ある種、荒唐無稽の噺になろうかとも思う。もとより無知のなせる業だが、古文献が存在しないのも事実である。そのような前提での噺である。
当該ブロガーは中世北タイの古陶磁を見て、悠久のロマンに浸っているが、当時の陶工にすれば、そんな生易しいものではなかったのであろう。その苦労に想いを馳せてみたい。
サンカンペーン陶磁愛好家なら、以下のことは御存知であろう。中世に、なぜこのような焼物が、市場に出回っていたのか、疑問に思える品々を御覧になった経験を、御持ちの事と思われる。
それは過焼成により、釉薬の肌が荒れた陶磁の存在、或いは瘤のように大きくなった膨らみを持つ陶磁、更には焼成歪みをもつ焼物の存在である。日本人の感覚からすれば、このような品々は不良として、物原に打ち捨てられるのがオチである。
ところが、北タイでは墳丘墓から出土する。中でもサンカンペーン陶磁が多い。下の写真がそれに相当する。
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(過昇温のせいであろう。釉薬表面が煮え焦げたように、痘痕(あばた)に覆われている。オムコイ山中から出土。残念ながら村人の農具にかかり断片に破壊されている。)
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(これも、過去に紹介したが、瘤のように膨らみをもつ盤片である。何故このようなものが流通していたのか不思議に思っていた。)
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(これも、オムコイ山中から出土したものである。高台底が盛り上がり、写真のように膨らんでいる。従って平面に置くと、極めて安定性が悪い。日本人の感覚からすれば、廃棄されて当然の品である。)
何故このような不良品が流通し、墳墓跡から出土するのであろか?・・・長らく疑問に感じてきた。
また、北タイ諸窯はいずれも、窯の規模が小さいが、中でもサンカンペーンは小型の窯が多い。これも長年の疑問の一つであった。ここで北タイ諸窯のサイズを記載しておく。
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北タイ諸窯の中で、ナーンは比較的大型であり、それに次ぐのはパヤオ、更にはカロンで、サンカンペーンは最も小型である。参考までにシーサッチャナーライのゴー・ノイ窯のサイズを記載しておくが、如何にもサンカンペーンが小型であることが理解頂けると思う。
何故、サンカンペーンはこうも小さいのか?・・・単純な疑問が湧く。シーサッチャナーライ以外は、ランナー王国の版図(但しパヤオ等は、副王が治めるムアンであり、チェンマイと同じ統治が行われていたかどうかは、はっきりしない)であるが、なぜ異なるのか?
副王が治めるムアンにより統治の仕方、つまり徴税の仕方が異なるのであろうか、当該ブロガーのみが無知なのか、古文献が存在しないのか?
ここで、徴税と記してしまったが、窯サイズが地域により異なる点、サンカンペーンに多く見られる、所謂不良品の流通、これには何やら関連がありそうだ。
<続く>
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