で始まった。我々のバスは出発して間もなく停止し、道を塞ぐ巨大な落石を目の当たりにすることになった。大きな岩が雨で緩んだ地盤から転がり落ち、バスの進行を完全に妨げていた。驚くべきは、石が手際よく砕かれて処理が進んでいたことだ。この地域に住むインカの人々が培ってきた石の加工技術がいかんなく発揮されていた。

雨季に入ると、クスコやアグアス・カリエンテス周辺は地盤が緩み、こうした落石や土砂崩れが頻繁に発生し国際的なニュースとなり、さらに高山病の懸念もあり大袈裟でなく命懸けのマチュピチュへの旅となる。

マチュピチュ遺跡は何百年にもわたってその姿を崩すことなく存続している。インカ文明が発展させた独特の地盤形成技術がこの奇跡を可能にしていた。

途中の落石事故地点を通過して乗り換えたバスでマチュピチュ遺跡の入口に到着すると、観光客たちは興奮と期待感に包まれていた。緑の山々と青空が背景に広がり、熱気が漂う中で観光客たちは順番を待っている。入口には「INSTITUTO NACIONAL CULTURA」の看板が掲げられ、遺跡への扉が開かれる。

観光客は1人40ドルの入場料を払ってついにインカ帝国の聖なる都市、マチュピチュへ入る。

バスが通ってきたウルバンバ川を眼下に見下ろす地点に立つ。山々がうねりながら続く壮大な景観の中に、太古の地層が剥き出しで浮かび上がる。流れる川は遥か下を通り、山々は、険しく切り立つが深い緑がその厳しさを少し和らげている。雲が低くたなびき、遥か遠くにそびえる山頂が一瞬見える。ここまでバスでやってきたのかと険しい道のりを思い返し感慨に耽る。


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