世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

不定期連載・石州の鏝絵(【1】・蓮教寺)

2019-10-16 08:22:06 | 石見国

旧石見国の寺社仏閣には、江戸期から明治・大正にかけての多くの鏝絵が存在する。名のある名工の鏝絵から無名の職人の鏝絵まで幅広い。今回を皮切りに不定期連載で紹介する。初回は東石見の大田市長久町の蓮教寺の鏝絵である。

明龍山蓮教寺の鏝絵は左官職人・森山孫一氏の手になり、明治36年頃の作だと云われている。

本堂の扁額下から向かって右にかけて龍の鏝絵、左には虎の鏝絵である。龍眼と珠は彩色されているが、その他の部分は漆喰の白色のままである。漆喰の白と背景の黒とのコントラストが映えている。

<次回に続く>

 


津和野藩亀井家入府(城)400年展・#3

2019-04-25 08:09:31 | 石見国

<続き>

今回は亀井家別邸・温故館の展示物の一部を紹介する。場所は津和野の南郊である。

大名と云えども5-6万石であれば、この程度かと思わせるが、残存していることは素晴らしいことである。

館内展示物は撮影禁止と知ったのは、以下の2葉を写した後だった。受付で示したところこの2葉はOKだが、以降慎むようにとのこと、従って2葉のみの紹介である。

参勤交代時、大阪から伏見まで淀川を遡った。其の時の屋形船で姿形がよかったことから、幕府に用いられたそうである。

秀吉に仕えた玆矩(これのり)を祖とする亀井家は、玆矩の海外飛躍をする夢を形が異なるとは云え、朱印船貿易でシャムと交易を行った。幕末に人材教育に力点をおき、森鴎外や西周などの海外留学者を輩出したことは、玆矩の夢の再来であろうか?

 

<了>


津和野藩亀井家入府(城)400年展・#2

2019-04-24 06:43:32 | 石見国

<続き>

亀井の殿様には風流人が多かったようである。四代・玆親(これちか)は漢籍を新井白石に画を狩野洞春に学んだ。その画が展示されている。

七代・矩貞(のりさだ)は書画も良くしたが、陶芸の才が在り綾焼を起こした。

まさに玄人の手になる焼物である。誰に学んだのか興味がある。下に掲げる神農図は八代・矩賢筆である。

見ると源矩賢と記し落款を押している。源と所縁もないが源平藤橘をなのる風習が江戸期に蔓延していた。

我が島根で江戸期の風流人と云えば、松平不昧公が真っ先に思いだされるが、亀井の殿様は代々風流人であったようだ。今回で津和野町郷土館展示物の紹介を終え、次回からは亀井温故館の展示物を紹介したい。

 

<続く>

 


津和野藩亀井家入府(城)400年展・#1

2019-04-23 06:35:11 | 石見国

約2年前の話で恐縮である。亀井家は尼子の家臣であったが、毛利元就に攻め滅ばされ、亀井玆矩(これのり)は尼子氏再興を目指し、秀吉に仕える形で各地に転戦した。秀吉が天下を平定すると琉球に出陣したいと願いで、琉球守をなのることを許された。琉球は薩摩に先取りされ、それは夢におわったが、シャムと朱印船交易を行った。つまり小なると云えども海外雄飛を企てる男であった。そのようなことで亀井玆矩には興味があり、二代・玆政(これまさ)の嫡男で家督を譲られる前に亡くなった玆朝の感状が我が家に伝わっていることから関心事が高い。

その亀井家が玆矩の息子・政矩(津和野藩初代)の代に、津和野藩主として因幡鹿野から入府して400年になり、その関連行事として幾つかの展示施設で『400年展』が開催された。その幾つかを思い出しながら紹介したい。先ずは津和野町郷土館の展示から紹介する。

かの高橋由一の筆になる『西周肖像』である。津和野のような小藩は人材育成に力を注いだ。津和野は八代・矩賢(のりかた)により、天明六年(1786)に創設され、儒学・漢学・医学・数学・兵学が設けられた。十一代・玆監(これみ)は嘉永二年(1849)に、新たに国学や蘭医学を設け拡大した。ここから先の西周、森鴎外、福羽美静等を輩出したのである。

このフランキ砲は朱印船貿易で入手したとある。シャムで入手したのであろうか?

キャップションには、玆矩二百五十忌大祭とある。先頭から二人目は十一代・玆監である。

津和野藩江戸上屋敷絵図で、外桜田の一等地に上屋敷を設けた。赤色の屋根は地元・石州の赤瓦を江戸まで運んで用いたものである。

藩校・養老館に祀られた孔子像。養老館からは多くの逸材が輩出されたが、西周の家は九十石取りで、田舎の小藩としては上等の部類であった。

その西周がオランダのライデン大学留学時に受けた講義を翻訳した『万国公法』が展示されていた。

 

<続く>

 


スーパー神楽選抜競技大会

2019-04-18 08:19:06 | 石見国

過日、県西部のスーパー神楽選抜競技大会に孫が出演するという。当日行ってみた。子供神楽団に所属していて、当時の演目は『八幡』とのこと。

八幡とは、宇佐八幡宮に祀られている八幡麿とおいう神様が、異国から飛来した大六天の悪魔王が人々を殺害しているのを聞き、神通の弓と方便の矢をもって退治する物語である。それにしても小中学生で立派に舞う姿は、ちょつとした感動である。

 

<了>